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プロフィール

梅星

Author:梅星
社会人になっても、いつもいろいろな空想の世界を思い描いていました。
その中で、ずっと書きたかったお話(小説)をブログという世界を使って紹介させていただきます。
無理なく肩の力を抜いて続けていきたいと思いますので、楽しんでいただけたらと思います(毎週更新予定です)。
初めて読まれる方は、『あらすじ』も並行して読んでいただければ、読みやすいかと思います。
お楽しみください。

尚、文中の登場人物、会社等すべてフィクションです。


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DATE: CATEGORY:第9章 クロスロード
佳奈は木乃美の話を息を殺すように聞いていた。
「今もおばさんが海外に住んでいるの。
 そして、その近くに調香専門の学校があるの。
 私、そこに行って勉強することにしたんだ。」
「木乃美…。」
「それに、まだ覚えている。
 昔、そこで生活していた頃、肌の色が違うって、随分、いじめられたの。
 住んでいたところは、結構な田舎だったから尚更だったのよね。」
「…。」
「それでね、そこで調香の勉強をして、いじめた奴らに私のことを認めさせたいんだ。
 ギャフンて言わせたいんだ。
 だから、行くことにしたの。」
そこまで行って木乃美はもし佳奈が怒ってたらひたすら謝るつもりで、泣きだしたらひたすら慰めるつもりで、佳奈の顔を見た。

佳奈は、うつむいていた顔を上げ笑顔を見せた。
「佳奈…?」
木乃美は想像しなかった佳奈の反応に、かえって戸惑っていた。
「すごいね、木乃美。
 もう、目標が決まっているのね。
 そうよね、木乃美、昔から香りを調合していい匂いのエッセンスを作ったりしていたもんね。
 私、木乃美の作る香り、大好きよ。」
「佳奈…。」
「それに、むこうでリベンジ?
 木乃美なら絶対にできるわ。」
「佳奈。」
「私は、絶対にそんなことできない…。
 ましては海外なんて。
 だから、こっちで応援しているね。
 でも、お母さん、よく…。」

木乃美には弟がいるが生まれた時から障害があり、入退院を繰り返していた。
そして、脳にも軽い障害があり、今も施設で暮らしていた。
木乃美は、そんな母親を日常的に助けていた。
「うん、パパとママに相談したの。
 達也が随分体が強くなり、もう心配いらないって。
 それに、頭も随分しっかりしてきているのよ。
 この前、遊びに行って、トランプで負けちゃったのよ。
 がちでやったのに。」
佳奈は、木乃美の弟想いを知っていたので、話しを聞きながら微笑んでいた。
「だからね、ママが、ママたちだけで大丈夫だから、私の好きにしなさいって。
 達也も大丈夫だから行って来てって、背中を押してくれたの。
 佳奈?」

木乃美が話していると、佳奈は椅子から立ち上がり、木乃美の横に腰掛けると、いきなり木乃美の背中に腕を回し抱きついて来た。
「よかったね、木乃美。
 今まで、ずっと頑張って来たもんね。
 私ともずっと友達でいてくれたもんね。
 だから、木乃美の好きなこと、思いっきり自分のやりたいことをしてきてね。」
佳奈の過去形の様な寂しい言い方に木乃美は急に寂しさを覚えた。
「佳奈…、なによ!
 友だちでいてくれたなんて、これからもずっと友達だよ。
 例え、遠くにいても、佳奈に何かあればすぐに戻ってくるから。
 それに、夏休みやクリスマス休暇とかあるから、その時は帰って来るから。
 それにね、それにね、ずっと向うで暮らす気はないんだから。
 調香の技術を身につけたら、ここに帰って来るから。
 ここが、私の居場所なんだから。」
木乃美は怒った顔をしていたが、その頬にはいつしか涙が零れていた。
「木乃美…。
 そうよね、木乃美の居場所はここなんだから。
 待っているからね、いつでも待っているから。
 いつでも“お帰りなさい”て言ってあげるから。
 いつでも帰って来てね。」
目に涙をいっぱいに溜めている佳奈を見て木乃美も佳奈を抱きしめた。

そのまま、どのくらい時間が経ったかわからないが、部屋のドアをノックする音が聞えた。
「お茶を持ってきたわよ。」
声の主は茂子だった。
茂子はドアを開けると、眼を真っ赤にした佳奈と木乃美を見て驚いた。
「どうしたの?
 二人とも、泣いた跡見たい。」
「お母さん、木乃美が海外の学校に行くんだって。」
佳奈の言葉に茂子はさらに驚いた顔をした。
「え?
 だって、木乃美ちゃん、佳奈と同じ大学に推薦が決まったって。」
「はい、でも、辞退しちゃいました。」
「ええ?」
「はい、実は…。」
木乃美は、将来調香師になるので調香の勉強をしに海外の学校に行くことを説明した。
それを聞いて茂子は、目を丸くした。
「すごいわ、木乃美ちゃん。
 もう、ちゃんと目標が出来ているのね。
 ね、ね、海外ってどんなところ?」
茂子は興味津々で佳奈の部屋にとどまり、木乃美から根堀葉堀尋ね、木乃美の返事にさらに驚き、いつしか佳奈や木乃美も笑いながらお喋りが尽きなかった。
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DATE: CATEGORY:第9章 クロスロード
三月のよく晴れた日、木乃美が、不意に佳奈の家を訪れた。
「こんにちはー。」
佳奈と木乃美は、前もって約束をしてなくても気が向くとお互いに家を行き来していたので、両方の母親は、不意うちに慣れていた。
「あら、木乃美ちゃん、いらっしゃい。」
奥のリビングから木乃美の母親の茂子が出てきた。
「こんにちは。
 佳奈、いますか?」
「ええ、部屋にいるわよ。
 さあ、上って。」
「はい、お邪魔します。」
木乃美が靴を脱いで玄関に上がると、茂子が佳奈の部屋の方に向かって声をかけた。
「佳奈―、木乃美ちゃん来たわよー。」
すぐに佳奈の部屋から佳奈の声が聞えた。
「はーい、上ってもらって。」
「はいはい、もう上がってますって。」
木乃美は佳奈の部屋に向かってそう言いながら茂子に会釈し佳奈の部屋に向かって歩いて行った。
「ごゆっくり。」
茂子は、そんな木乃美の後姿を見て微笑んでいた。

