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プロフィール

梅星

Author:梅星
社会人になっても、いつもいろいろな空想の世界を思い描いていました。
その中で、ずっと書きたかったお話(小説)をブログという世界を使って紹介させていただきます。
無理なく肩の力を抜いて続けていきたいと思いますので、楽しんでいただけたらと思います(毎週更新予定です)。
初めて読まれる方は、『あらすじ』も並行して読んでいただければ、読みやすいかと思います。
お楽しみください。

尚、文中の登場人物、会社等すべてフィクションです。


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DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
悠美の葬儀がすんでから2カ月ほど過ぎたあたりから、少しずつ、佳奈と春彦は明るさを取り戻していた。
特に、佳奈は、悠美のことを思い出すと、すぐに泣きべそをかき、春彦に慰めと『いつまでも泣くんじゃない』と叱られていた。
春彦は、もともと人前では、感情を見せないほうなので、あまりわからなかったが、唯一、口数が減っていた。
そんな春彦を、喋らそうと、佳奈は一生懸命春彦にまとわりついて、話しかけていた。
そんな二人だったが、お互いにお互いを励ますことで、だんだんと前を向いて歩きだしていた。
「早いね。
 悠美姉の四九日もあっという間だったね。
 悠美姉、天国で寂しくないかしら。」
いつもの様に、佳奈と春彦が連れ添って学校からの帰り道で、ぽそっと、佳奈が言った。
「ああ、それは、たぶん大丈夫。
 悠美ちゃんの大好きだった人が、一足先に天国にいるから。」
「えっ?
 それって、だれ?」
「うーん、だれだろう。」
春彦は『しまった』という顔をして、ごまかすように言った。
「ねえ、だれのこと?
 私が知っている人?
 ねえ、はる、意地悪しないで、教えて。」
佳奈がじれながら、春彦にまとわりついた。
春彦は、困った顔をしながら佳奈に説明した。
「うーん、たぶん、佳奈は知らないよ。
 母さんの方の親戚の人だから。」
「本当?」
佳奈は、疑い深く尋ねた。
「本当だよ、本当。」
春彦が言い切ったので、佳奈はしぶしぶと引き下がった。
「ならば、いいけど…。
 ねえ、春。」
「ん?」
「今度、悠美姉のお墓参りに連れてって。
 悠美姉がいないのに、悠美姉の家にお線香あげに行くのも気が引けるし。」
「光ちゃん、いるじゃない。」
「でも、おじさんとおばさんが、寂しそうだから…。」
「そうだね…。
 電車で1時間もかからないところだから、今度、連れて行ってやるよ。」
「うん、お願いね。」
佳奈は、少し笑顔になって言った。
「そうそう、春は、高校、どこにするか決めた?」
「ああ、俺の行けるような学校って限られてるしなぁ。」
「えー、でも、春って、学力、まあまあじゃない。
 私立とかも狙えるんじゃない?」
「いや、家は、母さんに負担を掛けたくないから、公立だよ」
「じゃあ、もう決めてるんだ。
 どこの高校にするの?」
「うん、西高に決めてる。
 西高なら、結構、良い部類に入るじゃないか。」
「あら、春も西高狙いなんだ。」
「あれ、佳奈もか?」
「うん、あそこなら、家から近いし、進学率もいいから。
 それに、木乃美たちも考えているみたいなの。」
「ふーん、そうなんだ。」
「倍率は、例年、3倍くらいだったわ。
 何とかなるわよ。」
「佳奈なら、心配ないだろう。
 ドジさえしなければ。」
「なんですとー!」
佳奈は、春彦を叩くふりをした。
佳奈は、実は、高校をいろいろと考えていないわけではなかったが、まだ、中学2年だということと、どこに行きたいという強い希望はなかった。
ただ、春彦と同じ学校に進みたくて、この機に乗じて聞き出すのに成功し、あたかも前から決めていたようなそぶりを見せていただけだった。
(春が、西高かぁ。
 あそこなら、頑張ればなんとかなるわ。
 よーし、決めたわ。
 早速、木乃美達に報告しなくっちゃ。
 みんなも、どうするか迷っていたから、みんなも一緒ならいいな)
佳奈は、思わずこぶしを握っていた。
「佳奈?
