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プロフィール

梅星

Author:梅星
社会人になっても、いつもいろいろな空想の世界を思い描いていました。
その中で、ずっと書きたかったお話(小説)をブログという世界を使って紹介させていただきます。
無理なく肩の力を抜いて続けていきたいと思いますので、楽しんでいただけたらと思います(毎週更新予定です)。
初めて読まれる方は、『あらすじ』も並行して読んでいただければ、読みやすいかと思います。
お楽しみください。

尚、文中の登場人物、会社等すべてフィクションです。


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DATE: CATEGORY:第1章 佳奈の災難
春彦は、いつものように会社から帰る道端で、女性がうずくまっているのに気が付いた。
「どうしたんですか?」
春彦は、その女性に近付き、声をかけた。
女性は、春彦の声に気が付き、顔を上げて春彦の顔を見た。
「ちょっと、貧血を起こしたみたいなんです。
少しじっとしていれば、そのうち治まると思うのですが……。」
女性は、貧血のためか、青白い顔で作り笑いを浮かべようとしていたが、額の辺りに脂汗をにじませていた。
「救急車か、タクシーでも呼びましょうか?」
春彦は、心配して聞いたが、女性は、顔を左右に振り言った。
「大丈夫、少し治まってきたし、家はすぐ近くなので。」
「じゃあ、家まで送っていきましょう。」
春彦は、そういって女性の荷物を持って、肩を貸し、女性をゆっくり立ち上るのを手伝った。
「すみません。」
女性は、すまなそうに言った。
二人は並んで歩き出し、だんだんと女性も具合が良くなってきたのか、歩く足取りもしっかりしてきた。
そこから10数分、歩いたところで、女性は立ち止まり目の前のマンションを指さした。
「あ、ここです。
 このマンションなんです。」
「あっ、そうですか。
 じゃあ、大丈夫ですね。」
春彦は、そういって、女性に荷物を返そうとした。
「あの、少し、休んで行きませんか。
お礼にお茶でも。」
「いや、そんな気遣いは不要です。」
春彦は、固辞して帰ろうとした。
女性は、慌てて春彦の腕をつかんだ。
「ひとり暮らしなんです。
なんだか、心細いので少しだけ寄っていただけませか。」
マンションのエントランスの明かりで、春彦は初めて女性をまじまじと見つめた。
春彦より年上だが、年のころは20代後半で、肩より少し長めのカールした黒髪、ぽっちゃりした下唇、どこかのモデルでも通りそうなきれいな顔立ちをしていた。
また、成熟した女性の香りがして、春彦は思わず見惚れてしまっていた。
「私、山藤カレンと言います。
 このマンションの306号に住んでいるんです。
 どうか、少しだけでも上がっていってもらえませんか?」
すがるようなカレン目に見つめられて、春彦はどきまぎして答えた。
「じゃあ、少しだけ。
 あっ、僕は立花春彦と言います。」
「あら、素敵な名前ですね。」
カレンは、ニコッとして言った。
二人はマンションエレベーターに乗り、カレンが3階のボタンを押した。
エレベーターは、機械的な音を上げ、ゆっくり上昇を始めた。
3階につきエレベーターが止まるときに、がだんと揺れた。
「きゃ。」
とカレンは小さな悲鳴を上げバランスを崩した。
春彦は、慌ててカレンの腕を取り、カレンの身体を支えた。
「ごめんなさい。
このエレベーター、いつも止まる際に揺れるの。
今日は、まだ、足元がふらついて…。」
カレンは微笑みながら言った。
「そうなんだ、でも、危ないですよね。」
春彦は、カレンを支えながらエレベーターから出た。
306と号室のボードが出ているドアの前で、カレンはバックから鍵をだし、部屋のカギを開けた。
カレンが先に玄関に入り、電気のスイッチを付けた。
「ちょっと、散らかっているけど、気にしないでね。」
カレンは室内履きのスリッパを並べて、春彦に入るように促した。
「じゃあ、お邪魔します。」
「あっ、入ったら、鍵をかけておいてくださいね。」
カレンの言ったセリフが不思議に聞こえた。
(普通、知らない人間を入れるのなら、鍵は開けっ放しでは?)
と春彦は思った。
「どうぞ、こっちに来て。」
春彦はリビングに通された。
1LDKの間取りで、ふすまが閉まっている先の部屋は、カレンの寝室だろう。
春彦は、ぼんやりと室内を見渡した。
リビングは、女性らしく小奇麗に片づけられていた。
(開かっているというのは、一種の社交辞令だな。)
と春彦は何気なく思った。
「やだ、そんなにジロジロ見渡さないで。」
カレンは、笑いながら言った。
「そこの椅子に座っていてね。
 今、何か飲み物を用意するから。
 ビールでいい?」
「え?
 いや、何もいりませんよ。
 すぐ、お暇しますから。」
「そんなこと言わないで。
 それとも、アルコールはだめなの?」
「いえ、そんなことありませんが…。」
「よかった。
 いつも一人で寂しかったから。」
カレンは、冷蔵庫から缶ビールを2本出してきた。
自分の家という安心感からか、カレンは、だいぶ打ち解けたような態度になっていた。
「でも、さっきまで貧血で具合が悪かったのでしょ?
 そんなのに、ビールを飲んで大丈夫なんですか?」
「大丈夫。
だって、もう我家なので、具合が悪くなってひっくり返っても大丈夫。
それに今日は最後にいいことがあったから。」
カレンは、悪戯っぽく笑って言った。
「じゃあ、かんぱーい。」
あっけらかんとして、さっぱりしているカレンに春彦は好感を持った。
「かんぱい。」
二人は、缶ビールを開けてビールを一口飲んだ。
「ああ、美味しい。
 今日は、特に美男子君と一緒だから。
 そうだ、おつまっみ、おつまっみと。」
カレンは楽しそうに言いながら、冷蔵庫の中からハムとチーズを出してきた。
「でも、立花さん、今日はありがとうございました。
 たまに、ああいうことになるのですが、その時は、一人でどうなっちゃうか不安だったの。
 そこで、声をかけていただき、すごく心強かったわ。」
テーブルに並べながら、カレンは春彦を見て改めてお礼をいった。
「いや、そんな。」
春彦は、少し照れていた。
「立花さんて、おいくつ?
 背広を着ているから、社会人かな?」
「ええ、今年23歳です。
 社会人1年目です。」
「あら、じゃあ、私が5つお姉さんだわ。
 年を感じるわね。」
「そんなことないですよ。」
春彦は『お姉さん』という言葉に、一瞬、悠美のことを思い出した。
悠美とカレンとでは、全くタイプが違い、悠美はどちらかというと本当の姉のようで、カレンは、成熟した女性と印象が全く違っていた。
「でも、カレンさんは独り暮らしなんですか?」
「そうなの。
 大学卒業して、こっちに出てきて。」
「彼氏とかは?」
(何を俺は聞いているんだろう)
と春彦は、すこし焦った。
そんな春彦のことを気にした様子なく、カレンは明るく答えた。
「彼氏とは半年前に別れちゃった。
 だから、今は彼氏募集中。
 春君、彼氏になる?」
「え?」
いきなり苗字ではなく下の名前で呼ばれ、しかも冗談ともとれないセリフを聞いて、春彦はますます焦った。
「あっ、ごめんなさい。
 ついつい、立花さんと話していると、なれなれしくなっちゃって。
 ごめんなさい、気を悪くしないでね。」
「いいですよ。
 なんか、俺良く言われるんです。
 ぼやっとしているから、ついいろいろ話してしまうって。
 人畜無害ってやつですかね。
 まあ、それだけですが。」
「あは、よかった。」
カレンは、ほっとしたように言った。
「それに、春でいいですよ。」
「じゃあ、私もカレンて呼んでね。」
春彦は、照れながら頷いた。
「でも、普段は知らない男性を部屋にあげたりしないのよ。
 春君だからかな。
 何か優しい感じがして、この人なら大丈夫って感じがして…。」
カレンは、なぜかはにかむように言った。
それから、1時間以上、他愛もない話で盛り上がり、缶ビールも2本ずつ空けていた。
春彦は、ふと時間が気になり腕時計を見て言った。
「いけない。
 少しだけっていったのに、もう1時間以上。
 カレンさん、そろそろ帰ります。」
「え~、もう?
 もっとゆっくりしていけばいいのに…。」
「あしたも仕事なんで。
 駄々を捏ねないでくださいね」
アルコールが少し回ってきたのか、駄々っ子のように不満を口にするカレンに笑いながら春彦は言った。
「じゃあ。」
春彦は、立ち上がった。
「仕方ないなぁ。
 じゃあ、お見送り。」
カレンもそう言って立ち上がり、春彦と玄関のドアの方へ歩き始めた。
が、何かに躓いたのか、ふらついたのか、「きゃ」という声で、体勢を崩したカレンを春彦は抱き留めた。
「大丈夫ですか?」
春彦は声をかけた。
「…。」
カレンは何も言わず、じっと春彦を見つめていた。
そして、体を入れ替え、春彦に抱きついた。
「えっ?」
春彦は急なことで驚いたが視線の先にカレンの顔が、そして何かを言っているなまめかしいその唇にくぎ付けになった。
そのカレンの唇が、春彦の唇に近付いてくる。
そして鼻腔にカレンの成熟した大人の女性の香りがいっぱいに入ってきて、春彦は取りつかれたように、カレンの唇に自分の唇を重ね、力強くカレンを抱きしめた。
カレンは、両手で春彦の首にかじりついた。
「そこの部屋に…。」
しばらく、そうしていたあと、カレンが春彦の耳に口を近づけ、喘ぐように言った。
カレンが言った部屋とは、春彦が寝室と思っていた部屋だった。
「うん。」
春彦は、返事をし、カレンを抱き上げた。
「きゃ」
カレンは、小さな悲鳴を上げ、春彦の首に回している腕の力を少しこめた。
春彦が、カレンを抱き上げながら部屋に入ると、そこにはきれいに片づけられているベッドルームだった。
春彦は、優しくカレンをベッドの上に横たえた。
カレンは、それでも首に回した手をほどかず、下から春彦を眺め、微笑んでいた。
そして、二人は自然と体を重ね合わせた。
春彦は、上からカレンを抱きしめながら、うなじに口づけをした。
カレンがぴくっと反応した。
春彦は、カレンのブラウスの上から胸をまさぐり、そして、ブラウスのボタンを下から外していった。
ブラウスとアンダーを外し、カレンは上半身裸になっていた。
春彦は、そのたわわな胸のつぼみに口をつけ、下で転がすように吸った。
カレンは、体を少し捻じり、小さなため息をついた。
春彦は、胸から腋まで下を這わせていった。
そして、空いている手をスカートの中に這わせた。
カレンはそれに呼応するように、脚を少し開いた。
パンティの上から、カレンの秘部を愛撫した後、カレンのスカートを脱がし、春彦も裸になった。
全裸になった二人は、お互いに激しく体を絡めあった。
そして、春彦の手がカレンの秘部を触ると、そこは、すでにじっとりを濡れていた。
「今日は、大丈夫なの。
 来て。」
カレンが、なまめかしい声で呟いた。
春彦は、体勢を立て直し、自分の固くなったものを、カレンの濡れた秘部に突き入れた。
「ゔっ」
カレンは、一瞬、声を上げたが、そのまま、春彦を受け入れた。
春彦は、女性経験は初めてではなかった。
長身ですらりとした体格、風貌もまずまずの好青年の春彦は、学生時代から女性から好感を得ていた。
しかし、春彦は、軟派ではなく、どちらかというと硬派で、女性とぺちゃくちゃ話をすることはあまりなく、それが逆に人気になっていた。
1、2人の女性と付き合ったことはあったが、春彦は決して心を許すことなく、付き合った女性はそれが苦痛で、各局、長続きはしなかった。
カレンもある程度男性経験があり、二人は、お互いの欲望を絡めあっていた。