木乃美が佳奈の部屋に入ると、佳奈は机を背に椅子に座っていて、木乃美にベッドに腰掛けるように合図した。
木乃美はジーパンに紺のダウンジャケット姿で、相変らずぼさぼさの長い黒い髪、トレードマークの黒縁で度の入っていないメガネをかけていた。
肩から下げていたポーチを外し、ダウンジャケットを脱ぐと、手慣れたように空いている洋服掛けのハンガーを取って、ダウンジャケットをハンガーにとおし、洋服掛けに掛けるとベッドに腰を下ろした。
二人とも、お互いの部屋の洋服掛けに、お互いのスペースを暗黙んで決めていて、遊びに行くと自然にそこにコートをかけていた。
これは学生時代からで、中学、高校と制服のブレザーをかけていた頃からの習慣だった。
そしてダウンジャケットを脱いだ木乃美の服装は、白いフリルのついた襟のブラウスに丸首の温かそうな黒色のセーターといういで立ちだった。
佳奈の方は、濃いベージュのスエットの上下に、花柄の半纏を羽織り、髪はいつものようにポニーテールにしていた。
「四月から、大学生かぁ。
 木乃美と一緒だから、心細くないわ。
 同じ学部だし、クラスも一緒だったらいいな。
 そうしたら、小学校から大学までパーフェクトだもんね。」
佳奈は、嬉しそうな顔をして木乃美に話しかけた。
本当なら、春彦も大学の推薦が決まっていたので、一緒のはずだったが、あの事件で推薦が取り消され、結局春彦は違う大学に進学し、しかも、アパートに一人暮らしで佳奈たちの前から姿を消していた。
初めのこと気落ちしていた佳奈は木乃美に励まされ、少しずつ吹っ切れたのか最近では明るくなっていた。
ただ、それも半分は無理しているんだろうと木乃美には想像がついた。
(こんな佳奈にあれを言ったら、また、ショックを受けるかな。
 でも決めたんだから…。)
木乃美は佳奈に話を聞きながら考えていた。

「木乃美?」
佳奈は、木乃美の考えこんでいる顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
木乃美は覚悟を決めたように、真剣な顔で佳奈を見て口を開いた。
「佳奈、ごめん。」
「え?
 なに?」
「私、大学の推薦、断ったの。」
「え?」
「だから、佳奈と一緒の大学に行けなくなったの。」
「どうして…。」
佳奈は、木乃美の言葉が理解できなかった。
小学校の時からいつも傍にいてくれた木乃美が別々の道を歩むということに。
「私ね、調香の勉強がしたいの。」
「…。」
「それも、日本じゃなく海外で。」
「え?
 なんで?」
「佳奈、私が帰国子女だってこと、昔、話したよね。」
「う、うん。」

木乃美は生まれてから4歳まで両親の都合で、海外で暮らしていた。
日本語は、両親から習っていたが、帰国してから日本語と英語が混ざって周りから笑われ、いつしか佳奈と出会うまでは、友達も作らず一人でぽつんとしていた。
そんな木乃美の凍った心を溶かしたのは佳奈と悠美だった。
それ以来、佳奈と木乃美はまるで双子の姉妹のようにいつも一緒だった。
それでも、自分が帰国子女だということを佳奈に告げたのは中学生になってからだった。
佳奈も、木乃美がたまに外国語を話すこと、教会の日曜集会で、外国の子供たちと話しているのを見て、薄々は感じていたが、木乃美が自分から言うまでは特に聞こうとしなかった。
それに、木乃美が帰国子女であろうがなかろうが、佳奈にとっては大事な友達でしかなかった。
逆に、木乃美も方が小さい頃日本に帰って来たばっかりの時、日本語が通じず、周りから変な目で見られたことを気にして、佳奈になかなか言えなかった。
木乃美にとっても佳奈は、特別な友人で、敬遠されるのを怖がり帰国子女だと打ち明けるつもりはなかったが、中学生になり英語の授業があり、佳奈にいろいろ教えていた時、弾みで自分は帰国子女だと口走ってしまった。
一瞬、木乃美は佳奈の顔色を窺ったが“そんなことわかていたわよ”と驚くことなく、態度が変わらなかったので、木乃美は安心し、佳奈の前で気にしていた自分が馬鹿らしく感じた程だった。
DATE: CATEGORY:第9章 クロスロード
美由紀は、ぴっちりしたジーパンに暖かそうなオレンジのセーターを着ていた。
春彦は美由紀に続いて階段を上っていくと、ぴっちりしたジーパンのせいか美由紀の形のいいふっくらした下半身が目に入った。
美由紀は小柄で春彦との身長差は20㎝位あったが、なかなかのプロポーションだった。
「大丈夫?
 結構急な階段だから気を付けてね。」
美由紀が途中で振り向いて春彦に声をかけると、春彦は一瞬、ドキッとして、慌てて「はい」と返事をした。