 どうした?」
そんな佳奈を見て、春彦は不思議に思った。
「ううん、なんでもないわ。」
佳奈は、慌ててかぶりを振ってごまかしていた。
「でも、これからボチボチ受験勉強か。
 嫌だなぁ。」
「でも、春なら、油断しなければというのと、後は、内申ね。」
「ああ、でも、俺、悪いことしてないよ。」
「当たり前でしょ。
 私が目を光らせているんだから。」
「でもさ、こうやって、一緒に帰ると、不純異性交遊とか…。」
「不純異性…。」
佳奈は、いきなり顔を赤くし、それをごまかすように春彦に食って掛かった。
「大丈夫。
 春彦とは幼馴染で、私が監視役だって、先生方、みんな知っているもん。」
「え?
 みんな?」
「ええ、そうよ。
 こう見えても、私たち、先生受けが良いんだから。」
佳奈と、木乃美たちは、成績や授業態度もさることながら、率先して先生の手伝いをしたりしていたので、教師たちから、受けが良く、可愛がられていた。
「あちゃー。」
春彦は、そう言って、顔を押さえた。
「こらー、なんで、あちゃーなのよ。
 いいでしょ。」
佳奈は不満げに春彦を睨みつけた。
「はいはい。」
(どうせ、そういう相手(女性)もいないし、考えてもいないからいいけど)
春彦は、心の中で思った。
「でも、本当に早いわ。
 1年生の時に春が転校してきて、2年になると悠美姉でしょ。
 バタバタしている間に、あっという間に2年生も終わっちゃうみたい。」
佳奈にしてみれば、喜怒哀楽が激しい2年間だったことは確かなことだった。
そして、次は進学のことと、本当に目が回るような気がしていた。
「まあ、そうだよな。」
「春ったら、何をのんびりした声を出してるの。
 一番大変だったのは、春じゃない。
 転校してきて、同じクラスならよかったのに、別のクラスでたいへんだったんじゃない?」
「まあな、小学校の低学年で転校したから、いくらそれまでこっちに住んでいたからって、知り合いは佳奈と木乃美くらいだったもん  な。」
「“くらい”ってなによ、“くらい”って。
 私たちがいたから心強かったでしょ。」
「まあな、転校初日の昼休みに、いきなりクラスに来て『はるー!』だもんな。」
春彦は手を口の前に当て、思い出し笑いをした。
春彦が今の中学に転校してきたのは、1年生の2学期の半ばだった。
その頃、クラスはだいたい人間関係が出来上がっていて、転校生の春彦を見る目はよそ者としか映っていなかった。
その中、転校初日の昼休みに、佳奈と木乃美が春彦の教室にやって来て、いきなり名前を呼んだのだから、否が応でも注目を浴びることになった。
ただ、そのクラスには、佳奈と木乃美が通っていた小学校の同級生も大勢いたせいか、二人を通して、すぐにクラスに馴染めたのは確かなことだった。
そして、福山俊介の存在も、春彦にとっては大きかった。
佳奈たちが教室から出て言ったあと、すぐに春彦に声を掛けたのが福山俊介だった。
「おい、立花。
 お前、菅井や相沢と仲いいのか?」
「ああ、幼馴染だよ。
 それに、小学校低学年まで、こっちに住んでいたんだから。」
「え?
 じゃあ、立花って、1年4組だったか?」
「ああ、確かそうだよ。」
「そっか、道理で何となくあったことがあると思ったんだ。
 俺のこと、覚えてるか?」
「え?」
「てめえ、忘れたのかよ。
 教室で、よくチャンバラごっこして先生に立たされたじゃないか。」
「え?
 じゃあ、お前、俊介か?」
「ああ、そうだよ。
 久し振りだな。」
こうして、春彦は小学校の時の友人の俊介と再会することが出来た。
その俊介のおかげで、佳奈が自分で春彦の世話を焼こうと狙っていたのを後目に、何不自由のない学校生活をスタートすることが出来た。
「そうよ、この狭い土地で、他所から入ってきた人って、受け入れられるまでたいへんなんだから。」
佳奈が言うように、都会と違い、そこで生まれ育った人間関係が強いので、他所から入ってくると馴染むまで大変な土地柄だった。
でも逆に、馴染むと住みやすい土地でもあった。
「でもさ、おれ、もともと、この土地の人間だったんだぜ。」
「うーん、でも、5年も離れていたからね。」
「まあ、そうか。
 でも、今じゃ、みんな思い出してくれたみたいだよ。」
「そうね。
 ねぇ、はる、お腹空かない?」
「ああ、そうだね。
 いつものところで、鯛焼き食べて行こうか。」
「賛成!」
佳奈は、待ってましたと言わんばかりに、万遍の笑みを受けべて答えた。
その時、ズキッと春彦は頭痛に襲われた。
「痛っ。」
春彦は、佳奈に聞こえないくらいの声を上げた。
「?
