プロフィール

梅星

Author:梅星
社会人になっても、いつもいろいろな空想の世界を思い描いていました。
その中で、ずっと書きたかったお話(小説)をブログという世界を使って紹介させていただきます。
無理なく肩の力を抜いて続けていきたいと思いますので、楽しんでいただけたらと思います(毎週更新予定です)。
初めて読まれる方は、『あらすじ』も並行して読んでいただければ、読みやすいかと思います。
お楽しみください。

尚、文中の登場人物、会社等すべてフィクションです。


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DATE: CATEGORY:第5章 悠美の楽しみ
春繁は、そっと、悠美が寝たのかを確かめ、抱きかかえて、悠美の布団に寝かせた。
「悠美、寝たの?」
そーっと、障子を開いて舞が春繁に声をかけた。
「ああ、ぐっすりだね。」
「悠美は、寝つきが良いし、一度寝ると朝までぐっすりだから、手が掛からないわね。」
「ああ、舞も片付け終わったんだろ?
 お風呂に入って、一杯飲むか?」
「さんせーい。
 じゃあ、さっさと入ってくるわね。」
舞は、楽しそうに言って風呂場に入って行った。
しばらくして、舞がお風呂から出てくると、春繁は新聞の夕刊を読んでいた。
「繁さん、テレビつけても大丈夫よ。
 悠美、大概の音では目を覚まさないから。」
「うん。
 でも、良いテレビやっていないし、悠美の寝顔を見てる方が楽しいよ。」
「まあ。
 まるで、親ばかじゃない。」
舞は、思わず吹き出した。
「そっかな。」
少し照れくさそうに春繁は答えた。
「じゃあ、お酒の支度でもするか。」
「あっ、いいわよ。
 座っていて。
 私が用意するから。」
「そうかぁ。
 すまないな。」
そんな会話をしながら、舞は日本酒の支度をしてきた。
2つの湯飲み茶わんに日本酒を注ぎ、その一つを春繁の前に置いた。
「じゃあ、お疲れ様。」
「お疲れ様。」
二人は乾杯して、お酒を一口飲んだ。
「あー、美味しい。」
舞がそう言うと、春繁は笑いながら言った。
「酔っぱらって、悠美の上に倒れるなよ。」
「もちろん、倒れるとしたら、繁さんの上に決まっているでしょ。」
「おお、どんとこい。」
そう言って、二人は楽しそうに笑った。
「でも、今日のコロッケ、美味しかったよ。」
「食堂のと、どっちがおいしかった?」
「決まっているだろう、我家の方だよ。」
「ならば、よし!」
また二人は笑いあった。
「でも、懐いてくれていることもあるけど、悠美は可愛いわね。」
舞は、悠美の寝顔を見ながらしみじみ言った。
「さっき、二人で、洗面所で歯磨きしていたでしょ。
 まるで、親子みたいだったわよ。」
「そっちも、夕飯の片づけしているところ、仲のいい親子みたいだったぞ。」
「私たちに子供が出来たら、こんな感じかしら。」
「そうだろうな、お互い、子供が好きだからな。」
「そうね。
 そろそろ、ほしくなっちゃった。」
「僕もだよ。」
二人は目くばせして、微笑みあった。

翌朝、春繁が目を覚ますと、目の前に悠美の笑顔があった。
「繁おじちゃん、おはよう。」
「ああ、おはよう。」
春繁は、そう答えて悠美を見ると、悠美は既に洋服に着替えていた。
そして、台所の方から、舞が朝食の支度をしている音が聞えていた。
「繁おじちゃんが、一番のお寝坊さんでした。」
「あら、繁さん、起きたの?
 悠美ぃ―、まさか、繁さんを起こしちゃったの?」
「ううん、違うわよ。
 繁おじちゃん、自然に目が覚めたんだから。
 でも、起きてって思いながら、顔を見ていたんだけど…。」
そういって、悠美は小さく舌を出した。
「まったく、繁さん、仕事で疲れているんだから…。」
舞は、それ以上、悠美を怒れずに、苦笑いをした。
「ああ、大丈夫だよ。
 ぱっちり、目が覚めて、気分も爽快だから。」
春繁は、悠美の期待に添うべく、返事をした。
悠美は、にこにこしながら春繁の顔を見ていた。
「さあ、じゃあ、僕も着替えなくっちゃ。」
春繁は、そう言って起き上がり、笑っている悠美の頭を軽く撫で、着替えを始めた。
「ちょうど、朝ごはんも出来たところなの。
 繁さん、悠美、手と顔を洗ってきてね。」
「はーい。」
また、春繁と悠美は声を揃えて返事をした。
舞は、半分あきれて、肩を竦め、台所に戻って行った。
春繁と舞は洗面所で、交互に手と顔を洗って、朝食の並んでいるテーブルに座った。
「今朝は、悠美のリクエストでパンなの。」
テーブルの上には、目玉焼きやソーセージ、牛乳、それに菓子パン、惣菜パンが並んでいた。
「わーい、やったー。」
悠美はそういって、早速、中にクリームが入っていて、上にチョコレートが掛かっている菓子パンを手にとった。
「いただきまーす。」
悠美はニコニコしながら、『いただきます』をした。
「はい、召し上がれ。
 たくさん、食べてね。」
舞も、笑顔でこたえた。
春繁は、そんな二人をまじまじと見つめていた。
舞は、その視線に気が付き、尋ねた。
「ん?
 繁さん、どうかしたの?」
「いや、二人がニコニコしていると、なんだか、家の中が明るく、暖かく感じていいなぁって思ってさ。」
「あら、まるでいつもは、私が怖い顔しているようないいかたじゃない?」
舞は冗談で、少し怒った口調でいった。
「いや、そうじゃなくて、なんて言うんだろう…。」
「うん、私にもわかるから、大丈夫。
 さあ、繁さんも好きなパンを取ってね。
 繁さん、甘いのよりも、カツサンドとか卵パンとかあるからね。」
「おお、じゃあ、メロンパン。」
「何でよ!」
春繁と舞は楽しそうに笑った。
悠美もそんな二人を見て、楽しそうに笑った。
舞と春繁も思いおもいにパンを取って食べ始めると、玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろう、こんな朝早く。」
春繁が怪訝そうに言った。
舞は、時計を見てから、悠美に話しかけた。
「ということは、誰が来たんでしょう。」
「あっ、お兄ちゃんだ。」
「たぶんね、二人で見に行こうか。」
「うん。」
舞と悠美が玄関に出て、チャイムの主を確認した。
「どちらさまでしょうか?」
悠美が大人ぶった言い方をすると
「悠美?
 僕だよ、光一。」
「光一?
 どこの光一様ですか?」
「悠美!」
玄関先で、光一の焦れた声が聞こえた。
「ほら、悠美。
 あんまり意地悪しないで、開けてあげなさい。」
「はーい。」
ドアを開けると、光一が玄関先に立っていた。
「さあ、光ちゃん、入ってね。」
舞が、そう促すと、光一は頷いて入ってきた。
「舞さん、おはようございます。」
「はい、おはよう。」
「光一か、早いな。
 さあ、上がった上がった。」
奥から春繁が顔を出し、光一を手招いた。
「あ、繁おじさん、おはようございます。」
「うん、おはよう。
 さあ、こっちに来て。」
春繁がそういうと、悠美が光一の手を引いて朝食の並んでいるテーブルに連れていき、自分の横に座らせた。
舞は、予想していたかのように、光一の分の目玉焼きや牛乳を光一の前に置いた。
「光ちゃん、朝ごはん、食べていないでしょう。
 一緒に食べましょう。」
「食べずに来たのか?
 じゃあ、お腹ペコペコだろう。
 好きなの取って食べなさい。」
光一は、一瞬、どうしようかとためらったが、すぐに、空いているお腹を感じて卵パンを手にとった。
「でも、何で僕が朝ごはん食べていないって、わかったんですか?」
光一が怪訝そうに尋ねると、舞は、悠美を指さした。
「私がね、お兄ちゃん、絶対に朝ごはん食べないで来るよって、舞ちゃんに言ったの。」
悠美が、そう言うと、光一は納得した様に頷いた。
(だって、昨日、ここに来る前に、朝ごはん食べないで行くからねって、悠美に言ったんだったよな。)
「じゃあ、いただきます。」
にこにこと元気な声でいう光一を見て、春繁と舞は、また、笑った。
「あれ?お兄ちゃん、入ってきてから、手を洗った?」
悠美が、鋭く注意した。
「あっ!」
光一は、そそくさと洗面所に行き手を洗って戻ってきた。
悠美も光一も、もう何度もこの家に来ているので、まるで、自分の家の様に振る舞っていた。
「じゃあ、もう一度。
 いただきます。」
「召し上がれ。
 ちゃんと噛んで食べるのよ。」
悠美がおせっかい焼の様に言った。
「光一も、悠美にはたじたじだな。」
春繁が愉快そうにいうと、光一は、どうしたもんかと言わんばかりに複雑な顔をした。
光一は悠美と6歳年上で、すこし、間が空いているので、悠美のことを可愛がっていた。
なので、悠美に何を言われても、別に悪い気はしないのだが、春繁にからかわれ、悠美に何か言う訳にも、また、春繁に何を言っていいのかわからず困っていた。
舞も、そんな光一の顔を見て、笑いをこらえていた。
その日は、朝食後午前中、春繁は光一と悠美を近所の公園に連れていき、キャッチボールをしたり、公園の遊具で二人を遊ばせたりしていた。
舞は、朝食の片づけや、掃除洗濯など家事を終わらせてから、公園で3人に合流した。
昼食は、昨日のカレーを食べ、午後は皆部屋で、カードゲーム等ゲーム三昧で、あっという間に夕方になっていた。
外でも、家の中でも、常に中心には悠美がいて、屈託のない笑顔で楽しんでいた。
「さあ、光ちゃんに悠美は、そろそろお家に帰らなくっちゃ。」
「はーい。」
舞がそういうと、二人はしぶしぶ、返事をした。
「まだ、居たいな。」
「何を言ってるの。
 もう遅いし、明日、学校があるでしょ。
 早く帰って、宿題のまとめをしなくっちゃ、ね。」
悠美が正直な感想を漏らしたが、舞に促されしぶしぶ帰り支度をしていた。
そんな悠美を見て春繁は笑いながら言った。
「そんなに、暗い顔しないの。
 また、今度、遊びにおいで。
 二人なら、いつでも大歓迎だから。」
「そうよ、また来ればいいんだから。」
舞も、合いの手を入れるように言った。
「うん、また来るね。」
悠美は、ぱっと笑顔になった。
「はい、また来ます。」
光一も笑顔で言った。
「繁さん、二人を駅まで送って来ます。
 ついでに、帰りに買い物して帰ってくるから、家でのんびりしていてね。」
舞がそういうと、春繁は一瞬考えこんでから笑顔で言った。
「僕も、駅まで送っていくよ。
 買い物も一緒に行きたいし。」
「繁おじちゃんも駅まで来るの?
 やったー。」
悠美は小躍りして喜んで見せた。
「大丈夫なの?
 疲れていない?」
舞は、心配そうに春繁の顔を覗き込んだ。
「だいじょうぶだって。」
そう言って、4人は家を出た。
悠美は当然の様に春繁の手を握って、にこにこしながら歩いていた。
そして、悠美の反対に手は光一の手を握っていた。
「えー、私は?」
一人取り残された舞が、抗議の声を上げた。
「舞は、こっち。」
そういうと、春繁が空いている方の手を差し出した。
「やったー。」
舞は、嬉しそうに言うと、その春繁の手を握った。
道が空いていたので4人は手をつないで歩いて駅まで向かった。
「何か、童謡にでも出てきそうな世界だな。」
春繁は、不思議そうに言うと、舞は、春繁にもたれかかれようして言った。
「まあ、いいじゃない。
 何か幸せって感じ。」
「そうだな。」
駅に着き、舞が光一と悠美に家までの切符を買って渡した。
別れ際に悠美が、春繁と舞の前ではちきれんばかりの笑顔で言った。
「とっても楽しかった。
 私、幸せ。
 繁おじちゃん、舞ちゃん、ありがとう。
 また、くるね。」
「うん、また、いらっしゃい。」
「待ってるよ。」
「うん、じゃあね。
 今度は、お兄ちゃんもお泊りするって。」
「悠美、そんなこと言っていないよ。」
光一と悠美は、ふざけながら電車に乗り込んでいった。