階段を上がりきると、左手にむかって廊下が伸びていた。
廊下の右手にはやはり曇りガラスの窓があり灯りを取り込んでいたが、蛍光灯の灯りが明るく照らしていた。
廊下の左手には、奥と手前にドアがあり、手前のドアの上には二号室と部屋番号が書かれた表札が書かっていた。
「立花君の部屋はここね。」
美由紀がそう言って、二号室と書かれたドアを指さすと“ガチャ”と奥のドアが開き、薄手の金属フレームのメガネをかけている美穂子が顔を出した。
美穂子は、背格好や感じが美由紀と似ていて、チャーミングな女性だった。
髪は茶色に染め、肩位の長さで、ふわっとボリュームを出していて、コンタクトとメガネを併用していているらしく、前会った時はメガネをしていなかった。
「よっ、少年。
 来たね、これからよろしくね。」
「はい、よろしくお願いします。」
「この家、古いわりに防音はしっかりしているけど、女の子を連れ込んじゃ駄目よ。」
「え?」
美穂子は笑いながら、さらっと言った。
「こら、美穂子、そんなこと言ったら立花君いきなり面食らっちゃったじゃないの。
 まだ、ここのルールの説明していないんだから。」
「あはははは、ごめん、ごめん。
 大丈夫よ、私も連れ込まないから。」
「美穂子!」
「おーっと、じゃあ、また後でね。」
美由紀が眉間に皺を寄せて見せると、笑いながら美穂子は部屋の中に戻っていった。
「まったく、遠慮なしなんだから。
 でも、良い子だから安心してね。」
「はい。」
春彦も美由紀や美穂子に好感を抱いていた。

「さっき言ってたのはね、このアパートのルールなんだけど、みんなで家族みたいに暮らそうねって約束しているの。
 だから、楽しく過ごすために。彼氏や彼女をあまり連れては…ね。」
要するに、彼氏や彼女を連れ込んで風紀を乱すことはしないようにと言うことを美由紀は遠回しに示唆していた。
「立花君、彼女はいるの?」
「いえ、いません。」
きっぱりと返事をする春彦に、美由紀は安心したような顔をした。
「じゃあ、彼女ができたら気を付けてね。」
「はい。」
「じゃあ、この部屋。」
そう言って美由紀は、二号室のドアを開け春彦を中に招き入れた。

部屋の中に入ると6畳くらいのダイニングキッチンと、8畳の広めの部屋の2DKの間取りで、全部屋フローリングで、かつバストイレ付だった。
また、エアコンや調理家電も完備していて、美由紀の父は気に入った人にしか部屋を貸さないつもりで、また、そう言う人には長く住んでもらおうといろいろな設備を完備したいわゆる破格の部件だった。
「父が亡くなって、この部屋はずっと空き部屋だったの。
 掃除はこまめにしていたから、大丈夫だと思う。
 電気製品も新品同様だから。」
「はい。」

部屋の中は引っ越す前に陽介と買いに行ったテーブルやベッドが置かれ、カーテンがかかっていた。
「取りあえず、ベッドはここに置いてみたの。
 あとで自分で調整してね。
 あと、立花君の荷物、そこに置いてあるからね。」
そう言って、美由紀は早の片隅の段ボール箱を指さした。
「でも、男の子だからかしら、荷物、少ないわね。
 美穂子が引っ越していた時、この段ボールの3倍くらいあったわよ。」
「そうですか?」
春彦は、特にお洒落な方ではなく、ズボンはジーパンを中心に2,3着、上着下着も1週間分くらいしか持っていないので、そんなに荷物にならなかった。
「あ、あと、お蒲団は一応干しておいたし、カバー類も洗っておいたわ。」
「え?
 そんなに…。
 すみません、いろいろとやっていただいて。」
「気にしない、気にしない。
 スタートが肝心でしょ。
 それに、力仕事は陽介がやってたから。
 私は、洗濯とお掃除だけ。」
美由紀はにっこりと微笑んだ。

春彦は、恐縮して「ありがとうございます。」と言って頭を下げた。
「いいのよ。
 それより、指はどう?」
「ええ、少しずつ感覚が戻って来て、少しは動くようになってきました。
 でも、まだ、1ヶ月ちょっとなので、これからですね。」
そう言って春彦はガーゼ包帯を巻いた左手を美由紀に見せた。
「そう、早く元のように動くといいね。」
美由紀は辛そうな顔をして言った。
春彦の指は、美由紀を助けようとして日本刀で切り落とされたもので、美由紀は自責の念が強かった。
「はい。
 だから、美由紀さん、気にしないでくださいね。」
春彦はそんな美由紀の気持ちをわかっていたので、明るく答えた。
「うん、わかったわ。
 じゃあ、部屋の鍵と玄関の鍵を渡しておくね。
 あと、今晩は皆で歓迎会だから、後で呼びに来るね。」
「はい。」
春彦に部屋の鍵と玄関の鍵を渡すと、美由紀は笑顔を見せ、部屋から出て行き、後には美由紀のコロンの匂いなのか、ほのかな甘い匂いが残っていた。
DATE: CATEGORY:第9章 クロスロード
高校を卒業し、別々の大学に進学した春彦と佳奈。
結局、高校3年のあの事件を機に春彦と佳奈は話すことも、顔を合わすこともなかった。
佳奈と木乃美は、推薦で舞や春繁、悠美の学んだ大学へ進学したが、春彦は事件が響き、推薦が取り消されてしまった。
その影響もあって春彦は心を病み、立花の実家に身を寄せて実家の近くの学校に転校し、陽介という友人を得て、自力で佳奈たちとは違う大学を受験、合格することが出来た。
しかし、折角立ちなりかけたところで、反社会的な思想を持った道場で陽介の姉の美由紀が事件に巻き込まれ、それを救おうとして左薬指と小指を切断するという大怪我を追ってしまった。
それがきっかけに春彦本人も気が付かない新たな人格が芽生えていた。

春彦は大学の入学式の前に立花の実家を出て、美由紀の管理しているアパートに引っ越すことにした。
アパートと言っても、2階建ての一軒家を改造して、1階を美由紀と陽介の住居、二階の2室を貸している小さな規模のものだった。
二部屋の内、一部屋は美由紀の友人の美穂子が住んでいた。
「え?
 アパートに一人暮らし?」
最初にアパートに住みたいといった時、舞は難色を示した。
春彦の大学の費用を工面することは出来ても金銭的には決して裕福ではなく、一人暮らしの費用はかなり負担を強いられることになること、あと、精神的に不安定なところが残る春彦のことを考えると当然な反応だった。
しかし、家よりは大学に近いこと、美由紀が家主で、道場の1件では色々助けてもらい、しかも父親の件まで解決できた感謝を含め破格の安値で提供させてもらいたいという申し出を受けたのと、何より、春彦が唯一、心を開き、回復の手助けとなった陽介と同じ屋根の下で暮らすことで、考えた末、舞はしぶしぶと了解した。