「まったく、春君はすごいね。」
カレンは笑いながら上半身を起こし、春彦に向かって言った。
「そんなことないですよ。」
春彦は、少し照れながら答えた。
しかし、春彦は身体を重ねた後、いつものような虚無感にさいなまれていた。
春彦は、いつも、女性と身体を重ねた後、身体とは裏腹に、心が空しくなっていた。
そんな春彦のことを見通したように
「ねえ、知ってる?
男と女って、お互い運命の人がいるって。
 ほら、良く言うじゃない、赤い糸で繋がってるって。
 お互いが、その人で、カップルになればハッピーなんだけど、そういうカップルって少ないそうよ。
 片方が運命の人と感じ、もう片方がそうでなかったら、運命の人と感じなかった方は、凄く空しくなるって。」
「…」
春彦は、カレンが何を言っているのか理解できなかった。
(春君にとって、私は運命の人じゃないな。
私、春君だったらいいなと思ったんだけど。)
カレンは、春彦を見ながら思った。
「私、この前、彼氏と別れてから、しばらく一人でのびのびしていたいんだ。
束縛されるのも、当分、ごめんなの。
 でも、春君とは、また、会いたいな。
 たまに、連絡してもいい?」
「えっ?
 ああ、全然かまわないですよ。
 僕も、カレンさんと話をするのが楽しいし。」
「よかった。」
悪戯っぽくカレンは春彦の鼻にキスをした。
(ようは、恋人ではなく、ちょっと深い友達ってことかな。
それはそれで、構わないな。)
春彦は、カレンの言ったことをそう理解した。

カレンと別れ、家に帰ったのはしっかり深夜になっていた。
ドアを開けると、リビングの方から「おかえりー」という舞の声が聞こえた。
「ただいま。」
春彦は、そういいながらリビングに入っていくと、お酒を飲みながら、舞がニヤニヤしていた。
「こんな時間まで、女の子と、お楽しみかな?
 佳奈ちゃんに言いつけてやるよ。」
「佳奈は、関係ないだろ。
それより、そんな言い方、エロ爺みたいだよ。」
「そうかなぁ?
 まあ、いいでしょ。
 それより、どんな娘?
 お付き合いしてるの?」
「なんでさ。」
「私の鼻を侮るなよー。
 春の身体から。若い女の子、女の子じゃないな、成熟な大人の女性の匂いがするよ。」
「勝手に言ってな。
 明日も仕事だから、風呂に入って寝るよ。
 そうそう、ご飯は食べてきたから。」
「はいはい。」
舞はニヤニヤ顔をそのままに、手を振っていた。
春彦は、素っ気なく自分の部屋に戻っていったが、内心、舞に見透かされているようで冷や冷やものだった。
(しかし、凄いな。
 さすが、母さんだな。)
反面、まぐれでも言い当てた舞に感心することしきりだった。

それから、数カ月経ち12月に入ったある日のこと、佳奈は自宅のある駅の改札を出たところだった。
「まったく春ったら、最近ちっとも連絡をくれないで。
 最近、墓参りにも行ってないし…。」
佳奈は、会社帰りぶつぶつと独り言を言いながら、駅近くの商店街を歩いていた。
佳奈と春彦はお互い社会人1年目で、仕事に慣れるべく、忙しく、ここ数カ月も全く連絡を取り合っていなかった。
でも、佳奈は、何かにつけて春彦のことを思っていた。
ふっと、遠くを見渡すと、佳奈の視線の中に春彦が飛び込んできた。
「あっ、春彦だ。
 全然連絡くれないで、ちょっととっちめてやろうかな。」
言葉とは裏腹に佳奈は春彦に久々に逢えた嬉しさで、笑顔になっていた。
そして、春彦に近付いていき、声を掛けようとした瞬間、春彦の隣にきれいな女性がいるのを気が付いた。
春彦は、その日、カレンの買い物に付き合っている最中だった。
楽しそうに語りながら歩いている二人を見て、佳奈は、声もかけずに立ち止まった。
そして、そっと後ずさりして二人から離れ、踵を返して二人から遠ざかるように、違う路地に入っていった。
「春と歩いていたきれいな女の人、誰なんだろう。
 春の彼女?恋人?」
そんなことを考えながら、佳奈は心が締め付けられる思いがした。
だんだんと歩くスピードが遅くなり、うつむき気味に歩いていた佳奈の瞳から涙が一粒流れた。
「しかたないよね。
 春は、女の人にもてるから。」
佳奈は、その涙を手で拭いながら、つぶやいた。
そして、ふと周りを見渡すと、あまり通ったことのない道だったことに気が付いた。
「いけない、いけない、こんなところまで来て。
 ここら辺は、街頭もなく危ないんだっけ」
と、十字路を横断しようとした時、無灯火の車がスピードを緩めることなく、迫ってくるのが見えた。
「なに?」
よける間もなく、佳奈はその車に跳ね飛ばされた。
激しい衝撃の中、佳奈の意識は暗闇に吸い込まれていった。
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DATE: CATEGORY:序章 だるまさんがころんだ
はるかな物語の序章の『だるまさんがころんだ』をお贈りしました。
序章ですので、春彦と佳奈の生い立ちや、事件のこと、また、この後のことは次章からお贈りいたします。
タイトルの混線次元ですが、今後、時代ごとに流れていかず、昔にもどったり、これからの話になったり、時代背景が前後したりするところから名前をつけました。
言い換えると、書きたい場面から書くということですが…。
もし、少しでも興味をお持ちになられたら、これからも読みに来てください。