二人の乗った電車を見送って、春繁と舞は駅を後にした。
「台風一過とは、このことだな。」
「そうね、急に静かになっちゃったね。」
「ああ、じゃあ、家に帰ってから大人の時間ということで、一杯飲みますか。」
「賛成!」
舞は、春繁の腕に抱きついて笑顔でこたえた。
「じゃあ、夕飯のおかず兼お酒のつまみということで、何にする?」
「うーん、たまには、アサリバターや、エイヒレ、当たり目かな。」
「それって、全部、お酒のつまみじゃないの。」
舞が、呆れた顔をして言った。
二人は、なんだかんだ言いながら、スーパーで夕飯のおかずというか、お酒のつまみを買って家に帰った。
「ねえ、悠美みたいな子どもだったらいいね。」
舞は、小さい頃から面倒を見ている悠美が可愛くて仕方なかった。
「でも、光一みたいな男の子でもいいな。」
「そうね、光ちゃん、悠美には、すごく優しくて、面倒見がいいのよ。
 そういう子でもいいな。
 ね、最初は、どっちがいい?
 男の子?女の子?」
「うーん、どっちもほしいな。」
「えっ、それって双子?」
「あはは、それも面白いかも。」
「えー、たいへんだって、誰かが行ってたわよ。」
「ああ、別に双子じゃなくてもいいし、どっちでもいいよ。
 舞の子供なら、きっと、どっちもいい子だろうし。」
そう言いながら、春繁は、そっと、舞を抱き寄せた。
「あ、ちょっと。
 まだ、明るいって…。」
「いいじゃん、昨夜は悠美がいたんだから。」
「もう、夜まで待てないの?」
「待てないの。」
「もう…」
そう言いながら、二人は重なり合ってひとつになった。

二人は幸せな時間を過ごした後、舞は身支度を整えた。
「さきに、お風呂に入ってて。
 その間に、お酒の用意と夕飯の支度をしているから。」
舞は、機嫌よく春繁に言った。
「わかった、そうするよ。
 夕飯は、お酒のつまみがあればいいから、僕が出たら、舞もお風呂入っちゃえば。」
「うん、そうするね。」
舞は、鼻歌を歌いながら、台所で支度を始めていた。
(舞は、やっぱり、いい女だな。)
春繁は、そんな舞を見て充実感のようなものを感じていた。

「なあ、立花。
 お前、南雲と付き合ってるんだって?」
新歓コンパのあと、1カ月くらいたったある日、春繁の友人がうらやましそうに声をかけてきた。
「ああ、見ての通り。」
春繁も別に隠すことなく素直に答えた。
「やっぱり、あの新歓コンパの後か。」
「ああ、お前たちがしこたま飲ませたおかげだよ。
 まったく、たいへんだったんだぜ。」
「何言ってるんだよ、嬉しそうな顔をして。
 南雲って、スタイルいいし、顔も可愛いじゃん。
 しかも性格が明るくていいって先輩が言ってたし。
 俺が送って行けばよかったな。」
「馬鹿か。
 人に押し付けて、自分たちは結局、朝まで飲んでいたんだろう。」
「違いない。
 あっ、噂をすれば。」
春繁は友人の差す方を見ると、少し離れた廊下の角から、舞が出てくるのが見えた。
舞もすぐに春繁に気が付き、万遍の笑顔を見せ、大きく手を振って速足で向かってきていた。
「いいなぁ。
 俺もあんな彼女がほしいわ。」
「確かに……。」
春繁も、輝くような笑顔を見せている舞を見つめ、つくづく思った。
「何、ジロジロ見ているの?」
いつの間にか、春繁の傍に立っている舞が怪訝そうな顔をして聞いた。
「い、いや、べつに。」
「ふーん、なんか変なの。
 あっ、田中さん、こんにちは!」
舞は、目ざとく春繁の友人を見つけ挨拶した。
「よっ!
 南雲ちゃん。
 今日も元気だね。」
「はい。
 まあ、元気だけが取り柄ですから。」
舞は笑顔で応えた。
「ねえ、繁さん。
 お昼まだでしょ?
 一緒に学食で食べない?
 田中さんも一緒に。」
「いや、僕は、学食の味はいまいちで。
 外で食べてくるから、二人で行ってきて。」
「えー、学食って安くて美味しいのに。」
「まあまあ、こいつ、意外とグルメだから。」
「意外とは、余計だって。」
田中はそう言うと、手を振りながら、二人から離れていった。
「だけど、学食のコロッケ、美味しいのになぁ。」
「まだ言ってる。」
春繁はゲラゲラと笑った。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない。」
「わっ!」
舞の笑いながら、しっかり春繁の背中を叩いた。

付き合い始めてすぐ、二人はお互いをどう呼び合うか相談していた。
「南雲さんは、舞ちゃんかな。」
「あっ、それ皆に言われているの。」
「え?
 じゃあ、嫌?」
「ううん。
 男の人にそう呼ばれるのは初めてで、なんかこそばゆいけど、それで、お願いします。」
「了解、舞ちゃん。」
舞は、少し恥ずかしそうにしていた。
「立花さんは、どうしよう。
 立花さん?
 たち?
 春繁だから、そのまま?
 でも、なんかピンとこないなぁ。
 春さん?
 うーん。」
「あっ、ちなみに、僕の親父、『春吉』っていうんだ。」
「えー、じゃあ、紛らわしくなるから、却下ね。」
舞はそう言いながら眉間に皺を寄せて真剣に考えていた。
そんな、舞を春繁は楽しそうに見つめていた。
「あっ!」
舞は、電球にぱっと灯ったように、明るい顔になった。
「『繁さん』って、どうですか?
 『繁ちゃん』だと、なんか安っぽいし。」
「安っぽい?」
春繁は、不思議そうな顔をした。
「繁さん、繁さん、しーげさん。
 決定!
 今日から、あなたは『繁さん』です。」
舞が嬉しそうに言うのを見て、春繁は二言もなく頷いた。