「でも、この家賃で、生計は大丈夫なの?」
あまりの安い家賃の提示で、舞は逆に心配になり春彦に尋ねていた。
「ああ、それ俺も聞いてみた。
 美由紀さん、近くの会社の社員で事務職をしているので、きちんとした定期収入があるんだってさ。
 また、ご両親の遺産があるので、贅沢は出来ないけど、普通に暮らすには大丈夫なんだって。
 お父さんが2階を貸そうと改築してあったので、放置しておくこともできないし、知らない人を入れたくからって、美穂子さんに貸しているんだって。
 それで、もう一部屋開いているので、男なら用心棒代わりになるから是非ってさ。」
「まあ、それならいいけど。
 しっかりね、用心棒さん。」
舞は、不安がなかった訳ではなかったが、機会があればいろいろな経験を春彦にさせてやりたかったのと、春繁の血を引いている春彦にひとり暮らしでも馬鹿なことはやらないだろうと根拠のない信頼を寄せていた。

3月下旬のある晴れた日、春彦は立花の実家で春吉とキクに別れを言って美由紀のアパートにやって来た。
春吉とキクは、舞から預かった大事な春彦に大けがをさせてしまったこと、眼に入れてもいたくないかわいい孫が出ていってしまうことで、心底、しょげ返って一回りも二回りも小さく見えた。
「短い期間でしたが、お世話になりました。
 でも、とっても楽しかったです。」
「春彦…。」
「春彦ちゃん…。」
「自分の不注意で怪我をしてしまい、おじいちゃんとおばあちゃんに心配かけてごめんなさい。」
春彦が優しく言うと、キクは涙を流してかぶりを振った。
「ごめんなさいね…、私たちが、しっかりしていれば…。」
「そんなことないって。」
そう言うと、春彦はそっとキクの肩を抱いた。
「この怪我は、本当に自分の不注意だったんです。 
 だから、気にしないで。
 それより、ここは、僕の大事な第二の家。
 また、遊び来ていいですか?
 おばあちゃんの美味しいご飯を食べたいし。」
「おーおー、いつでも帰ってこい。
 ここは、お前の家でもあるんだから。」
春吉も目を潤ませて言うと、よこでキクも大きく頷いて見せた。
「いつでもおいしいご飯作ってあげるからね。
 かならず、また、元気な顔を見せてね。」
二人と別れ電車に乗った春彦は、流れていく気色を見ながら寂しさがこみ上げていた。

車窓の景色が田園風景から都会の風景に変わると、春彦の気持ちも落ち着いてきた。
駅に着き、渡された地図を頼りに歩いて行くと、遠くで女性が手を振っているのが見えた。
「立花君、こっちよ。」
春彦が美由紀のアパートに着くと、アパートの前で美由紀が出迎えた。
美由紀は小柄で、セミロングの髪を茶色に染め、ポニーテールが良く似合い、笑うとえくぼが出来る笑顔が似合う可愛らしい女性だった。
「こんにちは。
 今日からお世話になります。」
春彦は美由紀の前に立つと、挨拶とお辞儀をした。
「はい、よろしくね。
 立花君が来てくれると、なんか安心するわ。
 なにせ、陽介はからきし弱いから。」
美由紀は笑って言った。
「そんな、俺、強くないですよ。」
春彦が頭を掻きながら言うと、「私にとっては頼もしい用心棒さんよ。」と笑顔で返した。
「ところで、陽介は?」
春彦は美由紀だけで陽介がいないことに気が付き美由紀に尋ねた。
「ああ、陽介は、“今日は、立花君の歓迎会だから”って、買い出しに行っているわ。
 さあ、荷物も届いているから、お部屋に案内するわね。」

家は木造の2階建てで玄関が2つあった。
その壁際の勝手口の様な玄関のドアを開け、美由紀は春彦を手招きした
勝手口の様な玄関を入ると、1号室2号室と書かれた4段のげた箱があり、1号室と書かれた上の2段には女性ものの靴が並んでいた。
「1号室は美穂子が使っているの。
 立花君は2号室ね。
 ここで、靴を脱いでね。」
「はい。」
靴箱の反対側には姿見のような大きな鏡が取り付けられていて、ここで美穂子が出かける前に衣服の最終チェックをしている姿が容易に想像できた。
美由紀に言われるように靴を脱いで踊り場にあがるとすぐに二階に上る階段があった。
玄関ドアの上部には曇りガラスがあり陽の光を取り入れていたが、それだけでは薄暗く「暗いから、このスイッチを入れて明りをつけてね」と美由紀は言いながら壁際のスイッチを押すと、げた箱の真上の蛍光灯が点灯した。
「階段の上のスイッチと連動しているから、2階に上がったらスイッチを切ってね。」
そう言って、美由紀は先に階段を上っていった。
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
『第8章 灯火』をお届けしました。
春彦の心の形成は、優しい悠美と暮らした1週間で決まったのかもしれません。
やさしかった悠美。
大好きだった悠美。
また、悠美の命の息吹が春彦に引き継がれ、春彦から佳奈へ(『第1章 佳奈の災難』を参照)繋がっていきます。

はるかな物語も、4月で3年目の突入し、延べの話数も120話に達しました。
素人が書いている小説なので、読みづらかったり、表現が稚拙なところが多いかと思います。
でも、少しでも多くの方に読んでいただければ幸いです。
できれば、楽しいコメントが頂けたらなぁ、なんて夢を見ています。

さて、次回から新しい章がはじまります。
章の名前は「クロスロード(仮)」。
大学生になった春彦と佳奈、お互い別々の大学に進み、別々の経験をしていきます。
そのまま、ずっと平行線をたどるのか、それとも…。
この章も、おそらく「灯火」並みの字数になるかと思います。