次は、佳奈が巻き込まれた事件の章です。

では。
DATE: CATEGORY:序章 だるまさんがころんだ
また、次の週、春彦が来ると約束した日、いつものように、佳奈の部屋で茂子は部屋の片づけをしていた。
「佳奈、今日は、椅子はどこに置くの?」
佳奈は、うつむいたまま、返事をしない。
「どうしたの?」
ふと佳奈の指がある場所を差しているのが目に入った。

「佳奈、入るよ。」
いつものように春彦はドアの前で佳奈に声をかけた。
「うん」と微かに返事が聞こえ、春彦はドアを開け部屋に入った。
(さて、今日はどこまで近づいたかな。)
と思い、椅子の位置を探した。
(えっ)
声には出さなかったが、春彦は心臓の動機が激しくなるのを感じた。
春彦の座る椅子が、佳奈のベッドのすぐ横に置いてあり、手を伸ばせば佳奈に触ることができるところに置いてあった。
いつもよりぎこちなく春彦は佳奈の近くの椅子に近付いていった。
(いきなり、すぐ傍にか。
 さて、どうしようか。)
春彦は、いつものように椅子の向きを変えようとしたが、何となく今日は、そのまま座ることにした。
そして春彦は佳奈のそばに座り、窓から入ってくる風に、佳奈のやさしい香りが含まれていることを感じ、思わずうっとりしている自分を感じた。
佳奈も、こんなに近くに家族以外の人間が近づいたこと、特に、春彦であることに、尚更、意識をして身体が熱くなるのを感じていた。
(こんな近くで、いやじゃないかなぁ、嫌われないかなぁ。
 以前は、平気で色々なことを言えたのに…。)
うつむきながら考えこんでいた佳奈に、春彦はいきなり声をかけた。
「髪、触ってもいい?」
「えっ?」
佳奈が、返事をする間もなく、春彦の手が優しく佳奈の髪をなでる。
「佳奈の髪は、昔からいい匂いなんだ。」
(以前の佳奈だったら、こんなこと言ったら殴られたかな。
なんで、おれはいきなり佳奈の髪を触りたいなんて言ったんだろう。)
春彦は自分で言ったこと、態度に半分おどろいていた。
むかしから、佳奈の髪は黒く、しなやかで、シャンプーリンスのいい匂いがしていた。
春彦はたまに、佳奈に髪を触らせてくれと頼んでいたが、佳奈は、真顔で春彦を変態呼ばわりして触らせなかった。
しかし、時にはわざと髪を春彦の方に近づけ、ほらほらとからかって見せていた。
そんな佳奈だったが、今日は、じっと、春彦に髪を撫でさせていた。
(春彦、私の髪に触れている。
 いい匂いって。
 私、私って…)
佳奈は、思い切って、今にも泣きそうな顔を春彦に向けた。
「へっ?」
突然、佳奈見つめられ、また、今にも泣きだしそうな佳奈の顔を見て、春彦はどきっとした。
そして、佳奈は息せき切ったように春彦に向かって質問を浴びせた。
「私、汚くないの?
 臭くないの?
 私と居て、何とも思わないの?」
春彦は、最初はびっくりしたが、真顔で答えた。
「佳奈は、昔からいい匂いで、そう、お天道様のような、何と言おうか、ともかく、俺の大好きな匂いだし、佳奈といると気持ちいいし、その…」
春彦は顔を真っ赤にして、次に何を言おうかありったけの言葉を探しながら話していると、さらに、佳奈は割り込んで言った。
「春、私の傍にいて平気なの?
 いつもの春なの?
 私は、私ったら、わたし…」
佳奈も自分が何を言おうとしているのか、すでに分からない状態に陥っていた。
春彦は、力強く、しっかりした声で言った。
「当たり前だ。
 俺は、いつも佳奈の味方だ。」
それは、監禁されていた場所に助けに来てくれ、シーツに包まれた佳奈の身体を力強く抱き上げ、嫌なところから助け出してくれた人物、佳奈は、春彦だろうとうっすらとしか記憶がなかったが、それが春彦だったということが、この一言で確信に変わった。
そして、とうとう抑えていた感情が爆発した。
「春、はる~!」
佳奈は、下半身が動かないので上半身をひねるようにし、春彦の名前を泣きながら呼び、思いっきり抱きついた。
佳奈は春彦より身長が20㎝程低かったので、丁度、春彦の胸に顔を埋める格好になった。
「うぇ~ん」
佳奈は、今までのじっと暗い闇の中でひたすら我慢していたのが、まるで嘘のように晴れていくような、そう、世界が見たことのないような光に包まれていくような感覚を覚え、胸の奥からとても暖かなものが湧き出てくるような感じがしていた。
そして、ふと懐かしい声が聞えた気がした。
(よかったわね。
もう、我慢しなくていいのよ。)
そう声をかけられ、髪を撫でられる感触を感じた。
実際には、春彦が撫でていたのだが、春彦以外、佳奈にとって、とても懐かしい感じがした。
佳奈は、もう、迷うことも、我慢する事がせずに春彦に抱きついた。
そして、春彦の胸に顔を埋め、泣きながら、何度も何度も、まるで子供に返ったように春彦の名前を呼び続けた。
「はる~。
 怖かった、寂しかった。
 とっても嫌だった。
 はる~。
 うぁ~ん」
春彦は、そんな佳奈を優しく、また、しっかりと抱きしめ、片手で佳奈の髪を優しく撫でていた。
佳奈と春彦が小学校低学年の時、佳奈がいじめっ子にちょっかいをかけられ、耐えていた時に通りがかった春彦が、そのいじめっ子を追い払ったことがあった。
その時も、佳奈は、張りつめていた心がいきなり解け、今と同じような声で泣き出し、春彦に抱きついて泣き続けたことを春彦は思い出していた。
あの時の佳奈が帰ってきた、春彦の知っている佳奈に戻ってきたと感じ、少しずつ落ち着いてきた佳奈に春彦は優しく言った。
「佳奈、おかえり。」
「うん、
 ただいま。」
佳奈は、涙でくしゃくしゃの顔だったが、今まで見せたことがないような晴れやかな笑顔を見せて答えた。
そして、また、春彦の胸に顔を埋め、しゃくり上げていた。
春彦も佳奈を抱きしめながら、髪に顔を埋めていた。
佳奈は春彦に抱きしめられ、一人でないこと、大事に思ってくれる、また、大事にしてくれる春彦がいることで、すべての悩みが掻き消えた思いだった。
春彦は、佳奈から匂い立つような優しい女性の香りを感じ、もう、離さないと言わんばかり夢中で佳奈を抱きしめた。
しばらく、そのまま静かな時が二人の上に流れた。
そして、少しした後、二人はゆっくり、顔を上げお互いの顔を見つめ、微笑みあった。
「春。」
佳奈は、春彦にもたれかかり、微笑みながら春彦の名前を呼んだ。
「なに?」
「いつも、気にかけていてくれたんでしょう?
ありがとう。」
「当たり前だろ。
 小さい時から、いつも、一緒だっただ。
 なんて言っても、佳奈は笑顔が一番だからな。」
「ありがとう。
 なんて言ったら良いんだろう。
 私も春といつも一緒にいて楽しかったんだよ。
 やっぱり、春のそばが、落ち着くし、安心できるの。」
「それは、それは。
て、俺は、コメディアン志望の用心棒かい。」
「あははは。」
それは、久しぶりにかわす何の変哲もない、屈託のない会話だが、二人にはとても新鮮で、懐かしいものであった。