春繁はゆっくりとお風呂で時間を過ごし、出てきたころには、テーブルにアサリバターや燻った当たり目、そして、アジの開きなどが並んでいた。
舞は、春繁を見ると、どうだと言わん顔でテーブルを指さした。
「おお、りっぱな食卓だ。
 さあ、お風呂に入っちゃいな。
 お酒飲むの、待っているから。」
「いいわよ、私時間が掛かるから、先に飲んでいて。」
舞は、そう言ってお風呂場に消えていった。
春繁は、夕やけから夜のとばりが降りようとしている外の風景をぼーっと見つめていた。
(いい感じだな。
 舞と居ると、心地いいし。
 後は、悠美や光一みたいな家族が増えると、楽しいだろうな。)
そんなことを考えながら、ぼーっと涼んでいると、ぱたぱたと舞が御風呂から出てきた。
「あら、繁さん、待っていなくていいって言ったのに…。」
「いいじゃないか、湯上がりの色っぽい奥さんと晩酌なんて、おつじゃないか。」
「えー、何か繁さん、エロ爺さんみたいなこと言って。」
舞はけらけらと笑って言った。
確かに、お風呂上がりで上気した顔の舞は、年相応の色気があり、春繁は食い入る様に舞の顔を眺めていた。
「もう、そんなに見ないで。」
舞は、恥かしそうな顔をして、台所にいった。
「ねえ、ビールと日本酒、どっち、飲む?」
「そうだね、お風呂上がりだから、まずは、ビールと行こうか。」
「賛成!」
舞は、台所から冷えたビールとコップを2つもってきて、一つを春繁に手渡し、ビールを注いだ。
春繁も、ビールの瓶を舞から受け取り、舞のコップにビールを注いだ。
「かんぱーい。」
二人は、各々、ビールを飲んだ。
「おいしー、喉、カラカラだったの。」
「やっぱり、最初の一口は、たまらないよな。」
「うん。
 あと、冷酒も買って、冷やしてあるからね。」
「おお、よく気が付く奥さんだ。
 最高だね。」
「うふふ、ありがと。」
二人は、ゆっくりお酒を飲んだり、つまみを食べて、休日を満喫していた。
「そうそう、悠美たちは無事に着いたのかな?」
「あ、ごめんなさい。
 繁さんが御風呂に入っている時、悠美から『着いたよ』コールがあったの。
 すごく、楽しかったって。」
「そうか、それならいいや。」
「繁さん、お疲れ様でした。」
舞が春繁を労うと、春繁も舞を労った。
「舞の方こそ、いろいろとご苦労様でした。
でも、今回は、夜中に悠美に蹴られなかったなぁ。」
「あら、私は、しっかりパンチをもらったわよ。」
二人は、悠美が来てから帰るまでのことを思い出すように、笑いながら話し合っていた。
夕飯の片付けも終わり、春繁と舞は布団に横になった。
舞は、ふざけて布団の上を転がって、春繁に体当たりをした。
「いたっ!
 もう、悠美と違って、大きい子供なんだから。」
春繁は笑いながらいった。
そして、舞が自分の布団の方に戻ろうとした時、その腕を掴んで、自分の方に抱き寄せた。
「えっ?」
舞は、びっくりしたように、春繁を見つめた。
「うーん、色っぽい奥さんが尋ねてきたら、お構いしないわけにはいかないでしょ。」
春繁は笑顔で、舞を抱きしめた。
「だって、さっき…。」
「さっきは、さっき。
 今は、今。」
「けだものぉ。」
「がお。」
「繁さんて、ひょっとして、私の身体が目当てで結婚したの?」
「身体も心も、全部だよ。」
「もう。」
舞は抗うことなく、逆に、春繁に抱きついていった。
そうして、また、二人の幸せな時間がめぐってきた。
いつまでも、いつまでも、と言わんばかりに。
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DATE: CATEGORY:第5章 悠美の楽しみ
「ねえ、舞ちゃん。」
「ん?
 なに?」
「舞ちゃんて、体がそんなに細いのに、胸とか大きいね。」
「え?
 なに、いきなり。」
舞は、突飛な話に面食らっていた。
「私の胸なんかぺったんこ。
私も、舞ちゃんみたいにスタイル良くなるかなぁ。」
舞は、どちらかというと細身の体形でワンピースやスカートではなく、ラフなチェックのブラウスとぴっちりしたGパンが好きだった。
「まっ。
 お間瀬さんね。
 小学1年生がボインボインだとおかしいでしょ。」
「だって、本当に舞ちゃんてカッコいいんだもん。
 脚は細くて長いでしょ。
 ウェストなんてくびれているし、この前テレビで見たモデルさんみたい。」
舞は、思わず吹き出していた。
「こらこら、そんなにお世辞言って、何がほしいのかな?」
「そんなんじゃないもん。」
悠美は少し拗ねて見せた。
「悠美。」
舞は悠美を手招きし、自分の膝に後ろ向きで座らせ、後ろから優しく抱きしめた。
ほあっとした舞の香りと背中に触れている舞の胸の柔らかさで悠美はうっとりしていた。
「何言ってるのよ。
 悠美も大きくなったら、きっと私より美人になるわよ。」
「そうかな。」
「そうよ。
 あと、私が持っていなくてうらやましいのを悠美は持っているし。」
「え?
 なに?」
悠美は振り向いて聞いた。
「それはね、この真っ直ぐな黒髪。
 長くてしなやかで、触り心地が良くて。
 私なんて、くせっ毛だからこんなに伸ばせないわ。」
悠美の髪は、肩の下あたりまで伸びていた。
「ほんと、枝毛もなく、きれいね。」
舞に、髪を撫でられ、悠美はうれしそうな顔をした。
「私、舞ちゃんに髪を撫でられるの、大好き。
 でも、舞ちゃんも、その髪型、かっこいいじゃない。」
舞は、少し長めのウルフカットだった。
「そう?
 でもね、繁さん、長い髪の女の人が好きなのよ。
 それも、悠美みたいな長い真っ直ぐな髪が。」
「え?
 そうなの?」
「私もほんとうはショートにしたいんだけど、これ以上短くすると、繁さん、泣いちゃうから。」
「ふーん、私、舞ちゃんみたいな髪型にしてみたいなって思っていたのに。」
「あーら、たいへんだ。
 そんなことしたら、繁ちゃん、号泣ものよ。」
「ごうきゅう?
 ごうきゅうってなに?」
「え?
 号泣って、目から涙が、こう『ぴゅー』って吹き出すほど大泣きするっていうことよ。」
舞は、そういうと両目に手を当てて大げさに、左右に伸ばして見せた。
「そんなに、涙が出るの?」
「そうよー。」
そう言って、二人は笑い転げていた。
「でも、繁おじちゃん背が高いよね。」
「そう。
 170㎝の後半だからね。
 舞は身長いくつ?」
「この前の身体検査じゃ、120㎝位。」
「じゃあ、50㎝以上離れているもんね。」
「この物差し、2つ分かぁ。」
そう言って悠美はランドセルに差していた30cmの物差しを指さした。
「舞ちゃんは?」
「私?
 私は、160㎝くらいかな。」
「うわ、でっかい。」
「こら、でっかいとは何よ。
 ゴジラじゃないんだからね。」
そう言って舞は悠美を後ろから羽交い絞めし、その手をクロスさせ脇をくすぐった。
「きゃあ、ごめんなさい。」
悠美は、くすぐったがりながら、舞の腕の中で悶えていた。
「で、でも、繁おじちゃんも結構細いよね。」
悠美は息を切らしながら、懸命に話題を変えた。
「そうね。
 でも、学生の時から、すごく食べるのよ。
 それなのに、どうして太らないんだろう。」
「それは、舞ちゃんも一緒じゃない。
 二人とも、よく食べてよくお酒を飲んで……。」
「よく笑ってね。」
そう言って、舞はまた悠美をくすぐりまくった。
「きゃはははは、か、勘弁しちくれー。」
悠美の笑い声と、舞の笑い声が部屋中にこだましていた。
 
夕方、未だ明るい時間に春繁は家に帰ってきた。
「ただいま。」
そう言って家の中に入ると
「おかえりー」
と、舞と元気な悠美が出迎えた。
「おお、悠美、来たね。
 いらっしゃい。」
「おじゃましてまーす。」
悠美はそういうと、ちょこんと頭を下げた。
「あら?
 さっき家に来た時は、『ただいまー』って飛び込んできたのは誰だったかしら?」
舞は、笑いながら言った。
「もう、舞ちゃんたら。
 いいでしょ。」
悠美は、ちょっと怒ったふりをした。
「繁おじちゃん、あのね、いま、舞ちゃんのお手伝いで、コロッケ丸めてるの。」
「え?
 今日はコロッケか?」
「そうよ、卵焼きとカレーとコロッケよ。
 コロッケカレー。」
舞が悪戯っぽく言った。
ネクタイを外しながら春繁もすぐにピンと来たように笑った。
「コロッケカレーか、懐かしいな。」
「そうでしょ、それに今日は、悠美が手伝ってくれているんだから、余計に美味しいわよ。」
「そうか、じゃあ、尚更、楽しみだな。」
「えへへへ。」
悠美は、はにかんで笑った。
「じゃあ、僕は、お風呂に入って汗を流すね。
 さっぱりしてから、美味しいご飯にありつこうっと。」
「ええ、お風呂、沸いているからね。」
「サンキュー、奥様。」
「どういたしまして。」
春繁と舞の楽しそうなやり取りを、悠美も楽しそうに聞いていた。
春繁はそう言うと、さっさとお風呂に入った。
春繁がお風呂に入ると、急に悠美がもじもじとし始めた。
舞は、そんな悠美を見て、笑いながら言った。
「悠美、お手伝いはもういいわ。
あと、コロッケを揚げるだけだから。
 悠美も、繁ちゃんとお風呂に入ったら。」
「本当!?」
その一言に悠美は顔を輝かせた。
舞は、笑いながら頷いた。
「じゃあ、また、お風呂から出たらお手伝いするからね。」
そう言って、悠美はそそくさとお風呂場に行き、裸になりお風呂場のドアを開けた。
「繁おじちゃん、一緒に入ろー」
「おお」
春繁も、笑いながら答えた。
「もう、小学1年生になっても、おじちゃんとお風呂かしら。」
舞は笑いながら脱ぎ散らかした悠美の服を片付け、悠美のために、バスタオルとパジャマを出しておいた。
「ねえ、繁おじちゃん、聞いてよ。」
「ん?なに?」
春繁は、悠美の長い黒髪を洗いながら聞いた。
「うちのクラスの男子って、おばかばっかりなの。」
「え?なんで?」
「だって、漢字の書き取りが出来なくて、嫌ってほど宿題を出されたのよ」
「ええー?
 小学校の1年から書き取りの宿題が出てるんだ。
 あ、悠美、シャワー掛けるから。」
「うん。」
春繁は慣れた手つきで悠美の髪を洗い、シャワーでシャンプーを洗い流した。
悠美は、春繁の大きな手でシャンプーされるのが好きだった。
次に春繁は悠美の髪にリンスを付けていた。
「そうなの。
 だから、さっきまでずっと、書き取りの宿題やってたのよ。」
「あははは、たいへんだな。
 でも、小学校は楽しい?」
「うん、お友達がいっぱい出来たから、面白いの。」
「そっか、それは良かったね。
 さあ、今度は、リンスを流すからね。」
「うん。」
リンスを流した後、悠美は湯船につかり、その間に、春繁は自分の髪から身体を洗っていた。
「繁おじちゃんも、小学校の時、宿題、たくさん出た?」
「うーん。覚えていないな。
 それより、しょっちゅう、立たされていたのは覚えているけど。」
「え?なんで?」
悠美は、春繁が良く立たされたということに興味を持ち、湯船から身を乗り出して聞いた。
「うーん、僕が小学校の時、忍者のテレビが流行って、皆で忍者ごっこしていたんだよ。
 それも授業中に。
 『この葉隠れの術!』なんていって、机の下に隠れたり。」
春繁は、身ぶり手振りジャスチヤ―を交えて悠美に説明した。
悠美はそのたびに、ワクワクして春繁の話を聞いていた。
「それで、先生に見つかって、『立花君、廊下で立って修業しなさい』ってね。」
「あははは、繁おじちゃん、だめだめだったんだ。」
悠美は、ケラケラ笑って言った。
「まあ、なんて楽しそうなのかしらね。」
舞は、風呂場から聞こえてくる悠美の笑い声を聞いて、つい顔をほころばせた。
「出たよー。」
春繁と悠美の声が重なって、お風呂から上がったことを知らせる声が聞こえた。
「バスタオルとか、パジャマ、出しておいたからね。」
「はーい。」
仲良く二人の声が重なって、舞は、こらえきれず、ゲラゲラ笑ってしまった。
「なんか、舞ちゃん、笑っているよ?」
「いいの、舞ちゃん、笑のツボに入っただけだから。」
「笑いのツボ?」
「あとで教えてあげるね。
さあ、風邪をひかないように、よく身体を拭くんだよ。」
「えー、面倒くさい。」
悠美は、期待を持ったような声を上げた。
「しかたないなぁ、ほら。」
春繁は悠美のバスタオルを取り、髪をごしごしと吹き始めた。
「あわわわわ…。」
悠美はおかしそうに声を出した。
「髪の毛を拭いてもらっている時に声を出すと、面白い声になるの知ってた?」
「えー、それは知らなかったな。」
春繁は悠美の髪の拭くとバスタオルを肩にかけた。
「あとは、自分でちゃんとね。」
「はーい。」
悠美は満足したような声を上げた。
二人が、パジャマを着たころ、舞が頃合を見計らってか、声を掛けてきた。
「さあさあ、二人とも、こっちに来て冷たいものでも飲みなさい。」
「はーい。」
春繁と悠美は、また、一緒に返事をした。
「もう。」
舞は呆れたように笑った。
春繁と舞のアパートは和室の6畳と八畳の一間ずつと台所、あと、このタイプには当時珍しい、トイレと浴室付だった。
窓に面した和室が寝室、真ん中の和室がリビング兼舞の仕事場であった。
リビングとして使用している部屋にはテレビやオーディオがあり、そこでテレビを見たりくつろぐことが出来た。
「あ、今何時?」
悠美がいきなり時間を気にして言った。
「今?
 5時半だよ。」
春繁が何事かと答えた。
「繁おじちゃん、テレビ見ていい?
 いつもの『魔法のマサ子さん』をやっているの。」
「いいよ。
 テレビつけて、好きなのをみなさい。」
「そうね、ご飯も後30分位だからちょうどいいかも。
 『魔法のマサ子さん』て、30分ものだもんね。」
横から、舞が口を挟んできた。
「え?
 舞も、その番組知っているの?」
「ええ、結構、面白いわよ。
 魔法の呪文を言って、主人公の『マサ子さん』がいろいろな職業の人に変身して、いろいろな事件を解決するのよ。」
「舞ちゃんも見てるんだ。
面白いもんねー。」
舞も相づちを打つ様に答えた。
「ねー。」
「じゃあ、つけるね。」
「どうぞ」
テーブルには舞が麦茶を入れたコップを用意していた。
悠美と春繁は、コップの麦茶を飲んでテレビを見ていた。
春繁が、座椅子に寄りかかり、テレビの方を向いていると、悠美がテレビを正面に見ながら後ろ向きで春繁に近づいてきた。
「!」
そして、ちょこんと春繁の脚の上に座り、上半身を春繁の身体に寄りかかるようにし、まるで、春繁を座椅子替わりにするように座った。
春繁は、まんざらでもないような顔をして、そのまま、悠美を座らせ、一緒にテレビを見はじめた。
季節は7月に入り、日中は汗ばむ陽気になってきたが、夕方になると涼風が吹き、窓を開けていれば、まだ、扇風機も必要ないほどの心地よさだった。