 はる?
 どうしたの?」
佳奈は、声は聞こえなかったが、春彦の態度が気になり、顔を覗き込んだ。
「ん?
 いや、何でもないよ。
 さあ、早く行こう。」
春彦は頭痛が一瞬で治まったので気にすることなく、佳奈に笑顔を向けていった。
佳奈は、春彦の笑顔を見て安心した顔をした。
(何か、最近、変な頭痛がするな)
佳奈のにこやかな笑顔を見ながら、春彦は心の中で呟いた。
そして、駆け足の様に、冬が去り、春になって、二人は3年生に進級した。


中学3年に進級したある日、佳奈は京子から思いもよらない話を聞いた。
「ねえ、最近、立花、なんか変だって、知ってた?」
「え?
 春が?
 なんで?」
「なんかねー、たまにボーっとしたりするし、怖いくらい無表情な時があるんだって。」
「えー、うそー。
 だって、全然変わったそぶり、ないわよ。」
「それは、佳奈と居る時だけじゃない?
 特に何かある訳でもないし、普段は、普通に話したりしてるんだけど、たまに、人が変わったようになるんだって。
 まだ、噂程度だけどね。」
「ほんと?
 受験勉強で疲れているのかな。」
「えー、まだ、そんなときじゃないでしょ。
 だいたい、夏休みが終わってから慌て始めるのが普通よ。」
佳奈は呆れた顔をして京子を眺めた。
京子は、小さなころから弓道を習っていて、明るく活発なタイプだった。
いつも、ウェーブのかかったくせっ毛をポニーテールで前髪ごと束ね、おでこを出していた。
それが、尚更、活発な女の子に見せていた。
佳奈も、肩の少し下くらいまで伸びたまっすぐな髪をポニーテールにしていたが、前髪は下ろしていた。
佳奈は、性格は明るい方だが、どちらかというと小顔で色白だったため、京子と並ぶと、おとなしい印象だった。
「それは、京子だけじゃない?
 私立とかいいところを目指している子は、中2から頑張ってるわよ。
 私たち、公立組でも、西高あたりだと、もう、始めておかないと。」
「あら、じゃあ、佳奈は、もう受験勉強始めてるの?」
京子は、信じられないというような顔をした。
「うん、だって、みんなと一緒に西高に行きたいでしょ。」
『みんな』という言葉は使ったが、本当は春彦とだということは、内緒のことだった。
ただ、他の友人とも一緒に行きたいというのは本当のことでもあった。
「そうだね、せっかくだから、5人とも同じ高校に行きたいもんね。
 では、私も、ポチポチと頑張りますか。」
「うん。」
「え?
 私も頑張るよ。
 ところで、何に?」
佳奈と京子が話している中に、木乃美が後ろから割り込んできた。
木乃美は、うりざね顔でトレードマークの黒縁のメガネをかけ、少しぼさぼさになった黒髪を背中の真ん中程まで伸ばしていた。
見た目、どちらかというと一風変わった文学少女のようだった。
「まあ、木乃美ったら。
 受験勉強、頑張ろうねって京子と話していたのよ。
 それより、また、髪がぼさぼさ。
 ちゃんとブラッシングしなくっちゃ。
 折角の美人が台無しよ。」
佳奈は、そういいながら木乃美の髪を撫でていた。
木乃美はメガネを外し、それらしく身支度を整えれば、結構、美人の部類に入ることを佳奈は知っていた。
「うへー、受験勉強の話かぁ。」
木乃美は、あからさまに嫌な顔をした。
「そう言えば、木乃美は、私立の女子高だったんじゃない?