トントンと部屋のドアをノックする音がした。
佳奈は、慌てて寄りかかっていた身体を春彦から離した。
「はーい」
そして、佳奈は今までが嘘のような明るい声で、返事をした。
茂子は、春彦の買ってきたケーキを持って入ってきた。
「まったく、泣き声が聞こえたと思ったら、いきない静かになり、今度は、笑い声。
 いったい、二人は何をしていたの?」
茂子は、必死に平静さを装っていた。
それは、待ちに待っていたこと。
佳奈が、以前のように明るく返事をしてくれたこと。
こうまで、劇的に変わったことに驚き、そして、泣きたくなるほどの嬉しさがこみ上げてくるのを感じていた。
「ケーキを持ってきたのよ、そうしたら…」
茂子は、感極まり、言葉を詰まらせ、わなわなと震えだし、ケーキやコーヒーカップがのっているお盆を落としそうになった。
春彦が、間一髪、お盆を受け取り、机の上に置いた。
「春君、ありがとう、本当にありがとう」
お盆の御礼か、それとも違う意味か春彦には分からないが、頷いて見せた。
茂子は佳奈をみながら、目頭が熱くなるのを感じた。
「この子は…。
ねえ、お母さんって、言ってみて。」
「心配させて、ごめんね、お母さん。」
佳奈は、照れくさそうに、でもしっかりした声で言った。
春彦は、気をきかせて、そっと佳奈から離れ、自分と佳奈の間に茂子を誘い込んだ。
「もう、もう…」
今度は、茂子が佳奈に抱きついてしゃくり上げた。
「お母さん。」
佳奈も、茂子に抱きついていた。
「どうしたんだ?!」
今度は、一樹が部屋に入ってきた。
日曜日で家にいた一樹も、佳奈の泣き声や笑い声を聞いて、すっ飛んできて、様子をうかがっていたのだが、がまんができなくなり乱入してきたのだった。
一樹は、恰幅のいい体格をしていたが、今はまるで窮屈に身体を丸め、メガネが半分ずり落ちていた。
佳奈は、そんなハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしている一樹に向かって笑顔で言った。
「お父さん!
 お腹がへったぁ。」
「おう、おう、そうか、そうか。
 今日は、佳奈の好きなものをたくさんたくさん用意しような。」
一樹も、くしゃくしゃな笑顔で、ただただ頷くだけであった。
それから、しばらく昔話とケーキとコーヒーで盛り上がった。
一樹も茂子も、佳奈がまた心を閉ざさないように、事件のこと、その前後のことは一切話題には出さなかった。
春彦は頃合を見て、帰るために佳奈に声をかけた。
「じゃあ、佳奈。
 遅くなったから、そろそろ帰るな。
 また、来週来るから。」
「うん。
 待っているから。」
と、今まで見せたことのないような極上の笑顔を春彦に向け、元気に答えた。
茂子は、玄関まで春彦を見送りについてきたが、帰り際、声にならず、ただただ半泣きな顔で、春彦の手を握って、うなずくだけだった。
「ふう。」
佳奈の家を出たあと、春彦は、一息ついて、また、佳奈の家の方を振り返った。
心なしか、佳奈に家が明るく感じ、春彦も、何となく楽しい気分になっていた。


春彦は、そのあとのことを、後日、茂子の話を聞いた舞を通じて聞いた。
佳奈は、数日を掛けてゆっくりと自分のことを茂子に話していた。
だいたいは、警察での調書のとおりで、監禁状態で常に「汚い、臭い、醜い」といった罵声を浴びせられ、だんだんとそうなのかと自分を見失っていったこと。
助けられたが、それ以降、同じことを言われるのが怖く、誰とも会いたくなく、何もする気力も起きなくなっていたこと。
しかし、そんな時に、ふと、春彦からお見舞いでもらった「ほのぼの人形」を見ていると、春彦との楽しかった会話や、じゃれあいがとても懐かしく、胸を熱くなって、春彦に会いたいという感情が日増しに強くなっていったこと。
だけど、その反面、会いたくない、会って春彦に犯人たちから言われたことと同じことを言われ、嫌われたらという恐怖心が勝っていたこと。
しかし、春彦が見舞いに来るたび、徐々に気持ちも変ってきて、前のように接したい、接してもらいたいという気持ちの方が強くなっていったこと。
春彦は、見舞いに来るたび、特に変わってなく、以前の春彦だったことも、佳奈にとっては、すごくうれしかったこと。
特に、自分の前で転寝する春彦を見ていて、変わらない空間がそこにあり、自分も一歩踏み出せば、また、懐かしいあの空間に入れるのではと希望が湧いて、とうとう勇気を振り絞ったとのことだった。
舞は、茂子から聞いたことを春彦に話した。
「まあ、我が息子にしては、佳奈ちゃんの役に立ってよかったわ。
 でも、聞いたよ、佳奈ちゃんを抱きしめてたんだって?
 思わず、欲情したんじゃないでしょうねぇ。」
「そっ、そんなことないわい!」
半分図星を差され、春彦は赤くなって否定した。
(ええ?
 ひょっとして、茂子さんに全部見られていたのかな…)
そう思うと春彦は尚更、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。
「でも、よかったことは、よかったんだけど、佳奈ちゃんにとっては、スタートラインにつくのが少し遅すぎたわね。」
「え?」
舞の意外な一言に、思わず春彦は聞き直した。
舞は、気持ちを切り替えるように春彦を誘った
「取りあえず、お酒でも飲もうよ。
 今日は、飲んでもいいだろう?
 『熟年美女の雫』が買ってあるから、持っておいで」
「なんちゅう、銘柄の日本酒を、どこから買っているんだよ。
 滅茶苦茶、悪酔いしそうだな」
「つまみはイワシの干物があるから、あぶって一緒に持っておいで」
春彦は舞の一言が気にはなっていたが、肩をすくめ、台所に向かった。
「へえへえ、まったく、こき使うんだから。」
「いいだろう?」
軽口をたたきながら、春彦は、つまみとお酒を持って居間に戻ってきた。
つまみをテーブルの上に置き、お酒の封を開け、舞と自分のぐい飲みにお酒を満たした。
舞は、待っていましたとばかりにぐい飲みを持ち上げた。
「なにはともあれ、佳奈ちゃん、よかったね。
 欲情男に乾杯」
「もう!」
春彦も苦笑いしながら舞と乾杯し、ぐい飲みのお酒を飲みほした。
「く~、効くね~。
 もう一杯!」
「はいはい」
春彦もやっと胸のつかえが下りた気がした。
しばらく、他愛のない話をしながら、少し酔いが回ってきたところで、舞が先程のセリフの意味を話しはじめた。
「佳奈ちゃん、事故の影響で下半身、って言っても両足だけど、麻痺しているんだよ。
 でも、早くにリハビリを始めれば、ある程度、歩けるようになったかもしれないんだって。
 だけど、例の事件の影響で、入院、自宅療養でもあんな調子でじっと閉じこもっていたから、すっかり足の筋肉も弱って…。
今は、リハビリができる状態じゃないんだって。」
「…」
「だから、望みはあるのだけど、歩けるようになるかは、至難のことらしいよ。」
「そんな状態なんだ…。」
「まずは、本人が気力を出して、前を向いて立ち向かっていかないとね。
周りは応援するしかできないからね。
でも、リハビリって、すごく辛いそうよ。
 あんなに明るくていい子なのに、なんでこんな目に合わなくちゃならないんだろうね。」
ぐすんと舞は、鼻をすすった。
春彦が見ると、舞は涙ぐんでいた。
「春、佳奈ちゃんを目いっぱい元気づけてあげなくちゃね。
 私も、今度、会いに行ってみよう。」
「もちろん、励ますけど、何て言って励ませばいいかな。」
「お前が、いろいろ考えても、どうせ大した頭がないんだから、いつも通りに接すればいいんだよ。
 でも、手を出しちゃだめだよ。」
「それが、難しいんだけどなぁ。
 え?」
春彦は考えこんでいて、舞の最後に言ったセリフを聞き流しそうになっていた。
舞の方は、話をどんどんと進めていた。
「そうそう、茂子が、凄く感謝していたよ。
 春が、神様に見えたって。
 神様、がんばろうね。
あははは。」
どんなに嫌なことがあっても、舞は常に笑い飛ばし、前に進んでいくタイプで、そんな舞にいつも春彦は元気をもらっている気がした。
「くよくよしても仕方ないね。
 大変なのは佳奈ちゃんだけど、あの娘、ああ見えても芯が強い娘だから、これからいい方向に向かうはずさ。
それを祈って、さあ、もっと、飲もう!」
「おいおい、明日も仕事があるんだけど」
「気にしない気にしない」
「まったく、もう。」
舞に付き合ってお酒を飲みながら、
(さて、遅かろうがスタートラインに着いたんだ。
 これから、どうしたらいいものか…)
と、春彦は考えながらお酒を口に運んでいた。
DATE: CATEGORY:序章 だるまさんがころんだ
次の週は、その前と違ってぽかぽかと暖かい、いいお天気だった。
「佳奈、入るよ」
春彦は、いつものように佳奈の部屋のドアに前に立ち、ノックをして、優しく声を掛けた。
部屋の中から、微かだが、返事をする佳奈の声が聞こえた気がした。
部屋に入ると、椅子が、部屋の真ん中あたりに置かれていた。
春彦は、気にすることなく、その椅子の置かれている場所に歩いていき、また、いつものように椅子を反転させ座った。
外はいい天気で暖かく、部屋の窓から心地よい風が入ってくる。
「どう、調子は?」
春彦は、優しく聞いた。
佳奈は、「うん」と微かに答えるだけだった。
(あれ、今、佳奈が返事をしたな。
 何か言いたそうだし、待ってみるか)
春彦は、いつもと少し様子が違うことを感じ取り、静かに佳奈が話しかけてくるのを待つことにした。
佳奈のベットの傍の窓から日が差し込み、心地よい空気が流れてきて、春彦はしばらく、カーテン越しにお日様に包まれている佳奈を眺めていた。
(今日は、だいぶ顔色も良くなってきたな。
 退院した時は、あんなにがりがりにやせ細った身体だったのに、すこし、前の様にふっくらしてきたかな。)
佳奈は、もともとは少し細身だったが、女性らしい丸みを帯びた体つきだった。
顔も小顔だが、可愛らしい顔つきだった。
それが今回の一件で、げっそりとやせ細ってしまっていた。
肩の下まであったセミロングの髪も、痛みまくり、おかっぱのようにバッサリと切られていた。
しかし、時間とともに、少し髪も伸び、少しずつ変わってきていた。
春彦は、そういう佳奈の変化を、おぼろげに感じ取っていた。
佳奈の方は、春彦がなにを思っているかを知らずに、ひたすら心の中で葛藤していた。
(何か話しかけてもいいのかなぁ。
 優しく答えてくれるかな。
 でも、なにを言ったら良いんだろう…)
以前は、なにも気にすることなく、思ったことを口に出して言えたのにと佳奈は考えこんでいた。
この沈黙の時間は佳奈が思っているよりずっと長い時間だった。
そして、春彦が何も言わないことに、やっと気が付き、顔を上げ春彦の方を見た。
「えっ?」
佳奈は思わず驚いた。
そこには、椅子を抱え込みながら居眠りをしている春彦の姿があった。
春彦は、じっと佳奈の言葉を待っていたのだが、仕事が忙しく疲れ気味だったため、ついうとうと居眠りをしてしまっていた。
春彦は178cmの長身で、華奢でもなく、がっちりした身体ではなく、どちらかというと細身の締まった体つきだった。
その春彦が、女の子が使う小さめの椅子の背もたれを抱え込むように、身体を丸めて寝ている姿を見て、佳奈は心の中が暖かくなってくるような気がした。
佳奈は、じーっと春彦の顔を見ながら、また、春彦を起こさないように気を付けていた。
(春、寒くないかしら。
 私のショール、掛けたら嫌がるかな…、臭うって…。
 それに、春のところまでいけないし、私ったら何もできない…。)
15分ほど経ち、その静寂の空間も、外を走る車のクラクションの音で破られた。
春彦は、そのクラクションの音で飛び起きた。
そして周りを見て状況を確認すると、頭をかき照れながら弁解した。
「やべぇ、つい気持ちよくて寝ちゃった。
 最近仕事が忙しく、睡眠不足だったからなぁ」
佳奈は「そう」と窓の外を見るふりをして返事をした。
佳奈の顔には自然と笑みがこぼれたが、その顔を春彦に見えないようにしていた。
そういう佳奈の態度を知ってか知らないか、おもむろに春彦は口に出した。
「今日は、暖かいし、それに、佳奈の部屋は、いい匂いがして気持ちいいんだよね。
 気持良すぎて、ついつい、うたた寝しちゃった。
 ごめん。」
春彦は、そう言っておもむろに腕時計を見て、時間が経っていることに驚いた。
「わっ、もうこんな時間。
 じゃあ、そろそろ帰るね。」
「うん」
春彦は、照れ隠しをするように、あたふたと荷物を持って部屋を出ようとした。
佳奈は、春彦に返事をしながら、ふと春彦が言ったセリフが頭に鮮明に蘇った。
(え?
春、今、なんて言ったの?
 いい匂い?気持ちいい?
 本当に?
 本当に、そう思っているの?)
佳奈は、思わず身を乗り出すように春彦の後姿を追った。
春彦はドアの前に立ち、振り向いた。
佳奈は慌てて顔を伏せた。
「じゃあ、また、来週来るね。
 あと、佳奈の好きなケーキを買ってきたんだ。
 後で茂子さんと食べてね。」
佳奈は俯きながら頷くだけであった。
(来週もまた来てくれるんだ。
 わたしの部屋、いい匂いがするんだ。)
佳奈は、心の底から嬉しさがこみ上げ、自然と涙が湧き出てくるのを感じた。