それと、ここだけのお話しですが。
以前、休憩時間で、もう一つ物語を書きたいと書いたかと思います。
じゃーん!
実は、少し前から書き始め、はるかな物語のようにブログで公開しています。
残念ながら、はるかな物語と同じように、脚光は浴びていませんが(当たり前ですよね)。
さあ、どれでしょう(笑)。

では、また、お会いしましょう!
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
「光ちゃん、車大丈夫?」
車から降りたサキが光一に尋ねた。
サキは、駐車場を気にしていた。
「ああ、ここに止めておいても道幅広いから、大丈夫だよ。
 それに、何かあればすぐにどければいいから。」
光一は、トランクルームから舞の荷物を出しながら答えた。
「ねえ、お母さん。
 早く家に入ろうよ。」
「はいはい。」
春彦に手を引かれていたが、舞はアパートに入るのを躊躇うように足取りが重かった。
サキたちはそんな舞を、まだ体の調子が悪くいつものように歩けないのだろうと思っていた。
「ほら、春彦、お母さんはまだ調子が戻っていないんだから、引っ張っちゃだめだよ。」
光一が、笑いながら春彦に言った。
しかし、舞は部屋に近づけば近づくほど、心が重く、足取りも重くなっていた。
どうしても、滅多に怒ったことのないというか、一度も怒ったことのない春繁の険しい顔を想像していた。
(あなた、本当にごめんなさい。
 大事な赤ちゃんを…)
そう思っているといきなり春彦に後ろから背中を押されていた。
「ちょっと、春彦。
 そんなに押したら…。」
そんな舞の気持ちを知らずに春彦は途中から舞の後ろに回り背中を押して、玄関の前に連れてきて、そしてドアを開け、中に舞を押し込んだ。
舞は、顔をそむける様に背中を押す春彦の方を振り向いていた。

「舞ちゃん、お帰りなさーい!」
玄関ドアに一歩踏み込んだ時に、悠美の明るい声が聞こえ、舞は、悠美の方に振り返った。
そして、舞の眼に飛び込んだのは、部屋中に日の光が差し込み、その中で、優しく微笑む悠美だった。
そこは悠美だけではなく、春繁やお腹にいた赤ん坊が舞の帰りを喜んでいるような温かなやさしい光に溢れた部屋だった。
「た…、ただいま…。」
舞が、玄関を上がったところで立ち尽くしていると、悠美が舞のところに歩み寄り、そっと舞を抱きしめた。
「舞ちゃん、お帰り。
 みんな、待っていたわよ。」
「悠美…。」
舞は一瞬声が出なかった。
「悠美…。
 ごめんね、そして、ありがとう」
「何、謝っているのよ。
 舞ちゃん、謝ることなんか、何もないわよ。
 一生懸命、頑張っていたじゃない。」
「悠美…。」
舞は年下の従妹が自分にとって誰よりも心が許せ、自分のことを救ってくれるかけがえのない存在だということを痛切に実感し、目頭が熱くなるのを感じていた。
そして、舞には悠美だけではなく、春繁や会うことが出来なかったお腹の子供が『おかえり』と、舞をやさしく包んでくれている気がして心の中の閊えが取れた気がした。
そんな二人のやり取りを聞きながら、キクやサキは自然と目頭が熱くなるのを感じ、目頭を押さえていた。

「さあ、皆さん、お腹が空いたでしょう。
 お弁当で申し訳ないのですが、お昼にしましょう。」
キクがそう言って、皆に早く部屋に上がるように促した。
「まあ、用意して頂いて、申し訳ございません。」
サキは丁寧にキクにお辞儀をした。
「舞ちゃん、食べ物は大丈夫なんでしょ?」
「そうね、まだ、刺激が強いものは控えてくださいって言われているけど、他には特に大丈夫。」
「じゃあ、座って、座って。
 春ちゃんは、唐揚げの入ったお弁当買ってあるわよ。
 光ちゃんも。
 さあ手を洗って、座って食べましょうね。」
てきぱきと指示する悠美に、皆、当たり前のように従っていた。
キクも一週間悠美と暮らしていたので、それが当たり前のようになっていた。
それから、舞を囲み、春彦、悠美、キクにサキ、そして光一とにぎやかな昼食の食卓にだった。
話しはもっぱら、悠美が泊まっている間の春吉の話で盛り上がっていた。
「そうなのよ、あの人ったら、毎日毎日、悠美さんのことをぼーっと見とれてばっかりで。」
「ええー、なんでぇ。」
「それは、お前がドジばっかりするからだろう。」
「ひどいな、光ちゃん。
 ドジらなかったわよ。」
「そうですよ、悠美さん、てきぱきとお手伝いしてくれて、それはそれは大助かりだったんですから。」
「えへへへへ。」
「お義母さん、そんなに褒めると、この子は直ぐに頭に乗りますからだめですよ。」
「舞ちゃん、ひどい。」
大笑いする一同を春彦はお弁当を食べながらニコニコして見ていた。

襲いお昼が済み、まず、光一とサキが車で帰って行った。
最初は、キクを送って行くと言ったが、キクは夕飯の買い物をしていきたいから電車で帰ると辞退した。

「さあ、じゃあ、私もそろそろ帰りますね。」
「お義母さん、いろいろとすみませんでした。」
頭を下げる舞の手を取ってサキはニコッと笑って言った。
「気にすることないわよ。
 いつでも、お手伝いに来るからね。
 悠美さん、いろいろありがとうございました。」
キクは、悠美の方を向いて頭を下げた。
「そんなキクちゃん、気にしないでください。」
「こら、悠美。
 お義母さんを“ちゃん”付しないの。」
慌てて注意する舞を、キクは制した。
「いいのよ。
 悠美さんが“ちゃん”付するのは、親しい人だからでしょ。
 私、その方が嬉しいわ。」
「えへへへ。」
「まあ。」
照れ笑いする悠美に舞もつい笑みを漏らした。