「まあ。」
舞は、春繁を座椅子替わりにしてテレビを見ている悠美を見て、微笑んで声を漏らした。
春繁はそれに気づき、舞の方を見て、片目でウィンクをした。
番組が終わるころ、ちょうどコロッケも揚り、夕飯の準備が出来きたところだった。
「あー、面白かった。」
悠美は、そういうとテレビから目を離し、テーブルの方に目をやった。
「うわー、御馳走がいっぱい!
 もう、お腹、ペコペコよー。」
悠美は、テーブルの上に並んでいるコロッケや卵焼き、カレーライスを見て、興奮気味にはしゃいだ。
「さあ、たくさん食べてね。
 あっ、その前に、悠美、ちょっと来て。」
舞が悠美を手招いた。
「うん。」
悠美は、返事をして舞の傍らに座った。
「髪を結んであげるから、ちょっと、後ろ向いてね。
 折角、お風呂できれいになったでしょ。
 ご飯で汚さないように、結んであげるからね。」
悠美の長い髪を、舞は後ろで束ね、リボンでとめた。
「はい、いいわよ。」
そういうと、悠美は鏡のところに飛んでいき、自分の後姿、リボンを気にしてみていた。
「さすが、小1といえども女の子だな。」
春繁は、鏡を見ている悠美を見て、感想を漏らした。
「女の子は、そういうもんよ。」
舞も笑いながら答えた。
「わー、このリボン、可愛いい。」
悠美が気に入ったように、声を上げた。
「それ、悠美にプレゼント。
 この前お店の前を通ったら、その可愛いリボンがあったの。
 悠美に、似合うかなと思って。」
「わーい、舞ちゃん、ありがとう。
 とっても気に行ったわ。」
「さあ、じゃあ、ご飯が覚めないうちに食べましょう。」
「はーい。」
悠美はテーブルに自分の食器などが置かれている前に座った。
そこは、舞と春繁に挟まれたところで、二人の顔が良く見える、悠美の指定席だった。
「じゃあ。
 いただきまーす。」
「いただきます。」
悠美と春繁が声を揃えて『いただきます』を言うと、また、舞はおかしくなって笑った。
「はい、召し上がれ。
 うふふふ。」
「僕は、まずは、コロッケを頂きます。」
「私は、舞ちゃん特製の卵焼きー。」
春繁と悠美は各々自分の好きなおかずをお皿に取り、かぶりついた。
「美味しー。
 やっぱり、舞ちゃんの卵焼きは、世界で一番おいしい。」
「うん、このコロッケも、滅茶苦茶うまい!」
「えへん。
 腕がいいからね。」
舞は、自慢げに腕を曲げ、力こぶを作って見せた。
「それに、そのコロッケ、悠美が丸めてくれたのよ。」
「えー!
 だから、美味しいんだ。」
春繁が感心して言うと、悠美も口に卵焼きを頬張りながら、力こぶを作って見せた。
それから、皆、思い思いのおかずを取って食べたり、悠美の小学校の話しなどを聞きながらにぎやかな夕飯を過ごした。
舞も春繁も悠美の話を聞いたり、喋らせたりするのが上手で、悠美はご飯を食べながら、楽しそうに話を舞と春繁に聞かせていた。
舞と春繁は、そんな楽しそうな悠美を見るのが大好きで、一生懸命、悠美と話を合わせていた。
「ご馳走さまでした。」
にぎやかな夕食が終わり、悠美と春繁が、『ご馳走さま』をした。
「まあ、よく食べたわね。」
舞がそう驚くほど、テーブルの上のお皿は空になっていた。
「だって、本当に美味しかったんだもん。
 でも、お腹、ぽんぽん。」
「ふふふ、じゃあ、少し食休みしていなさい。
 食後に桃を向いてあげるから。」
「桃!?」
悠美が目を見開いて、驚いた顔をした。
「私、桃、大好き!
 うれしいなー。」
悠美は、鼻歌交じりに身体を左右に振って、喜んでいた。
その食後の桃も食べ終わり、舞は後片付け、春繁は布団の用意を始めた。
「舞ちゃん、片付け、手伝うね。」
「あら、ありがとう。」
悠美は、一生懸命、テーブルの食器を下げ、舞のところに運んでいた。
舞も、嬉しそうに、悠美から食器を受け取っていた。
「何か、本当の親子みたいだな。
 僕らに、子供が出来たら、やっぱり、こうなるのかな…。」
仲良く片づけをしている舞と悠美を見て春繁はつくづくと思った。
布団がひけたのを舞が目ざとく見つけ
「悠美、ありがとうね。
 あとは、私がやるから、悠美は、お布団の方を手伝ってあげてね。」
「うん。」
そう言って悠美が振り向くと、もう春繁が布団をひき終わったところだった。
布団は川の字で、真ん中に少し小さめの悠美の布団がひいてあった。
「わーい。
 私のお布団だぁ。」
悠美は、目を輝かせ、どしんと布団に飛び込んだ。
「おいおい、近所迷惑だから、あんまり大きな音は立てないようにね。」
春繁は、笑いながら、やんわりと注意した。
「はーい。」
悠美は、舌を出して、謝った。
そして、三人の布団の上をはじからはじまで、転がって遊び始めた。
「こら。」
春繁は、そう言いながら、悠美を捕まえて、くすぐった。
「いや、あはははは。
 くすぐったい。」
きゃあきゃあと悠美は大はしゃぎをした。
「こらぁ。
 繁さんも騒がせないでよ。」
あまりの悠美のはしゃぎっぷりに、舞も苦笑いしながら春繁に注意した。
「ああ、ごめん、ごめん。
 さあ、悠美、歯磨きしよう。」
「はーい。」
そう言って悠美と春繁は二人で仲良く洗面所に行き、並んで歯磨きをしていた。
「まったく、まるで、本当の親子みたい。」
そんな二人を見て、舞は微笑んだ。
「私たちに子供が出来たら、毎日、こういう光景かしら。」
舞も、春繁と同じことを思っていた。
寝る支度が出来、春繁と悠美は布団の上に転がった。
「ねえ、繁おじちゃん。
 明日は、何して遊ぶ?」
「ん?
 何でもいいよ。
 悠美は何がいい?」
「うーん、お手玉でしょ、おままごとでしょ、あとねえ…。」
悠美は眉間にしわを寄せて真剣に考えていた。
「そうそう、明日は、光一君が来るんでしょ。」
「あっ、そうだ。
 お兄ちゃんが来るんだった。
 じゃあ、野球とか。
 私、バッターね。」
「はいよ。
 明日も天気がよさそうだから、何でもできるよ。
 楽しみにして、そろそろ、お休み。」
「はーい。」
「じゃあ、ここ、閉めるわね。
 悠美、おやすみ。」
二人の会話を聞いていた舞が、話しかけた。
「おやすみなさい。
 舞ちゃん。
 今日の夕飯、すごく美味しかったわ。」
「ふふふ、良かった。
 また、あしたね。」
そういって寝室とリビング代わりの和室を仕切る障子を閉めた。
暗くなったが、カーテン越しに月明かりが部屋に入ってきて、しばらくして目が慣れると部屋は、ほんのりと明るかった。
もぞもぞ、と悠美は春繁の方に寄っていき、自分の足を春繁にくっつけた。
「繁おじちゃんって、あったかいね。」
「そうか?」
「うん、暖かくて気持ちいい。」
そういって悠美は、春繁の布団の中にもぐりこんできた。
「あたたかい。」
嬉しそうに悠美は満足げに言った。
春繁は、そんな悠美の髪を微笑みながら撫でてやった。
しばらくすると、悠美の寝息が聞こえてきた。
DATE: CATEGORY:第5章 悠美の楽しみ
春彦や佳奈が生まれる前のお話です。