佳奈の部屋を出ると、また、茂子が立っていた。
春彦は、茂子を見つけ
「茂子さん、ごめんなさい。
 つい佳奈のところで転寝しちゃって、時間がたっちゃった。」
と照れ臭そうに謝った。
茂子はそんな春彦を見て微笑みながら言った。
「いいのよ、佳奈に追い出されなかったのでしょう?
 頂いたケーキを持っていこうかと思ったのだけど、あまり急いで元のように接しないほうがいいと思って。」
春彦は、茂子の言ったことに頷いていった。
「そうですね。
また、来週きますから」
「ありがとうね、春君。」
茂子は嬉しそうに答えた
「でも、佳奈、随分元気になってきたでしょう?」
「そうそう、今日は、佳奈の方から何か話しかけてくれそうだったんですが…。
 また、来週のお楽しみです。」
茂子は、笑顔でうなずいた。
「そうなのよ。
本当に、春彦君のおかげで、佳奈は随分元にもどってきたような気がするわ。
 また、よろしくお願いね。」

その日、春彦の持ってきたケーキを食べながら、佳奈は茂子に話しかけていた。
「ねえ、お母さん。
 今日、春ったら、椅子に座って転寝してたのよ。
 この部屋、いい気持だって言って。」
「そう、よかったじゃない。
 でも、春君の体格で、佳奈の椅子じゃ小さかったろうにね。
 よく転げ落ちなかったわね。」
「本当。」
佳奈は、微笑みながら答えた。
(佳奈の笑顔を見るのは、本当に久しぶりだわ)
茂子は、佳奈に悟られないように、心の中でつぶやいた。
「ねえ、お母さん。」
佳奈は、小さな声で呟いた。
「なに?」
「私、また、歩ける様になるかな…。」
「当たり前でしょ。
 先生もリハビリすれば、必ずって言ってたじゃない。」
茂子は、佳奈の言っていることに驚いて、食べているフォークを落としそうになりながら、力強く答えた。
「そう…。」
佳奈は、そう言うとまた、なにか考え事を始めていた。
「佳奈ちゃん…。」
茂子は、そんな佳奈を見つめるだけだった。
しかし、茂子には、佳奈が徐々にだが前を向きだしたことを感じていた。
DATE: CATEGORY:序章 だるまさんがころんだ
次の週の日曜日は、あいにくの雨模様だった。
茂子は、佳奈の部屋で片付けをしていた。
佳奈は、病院から家に戻ってきてから、無気力で、ただ、ぼーっとしていることが多く、また、家族との会話も、一樹や、茂子から話しかけても、うわの空で会話にならないことが、ほとんどだった。
そんな佳奈に、少し、変化が出てきた。
先週、春彦に逢ってから、佳奈は、一樹や茂子の会話に少しだが返事をし、また、自分から話しかけるようになってきていた。
「お母さん、今日は、雨ね。
 春彦、来てくれないかなぁ。」
佳奈は、不安げに茂子に話しかけた。
「そんなことないわよ。
 先週、春君、約束したんでしょ?
 春君、佳奈との約束破ったことないじゃない。」
「嘘よ、約束破ることあったよ…」
約束を破ったというのは、佳奈も思い出せない些細なことで、大切な約束は破ったことがないことをよく知っていた。
しかし、今は、不安が大きくなっていた。
「仕事が、忙しいとか、風邪を引いたとか…。」
いつもより、雄弁な佳奈に茂子は驚きながらも、顔には出さず励ますように言った。
「大丈夫よ。
 絶対に来てくれるって。」
「そうかな…。」
「それより、寒くない?
4月なのに雨のせいかしら、今日はやけに寒いわよ。」
「うん、大丈夫。」
「さてと。今日は椅子の位置はどうするの?
 佳奈のそばでいいのかしら?」
「それは…。」