 木乃美の成績ならどこにでも行けそうだし。」
佳奈も京子も成績は悪い方ではなかったが、木乃美は学年トップクラスの成績の才女だった。
そんな木乃美を京子が不思議そうな顔をして尋ねた。
「最初は、そんな話を親がしていたんだけど、佳奈が西高に行くっていうから、両親を説得して西高に変えたのよ。
 それに、あそこは、ランク的にそんなに悪くないし、進学率も高いから両親も納得したの。」
「でも、ふーん、やっぱり、佳奈か。」
「まあまあ、そう言わないで。
 みんなで一緒の高校に行きましょう。」
佳奈は、木乃美の腕に自分の腕を絡めて言った。
「ねえ、木乃美。
 最近、立花の噂、知ってる?」
京子は話を換えて木乃美に尋ねた。
「ああ、あの噂?
 わたしも、その話を聞いたわ。
 春彦の幽体離脱でしょ。
 そんなこと、あるわけないじゃない。」
木乃美は、佳奈と小学校の入学式で意気投合し、6年間同じクラスだったこともあり、とても仲が良く、気心知れた仲だった。
しかも、中学でもずっと同じクラスだったので、クラス替えで心細くなることはなかった。
小学校低学年の時、佳奈が春彦と仲良く遊んでいるのをみて、木乃美も自然とその中に溶け込んでいった。
なので、佳奈が春彦を「春」と呼ぶように、木乃美も苗字ではなく「春彦」と名前で呼んでいた。
「ええ?
 なに、その幽体離脱って。」
佳奈には、おかしそうに聞いた。
「何かね、たまに、春彦から白い影が抜け出して、その後、しばらくは、春彦が無表情で蝋人形の様になって気味が悪いって噂よ。」
「えー、そうなの?」
「そう、何だか、鼻から『ぶわー』って白い煙が吹き出すんだって。」
木乃美は、鼻から煙が出るジャスチヤ―を大げさにして見せた。
「何それ。
 単に、鼻血ブーじゃない。」
「え?
 鼻血ブー?」
佳奈は京子の言った「鼻血ブー」の意味が分からず聞き返した。
「ん?
 たまにお父さんがそう言うのよ。
 何だか、昔の漫画で、ニワトリが興奮してそう言いながら鼻血を噴き出すんだって。」
「えー、変なの。
 でも、鼻血じゃないんでしょ。」
「こら、佳奈。
 まじめに取らなくていいから。」
木乃美は、脱線していく話を押しとどめた。
「エクトプラズムってやつよ。」
「え?
 えくとぷらずま?」
「もういいわ。」
木乃美は呆れた顔で言い、その横で、京子はおかしそうにお腹を抱えていた。
「もう、佳奈ったら。」
「ともかく、魂が抜け出し、抜け殻状態になることよ。」
「じゃあ、京子の言っている噂と同じなんだ。
 春、疲れているのかな…。」
「……。」
木乃美は、佳奈のセリフを聞いて目を丸くした。
「佳奈は、なんでも好意的にとるのね。
 春彦、実は悪霊に憑りつかれているのかもよ。」
「いやだ、変なこと言わないで。」
佳奈は、怒った顔を木乃美に向けた。
「じゃあ、今から、こっそりと春彦の様子でも見に行く?
 まだ、昼休み時間が残ってるから。」
木乃美は興味津々と言わんばかりに二人を誘った。
「うん、行く。
 佳奈も行くでしょ?」
京子も興味がわいたのか、二つ返事で答えた。
「えー、どうしようかな。」
「心配じゃないの?」
「心配だけど、様子を見に行くって、なんか…。」
「いいじゃないの、行こう行こう。」
「ちょっと、木乃美。」
佳奈は、様子を見に行きたい反面、もし、そういう春彦に出くわしたらと思うと、つい、躊躇していたが、木乃美に引きずられるようについて行った。
春彦のいるクラスに着くと、春彦は、机に座って、ぼーっと外を眺めていた。
三人は、廊下側の窓からこっそりと、様子をうかがっていた。
「ボーっとしているけど、特に変わってないじゃない。」
「そうね、いつもの春彦だ。」
京子と木乃美がそう言い合っていたが、佳奈は、何か引っ掛かるものがあった。
(あんな春、見たことないな。
 なんか、とても遠いところを見ているみたい。
 まるで、遠いところに行っちゃうみたいな。)
急に佳奈は、春彦がいなくなってしまうのではと、怖くなった。
「え?
 佳奈?」
「どこいくの」
京子と木乃美が驚くのを後目に、急に佳奈は足早に教室に入って、春彦の傍に立った。
佳奈の気配で、春彦は、佳奈の方へ振り向いた。
「?