舞と春繁が結婚して1年経ったある日のこと。
「ねえ、あなた。
 悠美が、また、土曜日に泊りに来たいって。
 いいかしら。」
舞が、少し困った顔をしながら春繁に言った。
「ああいいよ。
 次の日は、日曜日で休みだから。」
「ごめんね、日曜日しか休みないのに、ゆっくり休めないわよね。」
「まあ、いいさ。
 悠美が来たいっていうなら、歓迎するよ。」
「ありがとう。
 悠美のことを可愛がってくれて。」
「でも、すごいよね。」
「なにが?」
「だって、悠美って、小学校に上がってばかりの小1だろ?
 それなのに、いくら、叔母さんの家だっていっても、平気で泊りに来るんだから。」
「そうね……。
 それだけ、あなたの魅力が優っているのかしら。」
舞は、ニヤニヤしながら言った。
「おいおい。」
春繁は、困ったように頭をかいていた。
舞と付き合い始めた学生の頃、初めて悠美や光一にあった春繁は、なぜか、二人に好かれていた。
そして、舞と春繁が結婚し、アパート暮らしを始めてからは、さらにエスカレートし、度々、悠美が泊りに来るようになった。
光一は、悠美と一緒に泊まりに来たい反面、枕が変わると眠れない性格だったので、悠美ほど頻繁には泊りには来なかった。
しかし、悠美を迎えに来ると言う口実で、悠美が泊まった翌日の朝早く、光一はアパートに遊びに来るのが常だった。
「じゃあ、今回、光一君は?」
「光一は、翌日コースよ。
 泊まるのは、悠美だけ。」
「光一君も面白いな。
 もう、いい加減に我が家も慣れたんじゃないないかな。」
「もう、そんなこと言って。
 こんな狭いアパートに、悠美だけじゃなく、光一まで泊まったら狭くてしょうがないじゃない。」
舞は、苦笑いをした。
二人は結婚するとき、すべて自分たちだけの力で生活すると、2DKのアパートを借りて新婚生活をスタートさせた。
生活費は、春繁の給料と、舞のパート代で贅沢ではないが、それなりの暮らしが出来ていた。
舞のパートは、翻訳の仕事で、評判がよく、平均的なパートよりも多く定期的に収入があった。
「そうだよな。
 この前は、眠っている顔を、悠美の脚が襲って来たもんな。」
「あっ、それは単に悠美の寝相が悪いだけ。
 一人で泊りに来ても、あちこち蹴られているじゃない。
 光一なんて、気を付けしながら寝ているのに。」
「ああ、そうだった。
 悠美の方が、寝相は悪いな。
 でも、お前も褒められたもんじゃないよ。
 悠美と一緒に、布団の上をぐるぐる回っているもんな。」
「えー、私、そんなに寝相悪くないよー。」
舞は精一杯否定した。
「でも、不思議よね。
 なんであなたって、あんなに二人になつかれているんでしょ。
 悠美なんて、初めてあなたに会った瞬間に、もじもじしながら近づいて行ったもんね。」
「そうそう、それで、いきなり手を握られて、『あそぼ』だもんな。」
春繁は、愉快そうに笑った。
「ほんとうよ。
 周りの人たち、いきなりで皆、『口ぱかーん』だったもんね。」
舞も楽しそうに言った。
「それでも、あなたも、すぐ遊んであげて。
 私を置いてけぼりにしたんだもんね。」
「あははは、そうだった。
 肝心の舞を放って、悠美とおままごとだもんな。」
二人は、お腹を抱えて笑いあった。
「でも、あなたも、子供に合わせるの、上手よね。」
「まあね。
 子供は、大好きだからね。
 悠美や光一君、二人とも自分の子供の様に可愛いよ。」
「ふふふ、そういうあなただから、私は好きなの。」
舞は、そういう春繁が本当に好きだった。
「じゃあ、明日の夜、悠美が来るなら、我家の子作りは、今晩いかがかな?」
「もう、バカ。」
舞は、少し、はにかんで答えた。
「いいに、決まっているじゃない。」

次の日、春繁は会社に行く前に舞に話しかけた。
「今夜は、悠美の好きな卵焼きとカレーかな?」
「そうね、定番の悠美スペシャルかしら。
 あ、あなた、それじゃなくて違うのがいい?
 無理に悠美に合わせる必要ないんだからね。
 何か違うのを作りましょうか?」
「いや、いいよ。
 お前のカレーや卵焼きは天下一品。
 逆に、それを楽しみに、お腹空かせて帰ってくるから、たくさん作って置いてくれ。」
舞には、それがお世辞でないことがわかっているので、思わず笑顔になった。
「わかったわ。
 たくさん作って置くから、楽しみに帰ってきてね。」
「ああ。
 舞、愛してるよ。」
春繁は、そう言うとひょいと、舞の唇に自分の唇を重ねた。
「じゃあ、行ってくるね。」
「いってらっしゃい。」
舞は全力の笑顔で春繁を送り出した。

春繁は、普通の会社員で、舞とは大学のサークルで知り合った先輩、後輩の間柄だった。
お互いがお互いを一目惚れというパターンで、どちらかというと、年下の舞の方が積極的で、年上の春繁の方が慎重なタイプだった。
サークルで、自己紹介の時、すでにお互いを意識し、新歓コンパのとき、酔いつぶれた舞を快方したことから、一気に二人の距離は縮まった。
それは、新歓コンパといっても少し遅い6月のある日のこと。

発端は、舞が春繁を夢中になって眺めるあまり、他の先輩たちからつがれるお酒を考えずに言われるまま飲み干していったのが原因だった。
春繁の方も舞を気にして、お酒もあまり飲めず、舞の方をちらちらと舞に気づかれないように見ていたが、途中から、言われるままに杯を空けていく舞をハラハラしながら見ていた。
「おい、あの娘、まだ二十歳前だろう?
 あんなに飲ましちゃだめだよ。」
「何言ってんだよ、立花はいつからそんなにお堅くなったんだ?」
春繁は、隣の席の友人に言ったが、軽くいなされてしまった。
「それに、あんな可愛い子、ほっとく男がいるのか?」
「でも、具合が悪くなってからじゃ、遅いだろう。」
春繁は、我慢できなくなり、舞の傍に行って、飲むのをやめさせようとしたのだが、状況はすでに遅かった。
「おい、新人の女の子にそんなに飲ませたらだめだろう。
 君、大丈夫か?」
春繁は、心配そうに舞の顔を覗き込んだ。
舞は、春繁の顔が目の前に現れたのに、どきっとして、一気に酔いが回ってしまった。
「ああ、はるひげせんぱい…。」
一言発したまま、くたっと、春繁にもたれかかった。
「おい、大丈夫か?
 南雲さん?」
周りのものたちも心配そうに寄ってきた。
「大丈夫か?」
「まさか、急性アルコール中毒じゃないか?」
「まずいよ、だれが、こんなに飲ませたんだ?」
周りがざわつく中、春繁は舞の顔を覗き込むと、舞はうれしそうな顔をして、寝息を立てていた。
「寝てる……。」
春繁がひとこと漏らすと、周りにいたサークルの部員から安堵の声があがった。
「まったく、信じられない。」
「いい心配したよ。」
「でも、そもそも、お前が飲ませすぎたのが原因だろう。」
周りで喧々諤々がはじまった。
その中の部長格の部員が、春繁に声をかけた。
「立花、悪い。
 その娘、家まで送って行ってくれ。」
春繁は、ここぞとばかりに頷いた。
但し、そこから連れて帰るのだが、舞は泥水状態で寝てしまっており、数人で協力し、舞を春繁に背負わせた。
泥水状態の人間は、たとえ体重が軽くても、その数倍、重くなるので、数人がかりだった。
春繁も、舞の重さに足元をふらつかせながら、何とか歩くことができた。
「と、それはいいけど、この娘の家は?」
「学生証に書いてあるだろう。
 それ見て、タクシー使って送って行ってな。
 俺たち、まだ、しばらく、ここで飲んでいるから。」
「じゃあ、よろしく。」
他のサークルの部員は、春繁に手を振ってお店に戻っていった。
「おいおい、こっちは、手がふさがってるんだよ。
 あーあ、だめだ、あいつらも酔っぱらっていやがるわ。」
春繁は、仕方がなく、舞を背負ったまま、当てもなく歩き始めた。
「この娘、なんかいい匂いだな。」
春繁は、背中に背をわれている舞からほんのり石鹸の匂いがして、そう思った。
季節的に暑くも寒くもなく、心地よい風が吹いている中を少し歩いていると、「ううん」と背中の舞が声を上げた。
「南雲さん、大丈夫?」
春繁は、すかさず、声をかけた。
「うーん、気持ち悪い…。」
その舞の声に春繁は、真っ青になった。
「まずい、これは、まずいぞ。
 どこか、休ませるところはないか…。」
春繁は、思いっきりうろたえながらまわりを見渡し、公園が傍にあることを発見した。
春繁は、急いで公園に行き、ベンチに舞を座らせた。
舞は、だいぶ、意識がはっきりしてきたのか、自分の力でベンチに座った。
「何か飲むもの買ってくるから、待っててね。」
「あい。」
舞は、まだ、ろれつが回っていなかった。
春繁が、近くの自動販売機から冷たいお茶を買ってきて、舞に手渡した。
「ありがと……。」
舞は、お茶を受け取ると、ごくごくと飲み始めた。
春繁は、心配そうに舞を見ているだけだった。
しばらくして、舞は落ち着いて来たのか、顔色も良くなり、目線もしっかりしてきた。
「立花先輩……。
 私、先輩に迷惑を掛けちゃいましたか?」
急に、舞がすまなそうな顔をして、春繁にたずねた。
「いや、大丈夫だよ。
 ただ、飲みすぎて、寝込んじゃったのを、僕が連れて帰ることになったんだけど、南雲さんの家、知らなかったので、どうしようかと 途方に暮れていたところ。
「ああ、やっぱり、私、迷惑を掛けていたんじゃないですか。
 先輩、ごめんなさい。
 バッグの中を開けて、学生証に書いてある住所を見てくれればよかったのに。
 で、タクシーに放りこんでくれれば…。」
春繁は笑いながら、頭を抱えている舞を制した。
「そんなことできる訳ないだろう。
 ましては、好きな女の子のバックの中を勝手にみて、タクシーに突っ込むなんてこと。」
「え?
 今なんて?」
「え?」
春繁は、「好きな女の子」と思わず漏らしたことに気が付き、「しまった」と思った。
春繁は、舞の方を見ると、舞はうつむいていた。
「あ、ごめん、ごめん、そんな意味じゃなくて。」
言い訳をし始めた春繁を今度は、舞が制した。
「先輩。
 そういう意味じゃないってどういう意味ですか!」
顔を上げ、まっすぐに春繁の顔を正面から見据える舞に春繁は、どきまぎして言葉が出なかった。
「私、好きな女の子って言われて、すごく嬉しかったんです。
 それなのに、そういう意味じゃないっていうのは、どういう意味なんですか?
 先輩、答えてください。」
見ると、舞はいっぱいに涙をためていた。
春繁は、舞の頭をそっと手で撫でた。
「悪い、悪い。
 こんなにお酒の入っている状況だったんでね。」
「で、私のこと、本当は、どう思っているんですか?
 私は、立花先輩のこと、大好きです。
 まだ、1か月位しか先輩と話をしていませんが。
 先輩、優しいし…。」
いきなりの舞からの告白に、春繁は、鼻の頭を人差し指でかいた。
そして、一呼吸おいて、話しかけようと舞を見ると、舞はこれ以上ないほどの真剣な顔で春繁を見つめていた。
ごほん、と春繁は照れ隠しに、咳払いを一つした。
「僕も、初めて会った時から南雲さんのこと好きだったよ。
 一目惚れってやつ。
 そして、同じように、まだ1か月だけど、どんどん、好きがふくらんできている。
 ああ、この娘は思った通りの娘だって。」
舞は、春繁の言葉をうっとりとした顔で聞いていた。
「せんぱい。
 うれしい…。」
ことんと、舞は、春繁に頭をぶつけてきて寝息を立てはじめた。
今度こそ、安心し切った顔をして。
「おい?
 南雲くん?
 おーい、寝るなー。
 まだ、住所聞いていないよ。」
夜は、幸せな二人を包んで更けていく。