そんな会話が朝にあった日、春彦は昼過ぎに佳奈に逢いにやってきた。
先週、見舞に行った後、茂子から舞に、早速、佳奈に変化が現れたと大喜びの内容だった。
「よかったじゃない。
 あんたでも、少しは役に立ったんじゃない。」
「ああ、ならばいいけど。
 でも、心って、ちょったしたことで、また、元に戻ったり、もっとひどくなったりするんだろ?
 先週、お医者さんから言ってはいけないセリフを結構、言っちゃったんだよね。」
「まあ、ワザとじゃなくて自然に出た言葉でしょ?
 だから大丈夫だったんじゃない。」
「そうかな。」
「まあ、焦らずに、普段のあんたで行っておいで。」
「そうだね、一歩一歩ゆっくり進めばいいよね。」
「そういうこと。」
そう言って舞は春彦の背中を叩いて送り出した。

春彦は、お見舞いと途中の花屋で買った切り花を茂子に渡した。
「これ、佳奈の好きな色を選んで買ってきました。
 後で、渡してくださいね。」
と言う春彦に、茂子は怪訝そうに尋ねた。
「春君が、佳奈に渡してくれれば良いのに…。」
「うーん、でも、椅子の位置が…。」
という春彦に、思わず茂子は、はっとした。
「わかった、ありがとうね」
茂子は、春彦が今の佳奈の状態を良く理解していることに、驚きと、感謝で胸がいっぱいになっていた。

春彦は、佳奈の部屋の前で、ドアをノックし
「佳奈、入るよ。」
と優しく声をかけた。
明瞭な返事は聞こえなかったが、拒んでいるような雰囲気はないと感じ、部屋のドアを開けた。
「どう?調子は?」
調子は、変わっていないことはわかっていたが、そういいながら部屋に入っていった。
部屋は相変らず整頓されていた。
今日は、雨でいつもより冷えるため、佳奈はカーデガンの上にショールをかけていた。
次に春彦の目に飛び込んできたのは、この間より4分の1ほど佳奈に近づいたところに置かれている椅子だった。
(なんだか、「達磨さんが転んだ」をやっているみたいだな。)
と、その形容が自分でもおかしく、つい笑みがこぼれてしまった。
そんな春彦を佳奈が不思議そうに見ていた。
「よいしょ」
その視線を感じながら、春彦は、この前にように椅子を反転させ、馬乗りのように座った。
佳奈は、急いで視線を外し、うつむいた。
「今日は、雨のせいか、外は少し寒いよ。」
「…」
それからは、春彦からの一方通行の会話だった。
「ほら、4月に入って、お客さんの幼稚園にも、新しい園児が入ってきたんだよ。
 みんな、こんなに小さくて…」
春彦は、子供向けの図書の出版会社に勤めていた。
担当は、契約している幼稚園に絵本や文具などを持って行ったり、新しい本を紹介する営業だった。
春彦は、担当している幼稚園の話を面白おかしく、身ぶり手ぶりを添えて佳奈に説明していた。
しかし、いくら、春彦が佳奈に話しかけても、佳奈は俯いたまま、返事をしなかった。
でも、佳奈は心の中では返事をしていた。
(そうなんだ、外は寒いんだ)
(そんなに元気な子ども相手じゃ、たいへんね…)
でも、まだまだ、佳奈の心はトラウマが支配しており、打ち破ることができなかった。
そういう佳奈の葛藤を知ってか、ある程度時間がたった後、春彦は帰ることにした。
(でも、この前来た時よりも、少しはいいかな…?)
この前、佳奈を見舞ったときは、佳奈は青白く、生気が感じられない顔をしていた。
今日は、心なしか頬に赤みが差して来たような気がした。
「じゃあ、佳奈、帰るからね。
 また来週くるからね。
 ちゃんと食べて、元気にならないとな。」
春彦は立ち上がり、佳奈に向かって優しく言った。
「本当?」
と、思わず佳奈の口から言葉がもれた。
「え?」
春彦は聞き直したが、佳奈は、慌てたように顔を伏せた。
「本当だよ。
 来週も必ず会いに来るから。」
春彦は、ほほえみながら言って、部屋を出た。
(本当の本当に?
 こんな醜い私に会いに?
 なんにも気にならない?)
佳奈は、後ろ姿に向かって、問いかけていた。
部屋の外に出ると、茂子がリビングの方から顔を出し、春彦を手招きしていた。
春彦が、リビングに行くと、そこに、一樹が座っていた。
一樹は、春彦にリビングの椅子に座るように促した。
「春彦君、いつも佳奈を気にしてくれて、ありがとう。
 入院している時も会えないのに見舞いに来てくれて、また、今回は私たちの勝手なお願いに嫌な顔しないで、本当に感謝しているんだ。
 春彦君も知っているように、以前の佳奈は、よくお喋りして、よく笑って、私が言うのも何だが、すごく明るく朗らかないい娘だったんだ。
 だから、少しでも以前の佳奈に戻ってほしいという一心から、いろいろと無理なお願いを。
 春彦君にはたいへん申し訳なく思っている。
 このとおりだ」
 と、一樹は深々と春彦に向かってお辞儀をした。
「一樹さん、やだなぁ、そんなこと言わないでください。
 それに、頭を上げてください。
 僕は、ただ佳奈に会いたかっただけです。
 なので、声をかけていただいて、すごくうれしく思っています。
 で、調子に乗って、毎週見舞いに来させていただこうと思っているんですよ。」
「春彦君、ありがとう」
一樹はまた、頭を下げて、言った。
横にいた茂子も割って入った。
「先週、春君が来てから、少しずつだけど、佳奈が話をするようになったのよ。
だから、私からもお願いなのだけど、また来てね。
佳奈を嫌わないでね。」
「わかってますよ。
絶対に来ますから。
それに、なんで佳奈を嫌うなんて。
佳奈が嫌だって言うなら別ですが」
春彦は笑いながら茂子に答えた

春彦が帰ってから、茂子が、春彦の持ってきた花を花瓶に入れ、佳奈の部屋に持ってきた。
「あっ!」
誰からと聞く前に、佳奈は自分の大好きな色の花束を見て、思わず見惚れていた。
「これは、春君からよ。
 春君は、佳奈の好きな花が分かるのかしら?」

それは、高校生の時に何かの会話に出たもの。
「私、花の中でオレンジ色の花が一番好きなの。」
「オレンジだったら何でもいいの?」
「だって、明るくて元気になるじゃない。」
「そうかなぁ。」
「だから、風邪ひいた私のお見舞いに来るときは、ね!」
屈託のない笑顔で佳奈は、春彦に言ったことだった。

(春は、覚えてくれていたんだ)
「お母さん、これね、春と約束したのよ。
 私の好きな花、お見舞いに来るときは、必ず、この色のお花を持ってきてって。」
佳奈は、また涙声になり、茂子に言った。
「まあ、よく春君、覚えてくれていたのね。」
佳奈は、すこし考えてから茂子に尋ねた。
「お母さん、春、何か言っていなかった?
 部屋が臭うとか、私、変だとか?」
佳奈は泣きそうな顔になっていた。
茂子は、花瓶を佳奈の机の上に置き、ベットに腰かけ、優しく佳奈を抱きしめた。
「春君が、そんなこと言うわけないし、匂いとか、一切ないわよ。
 可哀想に、まだ、そんなこと気にして。
 春君、来てくれているでしょ。
 また、来週来てくれるんでしょ?
約束したって、春君、言ってたわよ。」
頭を優しくなでながら、小さい子をあやすように茂子は言った。
茂子の腕の中で、佳奈は何度もうなずいていた。
そして、佳奈は小さな声で言った。
「ねえ、お母さん。
 春に言われたの。
 頑張って、食べなさいって。
 食べたら元気になるって。
 頑張って、食べようかな…。」
茂子は、優しく佳奈の頭を撫で、うなずいた。
DATE: CATEGORY:序章 だるまさんがころんだ
(えーい、いくら考えていても仕方ない。
でたとこ勝負だな)
春彦は、ドアの前にしばらく立って考えていたが、覚悟を決め、佳奈の部屋のドアを軽くノックし、声をかけた。
「佳奈、入るよ。」
「…」
部屋の中から微かにベッドがきしむ音が聞えた。
春彦はガチャっとドアを開け佳奈の部屋に一歩踏み入った。
佳奈の部屋に入ったのは高校生の時に風邪で学校を休んだ佳奈にプリントを持って見舞いに来た時以来だった。
あの時と変わらず、佳奈のベッドはお日様の光がよく入る窓際に置かれていた。
ベッドのはす向かいには机、本棚、洋服ダンスが並んで置かれていて、女の子の部屋らしく明るい色のカーテンや壁紙、ぬいぐるみ等もきちんと整頓され置かれていた。
佳奈は、薄いオレンジ色のストライプのパジャマの上に薄いピンク色のカーディガンを羽織り、ベッドの上でクッションを背もたれにし、上半身を起こし座っていた。
高校時代に見舞いに来た時も同じような姿勢で恥ずかしそうに春彦を迎え入れたが、今はその時とは違い、春彦の方を見ることはなく、ただ、うつむいているだけだった。
(ん?)春彦は、ベッドの正反対の壁に椅子が置いてあるのに気が付いた。