その夜、悠美の作ったハンバーグをお腹いっぱい食べた春彦は、舞と悠美のいる安心感と疲れから、そして自分の布団という3点が揃い、布団に入ってすぐに寝息を立てはじめた。
「まあ、春ちゃん、もう寝ちゃった。
 春ちゃんも、いろいろあったから疲れちゃったのね。」
悠美はそう言いながら、春彦の掛布団をかけなおしていた。
「でも、悠美が一番大変だったんじゃない?
 疲れてない?
 体調は大丈夫?」
「大丈夫よ。
 それより、晩酌は?」
「え?
 ああ、今日は止めておくわ。」
「でも、退院祝いに一口位なら…。」
「あら、悠美も言うようになったわね。
 じゃあ、ほんの一口だけ飲もうかしら。」
「うふふ、そうじゃなくちゃ。
 ちょっと待っててね。
 湯呑でいいかしら?」
「ええ、何でもいいわよ。」
甲斐甲斐しく用意をする悠美を見て、舞は何だか不安になっていた。
何か悠美の姿が透けて見えるような気がしてならなかった。

「はい、お待たせ。」
悠美が湯呑に入れた日本酒を舞の前に置いた。
「わあ、ありがとう。
 上げ膳据え膳ってこのことね。」
「大げさな。」
笑う悠美に舞はもう一度訪ねた。
「ねえ、あなた、体調大丈夫よね?」
「何言っているの。
 大丈夫よ。」
「私…、あなたまでおかしくなったら…。」
舞は、目頭が熱くなるのを感じた。
「舞ちゃん、何泣いているのよ。」
「泣いて何ていないわよ。
 久し振りのお酒で、酔っただけよ。」
「大丈夫、私が舞ちゃんと一緒に春ちゃんを見ててあげるから。」
「あら、いい人が出来たら?」
「その時はその時。」
悠美は複雑な顔をして寂しそうに笑った。
悠美の心の中は、まだまだ春繁でいっぱいだった。
「ごめんね。」
そんな悠美の心の中を察して舞が悠美の手を握った。
「ううん、舞ちゃんも寂しいもんね。」
「あら、大丈夫よ。
 春彦がいるから。」
そう言って舞は春彦の寝顔を見て微笑んだ。
「そうよね、だから、春ちゃんのためにも二人で頑張ろうね。」
「そうね、じゃあ、これからもよろしくね。
 悠美と話をしていたら元気になったわ。」
「わたしも。」
二人はお互いの顔を見合わせ、微笑んだ。

その夜は雲一つない穏やかな満月の夜。
月の光が、3人のいるアパートを優しく照らしていた。
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
その頃、病院ではサキが入院費、治療費の会計を済ませていた。
「お母さん、ごめんね。
 いろいろ世話を掛けちゃって。」
「何を言ってるのよ、水臭いこと言わないの。
 その性格が駄目なのよ。」
サキは、相談してくれれば今回のようなことにはならなかったのにと言葉に出しそうになったが、今の舞にはあまりにつらい言葉になるので、出かかった言葉を飲み込んだ。
「おかあさーん。」
病院の入り口の方から、春彦が笑顔で手を振りながら小走りに駆け寄ってきた。
「春彦。」
舞は春彦の名前を呼び、両手を広げ、春彦を抱きしめた。
「ほら、春彦、お母さん、まだ、ふらふらなんだから、力入れて抱きついちゃだめだよ。」
光一がそう言って近づいて来た。
「ふらふら?
 まあ、失礼ね、って言いたいところだけど、まだ力が出ないから本当のことね。
 光一、ありがとう、迎えに来てくれて。」
「どういたしまして。」
光一は、おどけるようにお辞儀をして見せた。
「おばあちゃん、会計、もう終わったの?」
「ええ、済んだわよ。」
「じゃあ、アパートに戻ろう。
 荷物は、これで全部かな?」
光一はそう言って舞の足元の着替えや日用品の入ってるバックを担ぎ上げた。
「あら、ありがとう。」
舞は、光一に向かって笑顔で礼を言った。
その笑顔は、悠美の様に人を惹きつける以前の舞の笑顔だった。
「さ、行こう。
 おばあちゃんも荷物は大丈夫?」
光一は、舞の笑顔に照れた顔をごまかすようにサキに声をかけた。
そして4人は車に乗り病院を後にした。
「一週間、あっという間だったわ。」
舞は遠ざかる病院を見ながらつぶやいた。
舞にとっては、一人で今までの自分と向き合い、これから前を向いて生きていくことを考えていた貴重な一週間だった。
それもこれも、悠美の一言から気持が変わったのだった。
(まだ、春彦がいるんだからねってか…。
 その通りよね。
 この子をしっかり育てないと、繁さんたちに怒られちゃうわ、)
舞は心の中でそう言いながら、助手席で楽しそうに外を眺めている春彦の横顔を見ていた。

「そう言えば、悠美とお義母さんは?」
舞は、ふと気になって光一に尋ねた。
悠美はわかっていたのだが、キクまで来るとは病院で光一から聞くまで、舞とサキは知らなかった。
「ああ、二人なら、アパートを掃除して舞ちゃんを待ってるって、アパートで。」
「ええー?!
 悠美ならいいけど、お義母さんまでまさか掃除させてないでしょうね?」
舞は、驚いたように言った。
「それは大丈夫でしょう。
 悠美なら、キクさんを座らせて、全部自分でやるはずよ。」
サキが、大丈夫という顔で言った。
「そうね、悠美なら大丈夫か。」
舞は納得したようにうなずいたが、心の中は穏やかではなかった。
そして、アパートに近づくにつれ、舞は気持ちが重くなってくるのを感じていた。
その理由は、これから帰るアパートでお腹の子を流産させてしまった後悔と、それを春繁が怒っているのでは、また、手に抱くことが出来なかったお腹の子が舞を責めているのではという自責の念があったからだった。
(あなた、ごめんなさい。
 お腹の赤ちゃん、ごめんなさい…。)
いくら前を向いて生きていこうと心に決めても、やはりなかなか割りきれるものではなく、舞はそんなことを考えながら、車窓の移り行く景色を、ただ眺めていた。