 佳奈か、どうしたの?」
「え?
あっ、その…。」
佳奈は、一時の感情に駆られ春彦の傍に来ただけだったので、何を話していいのかわからずに、その場に立ち尽くしてしまった。
(どうしよう、なんていったらいいんだろう)
佳奈の頭は、パニック状態になっていた。
そこに、木乃美が近づいてきて、助け舟を出した。
「廊下で通りがかったら、春彦がボケっと外を眺めていたでしょ。
 佳奈がその姿を見て、他の女のことを考えているんじゃないのかって心配になったそうよ。」
「他の女!」
その一言で、佳奈の思考回路は一気に爆発した。
「木乃美、変な言い方しないで!」
「えー、だって、私の春が、って」
木乃美はわざと身体をもじもじと動かして見せた。
「言ってないでしょ!
 木乃美ったら誤解を招くようなこと言わないで。」
佳奈は、真っ赤な顔をして木乃美を睨みつけた。
周りの女学生がそんな話を聞いて、クスクスと笑っていた。
「ああ、おれ、今、女のこと考えてた。」
ぼそっと、春彦がそういうと、佳奈と木乃美はびっくりして、まじまじと春彦を見つめた。
「佳奈に英語の問題を聞こうかなって。」
春彦には珍しく悪戯っぽく笑いながら言った。
「え?」
「え?」
佳奈と木乃美は、どう対処したらいいのかわからない状態になっていた。
「おれさ、過去進行形とか、何かよくわからなくて。
 なんで、過去が進行するんだろうって。
 あと、未来完了ってなに?
 もう、未来が終わっちゃうのか?
 な、おかしいだろう。
 だから、あとで、佳奈に教えてもらおうと思ってさ。」
「あっ、そ、そうなんだ。
 過去進行形ね。
 うん、わかった。
 あとで、教えてあげるね。
 もう昼休みおわっちゃうから。
 木乃美、行こう。」
「う、うん。」
佳奈と木乃美は、スタスタと春彦の教室を出て言った。
「なにやってるの、ふたりとも。
 まるで、コントのようよ。」
教室を出ると、京子がお腹を抱えて笑っていた。
「ほら、お昼休み、終わっちゃうから、早く教室に行こう。」
佳奈は、ごまかすように言って木乃美と京子の手をひいて歩き出した。
「でも、春彦、いつもと変りなかったね。」
木乃美は佳奈を安心させるように言った。
「うん。」
「よかったね。」
「うん。」
3人は、笑いながら教室に戻っていった。
ただ、佳奈は、さっきの遠くを見つめる春彦の姿が、無性に寂しく見え、気になってならなかった。
春彦は、佳奈たちが教室を出ていったのを見送った後、また、窓の外を眺めていた。
ただし、その顔からは、表情というものがなくなっていた。
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DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
「また、足首痛いの?」
舞は、足を引きずってる春彦を見て、眉間にしわを寄せた。
「ああ、また、足捻じったみたいなんだ。」
「何やってるの。
 特に、部活なんかやってないんでしょ。
 なのにどうやったら捻じるのよ。」
「うーん、体育の時間かな。」
「ふーん。
 じゃあ、また、お医者さんに行っておいで。」
「わかった。」
春彦は、途中で転校してきたのと、何となく気が進まず、部活は帰宅部だった。
そして中学3年に上がる前から、足首に痛みを覚えるようになった。
それと同時に、頭痛にも襲われていた。
足首は病院でレントゲンを撮っても特におかしいところはなく、単に捻挫が長引いているのと成長痛が重なっているのだろうという医者の見立てで、毎回、シップとカルシウムの注射を打たれるだけだった。
それより、頭痛の方が春彦にとっては厄介で、突発的にズキッと痛みが走り、痛みはその一瞬で治まるのだが、その後はしばらく何にも興味がわかず、感情が冷淡になる感じだった。
頭痛については、たまであること、痛みが一瞬なことから舞には相談していなかった。
「じゃあ、病院に行ってくるね。」
「ああ、気を付けるんだよ。」
「はーい。」
舞は左足を少し引きずる様に歩いていく春彦の後姿を見送りながらつぶやいた。
「やっぱり、悠美のことが無意識のうちに尾を引いているのかな……。」
やがて、受験勉強も佳境に入り、いつしか春彦は足のことを言わなくなっていた。

そして高校受験も終わり、春彦と佳奈は希望通りの高校に進学した。
高校の入学式も終わり、初めての登校日の朝、とくに待ち合わせをしていた訳ではないが、最寄りの駅の改札で佳奈は春彦を待っていた。
これから3年間通うことになる高校は、佳奈や春彦が住んでいるところから電車で2駅先にあった。
2駅といっても電車で15分くらいかかるので、頑張れば自転車通学も出来ないことはないが、大抵の学生は電車通学を選んでいた。
「あ、春、こっちこっち。」
佳奈は、目ざとく春彦を見つけ手を振って手招きをした。
春彦は、特に驚いた顔も見せずに佳奈に近づいてきた。
「あれ?