それは、春彦が来る前に佳奈が茂子に頼んだことだった。
「お母さん、春彦の椅子なんだけれど、私から遠いところに、そう、その壁のところにおいてね。」
茂子は、佳奈が何を言っているのか理解ができなかった。
「せっかく、春彦君がお見舞いに来てくれるのに、失礼じゃない?」
それでも、佳奈はかたくなに首を横に振り、消え入りそうな声で言った。
「だって、春彦にまで汚いとか臭いとか言われたくない・・・。
 だから、なるべく間を空けたいの。
 お願い、お母さん」
茂子は、春彦に会おうということが、どれだけ佳奈にとって勇気のいることかを感じ取り、黙って、佳奈の言うとおりにした。
「ありがとう、お母さん。」
「いいのよ。」
あれ以来、家族以外の人間に逢おうとしている佳奈の変化に少し期待をしつつ、
(春彦君、怒って帰ったりしないよね)
と、春彦はそんなことをしない性格だということを理解はしているが、一抹の不安を心に抱いていた茂子だった。

春彦は、その椅子に近づき椅子を持って佳奈の近くに寄ろうとしたが、椅子を持ち上げた刹那、佳奈の身体がこわばるのが感じ取れた。
(なるほど、そういうことか。)
と即座に判断した春彦は椅子を元に戻した。
「座るよ。」
春彦は佳奈に話しかけた。
「う…ん。」
佳奈は消え入るようなか細い声で返事をした。
春彦は椅子をくるっと半回転させ背もたれを抱えるように座った。
その座り方は、学生時代からの春彦の癖でもあった。
そして、その場で椅子に腰かけた。
佳奈から椅子までは3~4mくらいの距離だったが、春彦には何だか、その倍はある様に思えた。

「調子は、どう?」と春彦は優しく話しかけた。
が、佳奈から返事はなかった。
佳奈は、春彦の問いかけを聞いておらず、心の中でひたすら思っていた。
(私、汚いよ。
臭いし醜いって。
 春彦も、そう思う?
 私のこと、どう思う?)
佳奈は監禁生活の時に犯人たちから際限なく浴びせられた実際とは関係ない「汚い」「臭い」「醜い」という罵詈雑言のトラウマから立ち直れずにいた。
入院中は医師と看護婦という特別な人たちと茂子と一樹だけだったので、あまり意識がなかったが、退院が決まり、徐々に外の世界に出ると意識しだしたときに、そのトラウマは鎌首をもたげ、佳奈を苦しめていた。
家に閉じこもっているだけで人との接触が絶ち、辛うじて平静を保っていられたが、春彦と会うことで、頭の中にその言葉が渦巻き、平静でいられなくなっていた。
(可哀想に、まだ無理か)
春彦はそんな佳奈の状態を見て、引き上げることにした。
春彦は、何気なく部屋をもう一度見渡した。
その目に、佳奈の枕元にある人形が見えた。
それは、佳奈の入院中に見舞いに持って行った男の子と女の子がベンチに座っている人形で、光に反応し同じように首を左右に振る、ほのぼの人形だった。
入院中の佳奈は、とても人に会える精神状態ではなかったので、茂子にお見舞いとして渡したものであった。
佳奈はそれが春彦からの贈り物だと聞き、手放すことなく大事にもっていたものだった。
茂子は、佳奈がその人形を愛おしそうに眺めている姿を目にし、春彦に逢うことで、佳奈にいい刺激があるのではとの願いからだった。
ただし、医師から面会に当たり、容姿の変化、げっそりと痩せてしまい、顔色も蒼白くなっていたこと、また、肩の下まであった黒髪をおかっぱにようにバッサリと切らざるをえなかったことなど、口に出さないこと。
さらにトラウマになっているキーワードも口にしないように注意されていた。

(私、嫌われちゃう…)
佳奈は春彦が部屋に入って来てからずっと混乱していた。
「じゃあ、佳奈が疲れるといけないから帰るね」
と、春彦はそんな佳奈を察してか立ち上がり、ドアの方に向かって歩き出した。
佳奈は、どうしたらよいかわからず、
(春彦に嫌われちゃう、どうしよう・・・。
やっぱり私が汚いから?もう、来てくれない?
はる…)
佳奈は声にならない声で唇をかみ、手のこぶしを握り締め、うつむくだけだった。
春彦はドアを開けたが、立ち止まり、佳奈の方に振り向き、優しく言った。
「佳奈、随分痩せちゃったね。
 顔色も良くないし。
 しっかり食べなきゃだめだよ。」
春彦は、控えるようにと言われていたセリフを忘れて話していた。
「……」
「また、来週に来るね。
 これでも、平日は立派にサラリーマンしていて忙しんだよ。」
そう言い、春彦は佳奈に笑顔を見せ、部屋から出ていった。
(えっ?!)
佳奈は春彦が出ていったドアの方を呆然と見ていた。
「春彦が、また来てくれるって?
 また、私に逢いに来てくれる?!
 私のこと、汚くない?
 臭くないの?
 春彦…」
佳奈は小さな声で独り言を言いながら、今まで味わったことがないような嬉しさがこみ上げてくるのを感じ、泣き笑いで顔がくしゃくしゃになっていた。

佳奈の部屋から出ると、外に申し訳なさそうな茂子が立っていた。
「ごめんね、春君。
 佳奈に会ってと頼んで。
 でも、あんな暗い顔の佳奈が可哀想で、春君の顔を見て、少しでも刺激になればと思ってしまったの。」
茂子は、春彦の性格を知っているので、これで春彦がいろいろと気を遣い、佳奈と会わなくなるのではと気にしていた。
その心配を笑い飛ばすように春彦は明るく言った。
「大丈夫、茂子さん。
 時間を掛けて、ゆっくりね。」
「えっ?」
と、てっきり春彦がもう来ないものと思っていた茂子だったので、春彦の答えが意外だった。
それを察したのか春彦は茂子に向かって否定した。
「いやだなあ、茂子さん。また、来週、会いに来ますね。」
「春君…」
茂子は嬉しくて涙ぐみながら、春彦の名前を言った。
そう、春彦は佳奈が入院中、直接会えなくてもこまめに見舞いに通ってきていたのだった。
春彦が帰った後、佳奈の様子が気になった茂子は佳奈の様子を見に部屋の前に立ち止まった。
「佳奈ちゃん、入るわよ」と茂子はドアの外から声をかけ部屋の中に入った。
「どっ、どうしたの?!」
見ると佳奈は顔を手で覆い、嗚咽を漏らしていた。
茂子は急いで佳奈のそばに行き声をかけた。
佳奈は、茂子の顔を見るなり、いきなり茂子に抱き付き、涙声で言った。
「春彦が、春がまた来てくれるって。
 私に逢いに来てくれるって。
 私、汚くない?臭くない?」
茂子は佳奈を春彦に会わせた効果がこんなにも早くに現れるとは、また、こんないい結果になるとは正直思っていなかった。
無表情で感情がなくなっていた佳奈が、涙を流し、感情を表に出す何てと、佳奈の変化に喜んだ。
そして、茂子は佳奈を優しく抱きしめ、涙を堪えながら言った。
「当たり前でしょ、佳奈はこんなに可愛いいんだから。春君の目は節穴じゃないよ。」
佳奈は泣きじゃくりながら、疑い気味に、それでも少し嬉しそうな声で言った。
「そうかなあ、そうなら、嬉しいなあ…。」
茂子は、そんな佳奈の変化を確かに感じ取っていた。