そのあと、何とか春繁は舞を起こし、住所を聞き出し、タクシーで家まで舞を送って行った。
家に着くと、舞の両親は、こんなに飲ませてと、かんかんに怒りまくっていた。
春繁は、ひたすら、頭を下げその場を後にした。
翌日、春繁が大学の食堂で昼食を食べていると、寄ってくる人の気配がした。
「先輩、一緒にいいですか?」
顔を上げると、舞がランチのトレイを持って立っていた。
舞の顔は、これ以上ないというほど、すまなそうな顔をしていた。
「ああ、いいよ。」
春繁は、にこやかに笑って、舞に席に座るように促した。
舞は、そんな春繁の笑顔にほっとして、席に着いた。
「先輩、昨日はすみませんでした。
 あの後、両親から聞いたのですが、先輩を飲ませた張本人の様に怒ったんですって?
 それを聞いて、先輩は私を快方して、しかも家まで送り届けてくれた人なんだからと叱っておきました。
 ついでに、父親とは絶交してきました。」
「絶交って、おいおい…。」
どこまでもまっすぐな娘なんだろうと、春繁は感心した。
「で、先輩。
 あの、昨日の話しは……。」
急に舞はしおらしくなって、春繁に尋ねた。
舞の急な豹変に、春繁は慌てたが、まっすぐ、舞を見て笑顔で答えた。
「昨日の話しは、本当。
 君は?」
今度は、舞の方が真っ赤になり、うつむきがちになりながら言った。
「私も、本当です。」
ふう、と春彦は、息をついた。
そして、精一杯の笑顔を舞に見せた。
「じゃあ、よかった。
 これから、よろしくね。」
「はい。」
舞も元気よく答えた。
「さあ、胸のつかえが下りたところで、ご飯、ご飯。」
「はい。」
「あと、お父さんとの絶交は解除しておいてね。」
「はい、でも、あのー。」
「ん?なに?」
舞はもじもじしながら、春繁の食べているものを眺めていた。
「先輩、先輩は何を食べているんですか?」
「え?
 ああ、コロッケカレーだよ。」
舞は、なお一層もじもじし、春繁の目を見ないようにして言った。
「先輩、そのコロッケ、あの、半分、いや、4分の一、いや、一口でいいのでいただけませんか?」
「?」
春繁は、初めて舞のトレイの上に乗っているものを眺めた。
そこには、ご飯が盛ってある茶碗しかなかった。
「父と喧嘩して、家を飛び出したのはいいのですが、その、お財布を忘れちゃって…。
 ポケットに入っていた小銭だと、これしか買えなくて。
 でも、お腹が空いちゃって…。」
舞は、真っ赤な顔をしてうつむいていた。
「ぷっ。
 あはははは。」
春繁は思わず吹き出して笑った。
舞は、なお一層、小さくなっていた。
「ごめん、ごめん。
 あまりに可笑しかったから。
 お詫びにお茶碗出して。」
舞が言われた通りお茶碗を出すと、春繁はその上にコロッケをまるまる1個乗せた。
「え?
 先輩のコロッケは?」
舞は驚いて、春繁の顔を見つめた。
春繁は、優しいほほえみを浮かべていた。
「僕は、カレーがあるから大丈夫。
 それより、コロッケまだかじっていないから安心して。
 あと、カレーが付いているのは、おまけっていうことで。」
「先輩。」
舞は、春繁の優しさに思わずじーんとなっていた。
「先輩、ありがとうございます。
 先輩のコロッケなら、例え齧ってあっても、歯形が付いていてもオッケーです。」
「そんな、大げさな。
 あっ、ちょっと待ってて。」
春繁は、そういうと席を立ち、自動販売機の方に向かった。
しばらくして戻ってくると、手にお茶のペットボトルを持っていた。
そして席に着くと、そのペットボトルを舞の前に置いた。
「お金がないと、飲み物も困るだろう。
 これ、おごりね。」
「せんぱい…。」
舞は感激一杯の顔をして、春繁を眺めていた。

春繁を送り出した後、舞は初めて春繁と大学の食堂で食事をしたことを思い出していた。
「うーん、今日は、卵焼きとカレーとコロッケにしよう。」
舞は、午前中に、掃除や悠美の寝る布団を干し、早めに買い物に行き、いつ悠美が来てもいいように出かける用事を済ませておいた。
お昼ごはんを済ませ、片付けを終わらし、一息ついていると、悠美がやってきた。
「舞ちゃん、ただいまー。」
悠美は、ランドセルを背負って、手には着替えの入った手提げ袋を持っていた。
「お帰り―、じゃないでしょ。
 こんにちは、おじゃまします、でしょ。
 悠美ったら。」
舞が呆れたように言うと、悠美は笑って答えた。
「いいでしょ。
 ここは、私の第2のお家なんだから。」
「まあ。
 で、そのランドセルは?」
いつもランドセルは家に置いて着替えと遊び道具の入った手提げ袋で来る悠美だったが、今日は、手提げ袋とランドセルを背負っていた。
「そうなの、舞ちゃん、聞いてよ。」
悠美は、口を尖らせながら舞に聞いてほしそうな顔をした。。
「なあに?」
「学校の先生が、最近クラスの書き取りの点数が悪いって、それで、山ほど漢字の書き取りの宿題を出したのよ。」
「それで、ランドセル?」
「うん。あとで机を貸してね。」
「いいわよ。」
悠美は舞の兄の子供で、小さい頃から舞のことを姉の様に慕っていた。
舞も、そんな悠美のことを妹の様に可愛がっていた。
「悠美、お腹は?」
「うん、家でお昼ごはんは食べてきたんだ。」
「プリン、買っておいたんだけど、食べる?」
「え?
 うん、食べる。」
悠美はうれしそうな顔をして頷いた。
「じゃあ、手を洗ってきなさい。」
「はーい。」
舞と悠美はテーブルを囲んでプリンを食べていた。
「わあ、このプリン、美味しい。」
悠美が目を輝かせて言った。
「そうでしょ、駅近くのデパートに美味しいケーキ屋さんがあってね、そこで、奮発したのよ。」
「こんなおいしいプリン、初めて。」
悠美の幸せそうな顔を見て、舞も思わず微笑んでいた。
「今日は、繁おじちゃん、何時ごろ帰ってくるの?」
悠美はプリンを食べる手を止めて、舞に尋ねた。
「そうね、何もなければ夕方かしら。」
「じゃあ、それまでに、宿題を終わらせなくっちゃ。」
「そうよ。
 その後、今晩は、悠美の好きな卵焼きとカレー、それと、コロッケにしようと思って。
 だから、コロッケ丸めるの手伝ってね。」
「え?コロッケ?
 私、コロッケも大好き。
 しかも、舞ちゃんのお手製のコロッケなの?
 うれしいな。
 たくさん、手伝うね。」
「ふふふ、悠美は、嫌いなものないのかしらね。」
「えー、嫌いなのあるよー。
 ピーマンでしょ、お漬物でしょ、あとね…。」
「えー?
 ピーマン嫌いなの?」
「うん、だって苦いし……。」
「家じゃ、どう料理しているの?」
「うーん、普通に炒めているかな?」
「じゃあ、ピーマンの肉詰めや、お味噌を使った甘辛炒めは?」
「お肉を詰めたのは給食で出たけど、苦かったよー。」
「そうなんだ。
 でも、お料理次第でピーマンって美味しくなるのよ。
 繁さんも、結婚した当初は、ピーマンが駄目だったの。」
「えっ?
 繁おじちゃんも?」
悠美は驚いた顔をした。
「そうよ、それがね、今じゃ良く食べるのよ。
 特にお味噌の甘辛炒めは、美味しい美味しいって。」
舞は、面白そうに笑った。
「舞ちゃん、お料理上手だからなー。
 今度、私も食べてみたい。」
「いいわよ、今度、作ってあげるね。
 じゃあ、早く宿題片づけちゃいなさいね。」
「はーい。」
悠美は、残りのプリンを美味しそうに平らげ、片づけを手伝ってから、机の上に書き取りの道具を並べて、宿題を始めた。
「この娘は、本当に手が掛からないいい子ね。
 一体、誰に似たのかしら。」
舞は台所から一生懸命宿題をしている悠美を眺め、感心した様に呟いた。
DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
『春彦の変貌』も丁度、切りが良くなりました。
「そんなに変貌していないじゃない」、「タイトル負け!」などと言われるかもしれませんが……。
はる、かなの高校時代、まだ、半分です。
これから後半になると、ジェットコースターのように上がったり、下がったりで、暗黒の時代(?)に入っていくのかななんて
思ったり。
佳奈は?
最近、書いていて面白くなってきている木乃美は?
なんて、あらすじを先に言ってしまったら、誰も読んでくれませんね。