 今日、待ち合わせするって言ったっけ?」
春彦はしらばっくれような顔をして聞いた。
「約束していないけど、いいじゃない。
 高校生活の第1日目なんだから、一緒に行こ、ね。」
佳奈は、春彦を捕まえたせいか、上機嫌で言った。
「ま、いいか。」
春彦は、素っ気なく答えて、佳奈と肩を並べて歩き始めた。
「ねえ、春彦。」
「ん?」
「どう?
 高校の学生服?」
春彦と佳奈の通う学校は公立なので男子は詰襟の学生服、女子はブレザーに襟には可愛いリボンを巻いていた。
「中学と違って、少し、大人っぽいでしょ?」
「うーん、あんまり変わんないかな。」
「なにー!」
「だって、コート着てるじゃん。
 それじゃ、どうって言われても、わかんないじゃん。」
佳奈の怒った顔に、春彦は何とか言い訳した。
「あっ、そうか。
 そうよね。
 じゃあ、学校で、コートを脱いだら、ちゃんと見てね。」
佳奈は、春彦の言うことに一理あると納得した顔をしていった。
(あぶない、あぶない。
 初日から怒らせるところだった。)
春彦は、背中に冷たいものを感じていた。
「ところで、春。
 最近、何か素っ気ないというか、何というか前ほど笑わなくなったわよ。」
「そうか?」
「そうよ。
 3年の3学期の時なんか、私が声を掛けなくちゃ、たまにスルーだったじゃない。
 何かあったの?」
「あるわけないじゃん。
 何か、話すのが面倒だし、女じゃないんだから。」
「あー、それって、偏見?」
「そうじゃないよ。
 佳奈たち、いつも集まると、わいわいがやがややるけど、男なんて集まってもそんなにわいわいがやがやしないよ。」
「へー、そうなんだ。
 なんか、それじゃ面白くないんじゃない。」
「まあ、ずっと黙っている訳じゃないよ。
 ただ、そこそこって感じかな。」
「ふーん、じゃあ、私と居る時は?」
「ああ、佳奈がずっと話してくれるから、楽しいよ。」
「うーん、何か複雑な言い方。」
しかし、佳奈は「楽しい」という言葉で良しとした。
学校に着くとクラス分けが校舎の前に貼ってあった。
「あら、また、春彦と違うクラスだ。
 まだ、中学から一緒のクラスにならないよね。」
「まあ、しかたないんじゃないか。
 でも、今回は隣のクラスだよ。」
「うーん。」
佳奈は、口をへの字に曲げていた。」
本心から、春彦と同じクラスになるのを願っていたので、隣と言われても素直に喜べないのが顔に表れていた。
「佳奈、見た?」
「え?」
佳奈は自分を呼ぶ声に振り向くと、そこには、木乃美がいた。
「えへへ、また、一緒のクラスだよ。」
「え?
 木乃美と一緒のクラス?
 よかったぁー、だれも居なかったらと心細かったの。」
「これで、連続記録、更新だね。」
「え?
 お前たち、また同じクラスか。」
佳奈と木乃美は、小学校の6年間と中学校の3年間、ずっと同じクラスだった。
春彦は半分呆れたように言った。
「お?
 春彦は、隣か。
 佳奈、残念だったね。」
木乃美は佳奈にウィンクした。
「うん。
 あっ、そういう意味じゃなくて。」
佳奈は、顔を赤くして、素直に返事をしてしまったことを取り繕うとした。
「かーな。」
また、別の声に佳奈は振り向くと、いつものメンバーが立っていた。
「え?