家に帰ると、舞が心配そうな顔で待っていた。
「ねえ、どうだった?
 佳奈ちゃん、すこしは話で来た?」
春彦は、黙って首を左右に振った。
「佳奈、がりがりに痩せてた。
 顔も蒼白く、何が怖いように小さくなっていたよ。」
春彦は、台所からコップを持ってきて、舞の飲んでいるお酒を自分のコップに注いだ。
「そうなんだ。
 あんたが行っても駄目だったんだ。」
「おいおい、俺が行ってどうなるもんでもないでしょ。
 恋人じゃあるまいし、単なる幼馴染だよ。」
そう、春彦と佳奈は気が付いた時からいつも一緒で、特に春彦にとっては恋愛対象ではないが、大事な存在だった。
「それだからよ。
 色恋沙汰じゃなくて、損得勘定ないから、もしかしたらってね。」
「まあね。
 それに、今日行って直ぐにどうなるわけじゃないでしょ。
 気長に見舞いに行くよ。
 その内、もとの佳奈に戻っていくだろうから。」
「ふーん、あんた、そんな気がするの?」
春彦は、コップのお酒を、ごくりと一口飲んだ。
「ああ。
 佳奈の部屋、日が差し込んですごく明るかった。
 だから、なんとなくね。」
「ふーん。
 幼馴染の勘てやつかしら。」
舞は興味深げに言った。
「そうかもね。
 また、来週、顔見に行ってくるよ。」
「そうね、それがいいかも。」
舞もそういうと、こくっとお酒を一口飲み込んだ。
DATE: CATEGORY:序章 だるまさんがころんだ
春彦は、佳奈の部屋のドアの前で立ち止まり、深呼吸をした。
(さて、何て言おうか)

数日前のこと。佳奈の母親の茂子から春彦の母親の舞に、春彦に佳奈を見舞ってほしいと電話があった。
佳奈は、ある事件で犯人に車にはねられ下半身が麻痺する重傷を負い、そのまま連れ去られ監禁されるという大変なことに遭遇していた。
そして、救出されるまで1カ月以上の間、犯人たちから酷い仕打ちを受け、助け出されたときは生死の境の危険な状態だった。
一命は取りとめたが身体のダメージだけではなく、心にも酷いダメージを負ってしまっていた。
結局、3か月という長い期間、入院生活を強いられた後、やっと退院することができた。
佳奈は、自宅に戻っても、入院中と変わらず誰かと会うことをかたくなに拒み、自分の殻に閉じこもってしまっていたし、佳奈の父親の一樹や茂子が話しかけても、相槌を打つくらいで、自分から話をすることは一切なくなってしまっていた。
食事も茂子が注意しないと自分から食べようともせず、毎日、無気力にベッドの上で壁に寄りかかり窓の外を見ているだけだった。
週に一度、通院し身体のチェックと、精神科のカウンセリングを受けていたが、とくに精神面は一向に好転しない状態が続いていた。
両脚の麻痺には、早期のリハビリが必要だったが、佳奈の心の状態がリハビリをままならないものにしていた。
佳奈にとっては、自分の身体が自由に動かせないことが、尚更、鬱をひどくするという悪循環だった。
茂子はそんな佳奈を、以前のような元気で明るい佳奈に戻してやることはできないかと考えあぐねていた。

そこで、茂子は舞に相談し、少しでも刺激になって、好転するきっかけになればと、同い年で幼馴染の春彦を佳奈に会わせることにした。
春彦と佳奈は、母親通しが親しい仲で、また、家も同じ町内だったことから、物心ついた時から一緒に遊んでいた。
また、どちらかが元気でない時も、二人が揃うと、ともに元気になっていたことを、茂子はよく覚えていた。
佳奈は、茂子から春彦が見舞に来るという話を聞いた時、絶対に嫌だと拒否していた。
入院中も春彦は足しげく病院に見舞いに通っていたが、佳奈は頑固として拒絶し会うことができなかった。
しかし、茂子の必死の説得で、渋々、会うのを了承したのだった。
ただし、それは、諸刃の剣で、逆に、佳奈の精神状態がさらにひどくなることも考えられるので、担当の精神科の医師からは、慎重に、佳奈の様子がおかしくなったと感じたらすぐに引き離すようにとアドバイスを受けていた。
(おいおい、何か押し付けられた感じがするな。
 佳奈には会いたいんだけれど、何とかしろとか、危うくなったら、すぐ退散しろだなんて、人を何だと思っているんだろう。)
あまり気乗りのしない反面、佳奈に会いたい気持ちもあり、春彦は胸中、複雑であった。
佳奈も春彦も大学を卒業し、社会人1年目が過ぎようとしていた。
春彦は、会社があるので、佳奈の見舞いを日曜日に設定した。
その前の日の夕飯時、舞が春彦に話しかけた。
「春、ちょっと飲まない?
 いいお酒が入ったんだ。」
「いいけど、明日、佳奈に会いに行くんだから、酒臭かったらどやされるだろ。」
「どやされると、いいんだけどね…。」
夕飯のおかずをつまみにしながら、二人はお酒を飲み始めた。
「佳奈ちゃんの状況は、この前、茂子からの電話の通りで、今も変わってないらしいわ。」
「そうか。
 そんな時に、おれが行って大丈夫なのかな。」
「うーん、それは、わからないけど、あなた達は、小さいころから仲良しだったでしょ。
 まあ、幼馴染、変な言い方だけど、特別な関係っていうのかな。」
「小さい時からって言っても、佳奈と友達のように話すようになったのは、中学に転入してきた時からだよ。」
「あら、小学校上がって引っ越しするまで、こんなちっちゃい時から、よく遊んでいたじゃない。」
舞は、床から60cmくらいの高さのところに手を浮かしてみせた。
「それ、入るの?」
「オフコース、もちろん。
 幼稚園で、いじめっ子にいじめられていた佳奈ちゃんを助けたりしていたじゃない。」
両方の母親が同級生で仲が良く、結婚してもご近所さんだったので、春彦と佳奈は公園デビューからの付き合いだった。
その後、春彦の父親の仕事の関係で小学校低学年の時に引っ越し、一時期疎遠になっていたが、春彦が中学2年の時に、再び、この町に戻って来て、同じ中学だった佳奈と再会を果たしていた。
「うーん、助けなくても、十分、佳奈は強かったと思んだけど。」
「バカ言わないで。
 佳奈ちゃん、随分怖い思いをしていたのよ。
 あとで、茂子から佳奈ちゃんが春に助けてもらったって、すごく怖かったんだって、だから、すごく嬉しかったみたいって聞いたわよ。」
「そう…。
 そう言えば、このお酒、おいしいね。
 でも、ラベルがないや。
 なんていうお酒?」
春彦は、何か恥かしくなり話を変えた。
「このお酒?
ふふふーん、『処女の香り』っていうお酒で、レアもんだよ。」
「『処女の…』って、どこで、そんな妖しいお酒を仕入れたの!!」
自慢げにお酒の銘柄を語る舞に対し半分あきれた春彦だった。
「さて、で、佳奈ちゃんなんだけど、小さい時から、春に逢うと元気になるって茂子が言っていたの。
 その記憶が、茂子に痛切に残っていたというか、藁にもすがる気持ちになったのかしらね。
 だから,頼まれたってこと。」
お酒の銘柄の話など無かったかのように、舞は話を続けた。
「だけど、佳奈は、まだ、誰にも会いたがっていないんだろ?
 俺にも会うの、嫌がってたんだろ?
 会いに行って逆効果にならないかなぁ。」
「そんなこと、わかんないわ。
 刺激で良くなるかもしれないし、逆にもっと悪くなるかもしれないしね。
 でも、何かしないと、何かきっかけがないと変わらないでしょ。」
「おいおい…。
 それで、危くなったら、おれの判断で、すぐ帰れとかといわれてもなぁ…。」
「まあ、それは、春だからわかるでしょう。
 あなたは、小さい時から、そういうところが敏感だったじゃない。
 だから、落ち込んでいる子がいたら励ましていたじゃない。
 誰だっけ、小学校の時に『僕が、お父さんやお母さんに、もっと遊ばせてと言ってあげるから』なんて言って。
 勉強が嫌で逃げてきた子を励ましてあげていたじゃない。」
「おーい、それ、なんか次元が違うよ。
 それより、佳奈にどういう態度で接すればいいかなぁ。
 何を話したらいいんだろう…。」
「それは、春に任せるわ。
 話すことがなければ、黙っていてもいいんじゃない?」
「なんか、それって逆に変じゃない?」
「まあ、考えこんでも仕方ないってこと。
 あとは、出たとこ勝負ってね。
 さっ、飲もう、飲もう」
「だからさぁ、明日、見舞に行くんだって。」
「どうせ、午後からでしょ?
 じゃあ、大丈夫。」
「おいおい。」
春彦は、お酒を飲みながら考え込んでいた。
(さて、明日はどうしようか…)

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