次のシリーズですが、実は迷っています。
ひとつ!このまま、はるかなの高校時代の話を続ける。
ひとつ!!混線次元なので、過去にタイムスリップし、舞たちの話にする。
ひとつ!!!未来に戻り、銃撃を受けた春彦の続きの話にする。
(゜-゜)ウーン、悩んでおります。

しばし、お待ちください。 <(_ _)>
DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
「あ、いたいた。」
遠くから声が聞こえ、佳奈は、その声がする方を見ると、木乃美達と俊介が走ってくるのが見えた。
「助けてー、こっちぃー。
 春が、大けがしてるの。
 死んじゃうよー。
 早くお医者さんを。」
佳奈は、木乃美達を見ると、絶叫した。
「佳奈…。」
ふと佳奈に寄りかかっていた春彦が声を出した。
佳奈は、すぐに視線を春彦に戻した。
「春?
 大丈夫?
 しっかりしてね。
 いま、救急車呼ぶから。」
佳奈は、取り乱し、興奮した話し声になっていた。
「佳奈」
それを制するように春彦は、再び、佳奈の名前を呼んだ。
今度は、しっかりした声だった。
その声で、佳奈は少し落ち着きを取り戻した。
「春……。」
「佳奈、大丈夫だよ。
 血は出ているけど、たいしたことないよ。
 ちょっと疲れただけ。
 もう大丈夫だから、心配しなくていいよ。
 それより、佳奈は大丈夫か?
 怖くなかったか?
 怪我はないか?」
春彦がいつもの春彦に戻ったのを感じ、佳奈はほっとしたのと、怖いと感じたのは他でもなく、春彦だったことを思いだした。
しかし、そんなことをおくびにも出さずに、安心させるように春彦に話しかけた。
「私は大丈夫よ。
それより、心配するなって言ったって、バットで頭を殴られて、ナイフで切られて血がたくさん出ているのに、心配するに決まってるでしょ。」
「ふう。
 あいつらからの呼び出し状を俺がどこかに落とし、それを佳奈が拾って、血相変えて、飛んできた。
それを見ていた佳奈の友達が何だろうと、そこに俊介も加わって、本当に出来すぎたドラマだな。」
春彦は、ため息交じりに呟いた。
「ちょっと、立花、大丈夫なの。」
京子、久美、慶子、木乃美、そして、俊介が佳奈に抱きかかえられている春彦を取り囲み心配そうに二人を覗き込んだ。
「救急車、呼ぶね。」
久美が、慌てて言った。
「ちょっと待って。
 春彦、傷を見せてね。」
木乃美が制する様に言い、丹念に、春彦の傷を一つずつ診ていた。
「木乃美?」
佳奈が、心配そうに木乃美の名前を呼ぶと、木乃美は、にっこり笑いながら言った。
「うん、腕の傷は、深くないわね。
 傷口が浅く広いから、血がたくさん出ているように見えるけど、もう止まってきてるし。
足は、傷自体は大きくないけど、深いわね。
でも、血管とか切れていないみたいだから、これなら大丈夫。
頭は……。」
木乃美は傷を丹念に見ながら、しっかりした仕草や態度とは逆に涙ぐんでいた。
そして、春彦の顔に両手を添えて、自分の方に近づけ、頭の傷を丹念に確認した。
「頭は、擦り傷みたい。
 すこし、こぶが出来ているけど、大丈夫そう。
 春彦、気分は大丈夫?
 気持ち悪くない?」
「ああ、疲れただけだよ。」
木乃美は、安心した様に息を吐いた。
「救急車を呼ぶと、後が厄介じゃない?」
佳奈は、木乃美が言っている意味が分かった気がした。
「あ…」
「そうね、これじゃ、転びましたって言う話は通らないわね。」
「京子…」
「そうなれば、喧嘩ということで警察沙汰になるわね。
 学校に知れたら、受験も響くし。」
「慶子。」
佳奈は、冷静に状況を把握し、対処を考える友人たちを、ただあ然と見ていた。
春彦は、佳奈に抱えられ、佳奈の体温の暖かさ、柔らかさを感じながら、おとなしく目を閉じていた。
「みんな、ハンカチやタオル持ってる?
 タオルみたいのがあるといいんだけどな。
 それと、お水がほしい。
 傷を洗浄したいから。」
木乃美がみんなに指示を出した。
「わかった、私、途中にあったコンビニで水を買ってくるわ。
 そこで、タオルもあれば、見てくるわ。」
「それなら、氷もお願いね。
 頭を冷やすから、細かくなっているのがいいわ。」
「わかった。
 慶子、一緒に来て。」
久美に言われ、慶子はうなずいて付いて行った。
「ああ、タオルなら持ってる。
 これを使ってくれ。」
俊介は、木乃美達のてきぱきとした行動にあ然としながらタオルをバックから取り出した。
「うーん、だめね、これは。
 泥だらけじゃない。
 久美たちが戻ってきて、タオルがなくても、それ、だめね。」
「ちぇって、おまえ、すごいな。
 親は医者か?」
俊介は、まじまじと木乃美を見て言った。
「違うわよ。
 私、これでも病弱少女なのよ。
 だから、しょっちゅう保健室のお世話になって、それで、いつのまにか保健室の先生の手伝いをさせられて、応急処置くらいは覚えたの。」
「へえ、すごいな。」
「違う違う、木乃美ったら、しょっちゅう、授業をさぼりたくて、具合が悪くなるのよ。」
横から、京子が口を挟んだ。
京子も、木乃美の見立てを聞いて安心し、軽口をいった。
「もう。
 保健室に咲いた一輪の華麗な花に向かって!」
「え?
 ぺんぺん草じゃないの?」
木乃美と京子は状況とそぐわないような、軽口の応酬をしていた。
佳奈は、ただ、あ然と春彦を抱えながらそのやり取りを見ていた。
そうしながら、木乃美は、佳奈の方に目をやった。
「佳奈も、ブレザーは目立たないけど、ブラウス、血だらけじゃないの。
 どこか怪我してない?」
木乃美は、佳奈を見て心配げに尋ねた。
その一言に、春彦は自分で上半身を起こし、佳奈を見た。
佳奈のブレザーは、陣に振り回されたせいか、ボタンが取れ、前がはだけていた。
そしてその下の白いブレザーが広範囲に朱に染まっていた。
「佳奈、ほんとうか?
 やっぱり怪我したのか?」
春彦の心配そうな顔を見て、佳奈はいつもの春彦に戻ったことを実感し、心の底からほっとした。
「ううん、大丈夫よ。
 これ全部、春の血だから。」
その一言に、春彦は安どのため息をついた。
「おい、立花、何で…。」
俊介は、何で自分の代わりに無茶をしたのか春彦に尋ねようとしたが、春彦の注意が一身に佳奈に向いているとわかり、口をつぐんだ。
「ん?
 俊介、何か言ったか?」
「いや、また、今度ゆっくり聞くよ。」
俊介はかぶりを振って答えた。
「俊介、お前、どう思ってるか知らないけどさ。
中学の時、転校してきた俺に、初めに声をかけてくれたのがお前だったんだよ。
すげえ、嬉しくてさ、俺の中で、お前は勝手に無二の友達になっていたんだよ。」
「立花…。」
俊介が何か言おうとしたところに、久美と慶子がコンビニの袋を下げて戻ってきた。
「ほら、水と、氷とタオル、あと、絆創膏に包帯も。」
「ありがとう。
 それだけあれば、完璧ね。
 ほらほら、男通しの胸キュンの話しは、また後にして。
 佳奈、手伝ってね。」
「うん。」
木乃美は手際よく、春彦の傷の手当てを始めた。
まず、水で血や泥を洗い流し、切られた腕は、傷をハンカチで押さえ、その上から包帯を巻き、足のケガも同様にタオルを包帯代わりに巻いて止血もかねて固定していた。
頭も、水で血を洗い流し、氷を入れたハンカチを渡し自分で押さえるように春彦に言った。
「すっ、すごいね、木乃美」
佳奈が、あまりの手際よさにあ然として言った。
「佳奈も、これくらいのこと、出来るようにならないとだめよ。
 でないと、このやんちゃ坊主の面倒は見れないわよ。」
「うっ、うん。」
少し、複雑な思いで佳奈は頷いた。
「春彦、自分で歩けるかな?」
木乃美は春彦に尋ねた。
「ああ、大丈夫。
 サンキューな。
 木乃美。」
「でも、応急処置だから、必ず帰ったら直ぐにお医者さんに行ってね。
 傷は、たぶん、縫って終りだろうけど、頭が心配だから、ちゃんとお医者さんに話してね。
でないと、これ以上、バカになったら、佳奈が困るから。」
「ちょっと、木乃美。」
佳奈が慌てて木乃美を制止したが、木乃美は構わずに続けた。
「あとは、血が大分出たみたいだから、たくさんご飯を、そうね、レバーでも食べておいてね。」
「はいはい。」
春彦は、苦笑いしながらうなずいた。
「木乃美ったら、まるで、おせっかいおばさんみたい。」
京子が、呆れていった。
「ちょっと、それを言うなら、世話焼き女房でしょ。」
木乃美が言い返すと、一同、笑い転げ、緊張感から解き放たれた。
「だけど、木乃美は、いつもは、フニャフニャして佳奈の引っ付き虫なのに、いざという時は、しっかりするのよね。」
久美が感心しながら言った。
「そう?
 えへへへ、それほどでもー。」
木乃美は照れ笑いをしながら、佳奈の方を見た。
「そうそう、佳奈。
 さすがにその血だらけ姿だと、周りの人が何事かと思うから、私のジャージ、ブレザーの下に羽織ってね。」
木乃美は、そう言うとバックからジャージの上着を出して佳奈に手渡した。
「え、いいよ。
 血が付いたりしたら大変だから。」
「ちょうど、体育で泥だらけになったから、洗おうと思って持ってきてたの。
 だから、気にしないで。
 ただ、汗臭くても勘弁してね。」
「汗臭いなんて、そんなの。
 それより、本当にいいの?」
佳奈がそう尋ねると、木乃美はウィンクして見せた。
「じゃあ、きれいに洗って返すからね。」
佳奈は、そう言いながら、ブレザーを脱いで、血の付いたブラウスの上に木乃美のジャージの上を羽織った。
(あっ、木乃美のいい匂い。)
木乃美は、隠れたおしゃれをする娘で、とくに香りが好きで、自分で香りの調香するのが好きだった。
佳奈は、そんな木乃美の作る香りが好きだった。
そして、そのジャージの上に自分のブレザーを重ね着していた。
佳奈の注意が春彦から反れたのを見計らい、木乃美が春彦に小さな声で耳打ちした。
「さっき、佳奈の手前、傷は浅いって言ったけど、腕も脚もひどいのよ。」
「……。」
「脚は骨まで行っている感じ、腕も腱が少し切れているんじゃないかな。」
木乃美は、佳奈に聞こえないように、春彦の顔に自分の顔を近づけ、真剣な顔をして春彦を見つめていった。
春彦は、木乃美の吐息と、体温に乗って甘い香りを感じた。
「サンキュー、たぶんそんなところだと思った。」
「だから早くお医者さんに行ってね。」
「ああ、わかった。
 しかし、ナイフで刺されるとは、油断したな。」
「そんなこと言って。
 どうせ、佳奈を守りながらだったんでしょ。
 名誉の負傷じゃない。」
「違いない。」
そういう会話をした後、春彦は自分で体を起こしてみた。 
「うっ」
春彦は立ち上がり、2、3歩、歩いたところで、痛みで眉を寄せた。
「春、大丈夫?」
木乃美が慌てて手を出そうとするのを、春彦は優しく制した。
「ああ、やっぱり歩くと、傷が痛むな。」
「うーん、仕方ないわね。
 包帯で押さえているだけだからね。
 力を入れると、どうしても、傷に触るから。」
「ああ、わかってる。
 でも、木乃美、ほんと、サンキューな。」
春彦がそういうと、木乃美は嬉しそうに頷いて見せた。
その時、俊介が、だまって春彦の方に寄ってきて、手を出した。
「?」
「鞄、家まで持って行ってやるよ。
 それに、肩に捕まれ。」
ぶっきらぼうだが、照れ臭そうに言う俊介に、春彦は「サンキュ」と短く言って鞄を差し出した。
それを見て、佳奈をはじめ皆、目くばせをした。
「じゃあ、私達、佳奈を送って帰るから。」
京子がそう言って、春彦のことは、俊介に任せ、ここで別れることにした。
「春、あとで、ちゃんとお医者さんに行くのよ。
 傷の具合も、教えてね。」
別れ際に、佳奈は心配そうに春彦に言った。
本当は、どこまでも付き添っていたかったのだが、折角、俊介と仲が戻ってきたのを見て、遠慮することにした。
「ああ、わかった。
 佳奈も、今日はサンキューな。
 おかげで、助かったわ。」
「うん。」
(いまは、いくら考えても仕方ないわ)
佳奈は、そう思って春彦に笑って頷いて見せた。