アパートでは、洗濯、布団干し、掃除と全部悠美がやっていた。
キクは自分もやると言い張ったので、悠美ははたきをかけるのだけをキクに頼んでいた。
掃除が一段落すると、二人して近所のスーパーに買い出しに出かけ、大荷物をふうふうと息を切らせて買ってきて、冷蔵庫にしまったりするのが、重労働だった。
その甲斐があって、冷蔵庫の中、流しの下の収納庫、お菓子置き場と食べ物でいっぱいになっていた。
「光ちゃん、待ってればよかったですね。
 荷物持ちに。」
「ふふふ、でも、それじゃびっくりさせられないでしょ。」
キクは椅子に座って笑いながら言った。
「そうですね。
 でも、これだけあれば、2、3週間買い物行かなくても大丈夫ですね。」
「あら、だめよ。
 お野菜とか生ものは持たないでしょ。
 それはそうだけど、悠美さんて、意外と力持ちね。
 お米とか重たくなかった?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
「そんな、華奢な腕で。
 さすがは、若さね。」
悠美は細身だったが、意外と力持ちで、重たいものは自分が持ち、かさばるけど軽いものをキクにと分担していた。
「さあ、そろそろ帰って来るわね。」
時計を見ると、昼の1時を回っていた。
「きっとお腹をすかせて帰って来るんじゃないかしら。
 春彦ちゃんも、舞さんも。
 お湯を沸かしておこうかしら。」
そう言ってキクは立ち上がり台所に立った。
「そうですね。
 じゃあ、私は買ってきたお弁当とかケーキを並べていますね。」
悠美はそう言ってキクの横で台ふきんを濯ぎ、テーブルを拭いて、スーパーの袋から買ってきたお弁当や総菜を並べ始めた頃、1台の車がアパートの前に止まり、春彦達の声が聞えてきた。
「あ、帰って来た!!」
悠美とキクは顔を見合わせ微笑んだ。
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
光一の車が春彦のアパート前に着くと、まず悠美とキクが車から降りた。
そして、光一が降りて春彦の荷物をアパートに運び込んだ。
「悠美の荷物は降ろしていいんだよな?
 今日、ここに泊るんだろう?」
「ううん。
 今日の分は、分けておいたの。」
そういって手提げバッグを見せた。
「車の中のスーツケースは、そのまま持って帰ってね。
 それで、スーツケースの中に制服が入っているんだ。
 くしゃくしゃになっちゃうから、家に帰ったらスーツケース出して部屋につっておいてね。」
「ああ、母さんに言っておくよ。」
「わかった。
 じゃあ気を付けてね。」
「任しておけって。」
そう言って、光一は春彦を乗せ、病院に向かって車を走らせた。

悠美は、アパートに入ると、カーテンを開き、換気のために窓を開けた。
窓から冷たいが新鮮な空気が部屋中に流れ込み、よどんだ空気を吹き飛ばしていった。
「うーん、良い空気だわ。」
悠美は窓際で深呼吸した。
部屋の中は、舞を救急車で病院に運んだあと、入院や立花家に泊る準備で、アパートに戻った時に片づけをしておいたので、綺麗なままだった。
「うーん、舞ちゃんと春ちゃんのお蒲団干したいなぁ。
 シーツも洗っちゃいたいけど、今、10時でしょ。
 乾かないかな。」
「悠美さん、乾燥機があるじゃない。
 それを使えば?
 乾燥機用の柔軟剤もあるから、大丈夫じゃない?
 それに布団乾燥機もあるし。」
キクが辺りを見渡していった。
「そうですよね。
 この際、お日様にこだわらなくても、洗っておいた方が気持ちいいですよね。
 うん、そうしよう、そうしよう。」
やることを決めると悠美の行動は早かった。
押し入れの中にしまってある舞と春彦の布団を取り出し、シーツや掛布団カバー、ピロケースをはがし、洗濯機の中に突っ込み洗濯をはじめると、敷布団や掛布団をベランダに並べた。
「さて、次は、部屋の掃除、掃除。」
あまりの手際よさに、キクは呆然としていた。
「いけない、いけない。
 つい、ぼーっとしていたわ。
 悠美さん、私も何か。」
キクは、悠美に話しかけた。
「キクさんは、冷蔵庫のチェックをお願いします。
 賞味期限の切れたものがあったら、捨てなくちゃならないし、そうそう、お米は大丈夫かしら。」
「わかったわ。
 こっちは私が引き受けるから、悠美さんはお掃除、お願いね。」
「はーい。」
悠美は笑顔で返事をした。