それから、二人が家に帰ると、お互いの家で大騒動が起こった。
まず、佳奈の家では、泥だらけのスカートに、ジャージを脱いだら血だらけのブラウス姿の佳奈を見て、茂子の目が吊り上げっていた。
「佳奈、一体全体、何があったの!
 怪我はしてないの?
 ともかく上がって、見せなさい。」
茂子は、口から泡を飛ばすように激昂していた。
「おばさん、落ち着いて。
 怪我はしていないって。」
久美が、茂子をなだめにかかった。
「何言ってるの。
 傷が残ったら、お嫁にいけないでしょ。」
「お嫁って、お母さん」
佳奈が、呆れていった。
「本当に、何があったの。
 木乃美ちゃん、教えて。」
木乃美は佳奈とは小学校から一緒の幼馴染で、茂子も良く知っていた。
「ふぇ、おばさん、こわい…。」
木乃美は、先程までの毅然とした態度が消えていた。
一同、なんて茂子に説明したらいいか考えあぐねていた。
春彦と他校の不良のいざこざに巻き込まれたと言ったら、頭に血が昇り切っているような茂子が何を言い出すかわからなかった。
「あのね、おばさん。
 佳奈ね、春彦が不良と喧嘩して、怪我していたところに私たちと通りがかって、春彦の手当てをしてたの。
 佳奈がね、一番心配して、一生懸命介抱していたから、春彦の血が付いちゃったのよ。」
木乃美がたどたどしい声で説明した。
その木乃美の説明を聞いて、一同、ナイス!と言わんばかりに目くばせし、その作り話に同調した。
「まあ、そうなの。
 ならばいいけど。
 で、春彦君は大丈夫なの?
 この血は、春彦君の血なんでしょ?」
茂子の関心が春彦に向いたの聞いて、一同、安堵のため息をついた。
「ええ、大丈夫ですよ。
 傷もそんなにひどくないみたいだし、福山君と歩いて帰ったから。
 今頃、お医者さんに行っているんじゃないかしら。」
京子が、横からフォローした。
「まあ、でも、あの春彦君が喧嘩なんてするのね。」
「あっ、お母さん。
 学校にばれると春彦の内申書に響くから、内緒にしてね。」
佳奈は、茂子にくぎを刺すように言った。
「わかったわ。
 ああ、心配して喉が渇いちゃったわ。
 さあ、じゃあ、皆も上がって、お茶でも飲んで行って。
 佳奈も、早く着替えていらっしゃい」
「はーい」
佳奈も、ほっとして、部屋に着替えに行った。

そのころ、立花家では。
「春彦!
 その怪我は、どうしたの?
 喧嘩したんじゃないだろうね。」
鬼のような形相の舞が、春彦を問い詰めていた。
我が子のぼろぼろの姿を目の前にし、舞は、興奮で我を忘れていた。
「痛いって。」
舞は、問い詰めながら、怪我をしている春彦の頭を叩いた。
「おばさん、春彦、頭をバットで殴られてるんだから。」
俊介は、必死に舞を止めようとしたが、そのセリフが、さらに、舞の怒りに火をつけていた。
「なにー!
 バットで頭を殴られたって?
 いい加減にしなさい。」
舞は、今度は春彦の頭を掴んで、ヘッドロックをするように絞り上げていた。
「痛いって、
 降参、降参だってば。
 おい、俊介、助けてくれ。」
舞の昂奮が治まるまで、そんな調子が続いていた。
やっと、舞は怒りが収まり、冷静に春彦の傷の具合を見て、病院の手配をしていた。
「お前の母ちゃん、おっかないな」
俊介が、驚いたようにいった。
「まあ、な。」
春彦は、苦笑いしながら答えた。
「それじゃ、おれ、そろそろ帰るから。
 また、何かあったら、今度は俺もな。」
「ああ、そうする。」
「あと、今度聞きたいことがある。」
「ああ、俺も俊介に話しておきたいことがあるんだ。」
「そっか。」
俊介は、わだかまりのとれたようなサッパリした顔になっていた
「あ、福山君だっけ?」
奥から電話が終わった舞が出てきた。
「はい。」
「ごめんね、折角送ってきてもらったのに、これから、このあほを病院に連れて行かなきゃならないんで。
 本当は、お茶とか出さないとと思うんだけど。」
「いえ、お構いなく。
 それじゃ、僕はこれで失礼します。」
「ぼく?」
春彦がおかしそうに笑ったのを見て、俊介は、思わず睨みつけていた。
「それじゃ、お大事に。」
「ああ」
そういって、俊介は帰って行った。

二人きりになり、舞は春彦の包帯をはずし、傷を丹念に確認していた。
「で、一体何があったか話してごらん。」
舞は、春彦の目を見ながら、優しい声で尋ねた。
春彦は、俊介と不良グループのいざこざから、今日の喧嘩を買ったこと。
佳奈が巻き込まれたが、怪我をさせなかったこと。
金属バットで殴られたこと、相手にナイフで刺されたこと、相手を逆に返り討ちにしたことを簡単に説明した。
「まあ、あんたのことだから、そんなことだろうと思ったわ。
 でも、佳奈ちゃんには、絶対怪我させちゃだめよ。
 女の子なんだから。」
「ああ、わかってる。」
「あと、向こうが先に手を出したんでしょ?」
春彦は頷いて見せた。
「なら、こっちの完勝ね。
 まあ、よくやった…。
 なんてほめるわけないでしょ。」
舞は、渋い顔で言った。
「やっぱり…。」
春彦は、すこしだけ褒めてもらえるかと期待をしたが、がっくりと肩を落とした。
そんな春彦を見て、舞は小さく微笑んだ。
そして、春彦は木乃美から耳打ちされた怪我の状態を舞に説明した。
「まったく、あんたって子は。
 腕の傷は、ほんとに広いし、深いわね。
グーパーできる?」
そして、舞に言われた通り、切られた腕でグーとパーを交互に作って見せた。
掌を動かすと、傷から鈍い痛みがし、春彦は眉間に皺を寄せた。
「まあ、動くから大丈夫っと。
 脚がやっぱり深いわね。
 転びながらだから、体重が掛かっちゃったのね。
 それにしても、ガキの分際で、よく切れるナイフを持ってたのね。
 まったく、今どきのガキんちょは。
 あと頭は、輪切りにしてみないとわからないわね。
 痛みや気持ち悪くない?」
「何言ってんの、とどめを刺したのは、かあさんだろ。
 痛みはあるが、気持は悪くないよ。」
「あら、そう?
 まあ、気持ち悪くなければ大丈夫ね。」
舞は、涼しい顔をしていった。
「でも、きっちりと応急手当が出来ているわね。
 保健室でも寄ってきたの?」
「そんな。
 保健室に行ったら、今頃、たいへんな騒ぎになっているよ。
 木乃美、木乃美だよ。
 応急手当てしてくれたの。」
「まあ、あの娘は、何でもできるのね。」
舞は適切な応急処置をしたのが木乃美だと聞いて舌を巻いた。
木乃美は、小さなころから、佳奈と一緒に遊んでいたので、舞も良く知っていた。
そして、佳奈と春彦と木乃美だと、見た目より木乃美が一番しっかりしていることも知っていた。
「いつもの病院にお願いしたから、取りあえず、着替えてとっとと行きましょう。
 知っている病院でないと、こんな刃物で切られた傷を見せたら、今どきは、警察に通報されるでしょ。
 まったく、内申書に響いたらどうするの。」
「はいはい」
(内申書だとかなんだとか、だれかも、そんなこと言ってたっけ。)
返事をしながら、春彦は思い出していた。
「まあ、相手もナイフを振り回したんだから、騒ぎ立てることはしないか。
でもね、もし、あんたに何かあったら、私、あの人に合わせる顔がなくなっちゃうからね。」
寂しそうにつぶやく舞を見て、春彦は、はっと思いだした。
(そうだった、かあさんに心配かけないようにしなくっちゃ)
「ごめん、母さん」
素直に謝る春彦を見て、舞は再び微笑んだ。
「わかったら、病院に行きましょう。」
(まあ、性格も悪くないし、素直だし、なかなかいい子に育ってること)
舞は目を細めて心の中で思った。

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