キクも悠美も前回来た時に冷蔵庫の中とか確認していなかった。
キクが冷蔵庫を開けると、中を見てショックを受けた。
冷蔵庫の中には、春彦用と思われるプリンとヨーグルトが少しだけ入っているだけで、他の食材はほとんどなく、がらーんとしていた。
野菜室もしおれた葉物と痛みかけたトマトが入っているだけだった。
「……。」
冷蔵庫を見て押し黙っているキクを見て悠美が不審に思い、キクの肩越しに冷蔵庫の中を覗き込んだ。
「え?」
悠美は、殺風景な冷蔵庫の中を見て、思わず声を上げ、次に米櫃の入っている台所の下を覗き込んだ。
そこには、申し訳なさそうな量のお米、日本酒の一升瓶の空瓶が数本転がっていた。
食器棚の下の棚にいつもはお菓子や煎餅が入っていたのだが、それも空だった。
「……。」
舞は、忙しさと寂しさから、春彦の分の食事は作ったが、自分は食欲がわかず、少しの惣菜、つまみの類とお酒で済ましていたのだった。
悠美やキクには、やつれながらも、春彦にご飯を食べさせ、春彦の笑顔だけを楽しみに、お酒を飲んで悲しみ、寂しさを紛らわせている舞の姿が想像できた。
「よほど、精神的に参っていたのね…。」
キクが、ぼそっと言った。
「私がもっとちゃんと様子を見に来ていれば良かった…。
 ちょうど推薦の面接やテストで最近来ていなかった…。」
悠美は自分が様子を見ていれば、もしかしてお腹の子もちゃんと生まれていたかもと自分を責めた。
「悠美さん…。」
今にも肩を落として悔し泣きをし始めそうな悠美の肩に、キクはそっと手を回した。
「私もそうよ。
 たまに来ても、冷蔵庫の中とか、ちゃんと食事をしているのか確認していなかったの。
 仕方なかったのよ、全て…。」
「キクさん…。」
キクの言葉を聞いて悠美は顔を上げた。
「そうですね。
 今更、くよくよしても仕方ないですね。」
悠美は泣き笑いのような顔を見せ、キクに言った。
「悠美さん…。」
「ねえ、キクさん。
 私、少しお小遣い持ってきているので、掃除が済んだら、一緒に冷蔵庫がパンパンになる位、食べ物を買いに行きませんか?」
悠美のその言葉を聞いて、キクは大きく頷いた。
「ええ、そうしましょう。
 悠美さんは大丈夫よ。
 今日は、うちの人から軍資金をたくさんもらってきたから、うんとたくさん買っちゃいましょう。
 そして、冷蔵庫をいっぱいにして舞さんを驚かせましょう。
 ついでにお菓子とかもね。」
「はい、そうしましょう。」
悪戯っぽく笑うキクを見て悠美も元気になっていた。
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
階段を降りてきた悠美をキクの傍にいた春吉も思わず目を見開いて魅いってしまった。
階段を降りてきた悠美は、今までと違い一段と光り輝くようなオーラを纏い、まるでさなぎが蝶に変わるよう、少女から大人の女性に変貌した様だった。
「悠美ちゃん、どうかしたの?」
光一の手伝いで荷物を運んでいる春彦も傍に来て、悠美の雰囲気が変わったことに気が付いていた。
「え?
 何が?」
「うーん、何か変わったような…。」
「何よ、もう。
変な春ちゃん。
 それよりも、光ちゃん着ているんでしょ。
 早く支度しなくっちゃね。」
悠美はそう言うと、春吉とキクに笑顔で会釈し、春彦の手をつなぎ客間の方に歩いて行った。
「びっくりした…、な、おい。」
春吉は悠美達の後姿を見送りながら口走った。
「ほんとう…。
 女の子って、ある時、急に少女から女性へと劇的に変防汚することがあるって聞いていましたが、まさか、眼も前で、こんなに…。」
キクも唖然としていた。
「一体、春繁の部屋で何があったんだろう。」
春吉とキクは、階下から二階の春繁の部屋の方を見上げていた。
だだ、キクは心に不安が渦巻いていた。
(悠美さんの光って、命を削っているみたい…。
 何か、怖いわ…。)

「おーい、悠美―!
 荷物は、これで終わりか?」
光一が玄関から客間の方に向かって声をかけた。
「聞こえているかしら?
 私、行ってくるわね。」
キクがそう言うと、客間の方から悠美と春彦が手荷物を持って戻って来た。
「あ、光ちゃん、ありがとう。
 大きい荷物、もう運んでくれたんだ。」
悠美がにっこりと笑って言った。
「ああ、待っている時間がもったいなかったからな。
 あれ?
 悠美、お前、どうかしたか?」
光一も悠美の変化に気が付いたが兄妹のためか、そんなに気にはしていなかった。
「何か、いいもの食べたか?」
「え?
 なんで?」
「いや、なんか肌が綺麗かなって。」
「あら、珍しいこと言うのね。
 うーん。
 あっ、昨日の夕食で春菊食べたわ。」
「あ、それか!」
キクは、そんな光一と悠美のやり取りを、今度は半ば呆れたように聞いていた。
「キクさんも、車に乗って行かれんですよね?」
「はい、すみません。
 よろしいですか?」
「ええ、大丈夫です。
ただ、狭いので、しばらく我慢してくださいね。
で、支度はいいんですか?」
「ええ、私は泊まったりするわけではないので、これだけです。」
キクはそう言って、ハンドバックを見せた。
光一は、それを見て頷いた。
「それじゃあ、そろそろ行きましょう。
春彦は助手席かな。
悠美と立花さんは後ろの席でお願いします。」
そう言って、光一は車に向かって歩き出した。
「じゃあ、あなた、行ってきます。」
キクは春吉に向かって言った。
「ああ、じゃあ、舞さんに会ったら、何でも手伝うことがあったら遠慮せずに言うように伝えてくれ。」
「はいはい。」
「悠美さん。」
「はい?」
悠美は、急に春吉に名前を呼ばれ、慌てて春吉の顔を見た。
「一週間、ご苦労様でした。
また、いつでも遊びに来てくださいな。
 そうだ、今度は舞さんと一緒にいらっしゃい。
 お風呂や美味しいご飯を用意しておくから。」
「はい。
 ありがとうございます。」
悠美はにっこりと笑って返事をした。
「春彦は、また、すぐに会えるからいいな。
 お母さんのお手伝いするんだよ。」
春吉は眼を細めて春彦に向かって優しく言った。
春彦は、「はーい」と元気よく返事をした。
そして、春彦と悠美は声を揃えて「お世話になりました!」と挨拶をして車に乗り込んだ。
光一の車が出発すると、春吉は4人の乗った車が見えなくなるまで、玄関の外で見送っていた。

光一の運転する車の中で、春彦は始終ご機嫌だった。
好きな車の助手席に乗れたのと、この後、舞を迎えに行けると思うと尚更、笑みが凍れてきた。
「まあ、春ちゃん、ご機嫌だこと。」

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