 ひょっとして、みんな一緒?」
久美、京子、慶子が皆、うなずいた。
「わー、すごいね。
 楽しい高校生活になりそう。」
佳奈は、春彦と一緒になれなかったのは残念だったが、仲の良いメンバー全員と一緒のクラスということで、目を輝かせていた。
春彦はわいわい騒いでいる佳奈たちを笑ってみながら、そっと、離れて自分のクラスの方に入っていった。
「あれ?春は?」
「え?立花、さっき教室に入っていったよ」
久美が、返事した。
「そうなんだ…。」
佳奈は何も言わずに教室に行ってしまった春彦が気になっていた。
「春彦、私たちの騒ぎに怖れをなして、教室に逃げていっただけだよ。」
木乃美が、そんな佳奈を気遣って言った。
「そうだね。」
佳奈は、素直に木乃美の言うことを信じて頷いた。

高校生活がスタートし、相変らず佳奈は、春彦と待合わせをして一緒に下校をしていた。
入学から1カ月ほど経った5月のある日、いつものように二人は肩を並べて学校を出た。
「ねえ、春彦は、部活何にするか決めた?」
「いや、まだ決めてないよ。」
「でも、運動系?文科系?」
「うーん、文科系っていうガラじゃないし、運動系で『皆で優勝を狙うぞ!』ってガラでもないしな。」
「ま、そんなこと言ってたら、帰宅部しかないじゃない。」
「うーん、それもなぁ。」
「部活やってると、内申書、プラスになるかもだって。
 でも春は、運動神経、結構いい方じゃない。
 運動やればいいのに。
 『皆で』が苦手なら、水泳なんかは?
 春、泳ぐのが好きじゃない。
 個人技だから、結構いいんじゃない。」
「そうだな、海パンだけだからお金もかからないしなぁ。
 でも、冬は寒そうだ。」
「えー、冬は泳ぐわけないじゃない。
 うちの学校、屋外プールだよ。」
「本気にするなよ。」
そう言って春彦は笑った。
佳奈は、揶揄われたことに気が付き、少し、むっとした顔をしていた。
「それじゃ、佳奈は何にするの?
 流行りのテニスなんかは?」
春彦は、話を変えるように、佳奈に振った。
「うーん、私は、運動、向いてないしなぁ。
 テニスとかは、趣味や遊びでするならいいんだけど、大会目指して!なんてできないし。
 手芸部にしようかと思っているの。
 どちらかっていうと運動より手芸の方が好きだな。」
「そうだな、佳奈は、その方が向いているよな。
で、あのうるさい連中は?」
「うるさい連中?
その言い方は、減点!
鯛焼きの刑に処する。」
佳奈は、すこし怒った顔をしたが、すぐに笑って答えた。
「木乃美は、私が決まったら教えて頂戴って。
 久美は、どうするっていってたかなぁ。
 京子は弓道部にしようかって言ってたし、慶子は文科系かって言っていたわ。」
「へえ、みんな一緒じゃないのか。
 なんか、部活も一緒!かと思ってた。」
「それはないって、みんな自分の好きなことするわよ。」
佳奈は、手をひらひらと振って見せた。
「そう言えば、こんど、悠美姉のお墓参りに行かない?
 高校の制服を悠美姉に見てもらいたいし…。」
制服をひらめかせ、佳奈は春彦の前で背を向けた。
その時、佳奈は急に鳥肌が立つような悪寒が走った。
「は…る…?」
その悪寒の元凶が春彦にある気がして、佳奈は、すぐには春彦の方に振り向けなかった。
そして、何か得体のしれない雰囲気が春彦から感じていた。
「はる……?」
もう一度、春彦の名前を呼んで、佳奈は勇気を出して春彦の方を振り返った。
「ひっ!」
思わず、佳奈は、息をのんだ。
そこには感情のない蝋人形のようで、瞳には光ではなく漆黒の穴が開いているような、まるで、生きている人間ではない、別の生き物のような春彦が無表情に立っていた。
「春彦…、ねえ、どうしたの……。」
佳奈は、それでも恐る恐る春彦に震える声で話しかけながら近づき、勇気を絞って、春彦の腕を掴んだ。
「ん?」
佳奈が、春彦の腕を掴んだ瞬間、春彦のスイッチが入ったかのように、いつもの春彦の顔に戻っていた。
「どうした、佳奈?」
「え?
 それは、こっちが聞きたいわ。
 今、春、すごく変だったわよ。
 何かあったの?」
「そうか?
 気のせいだろ、ちょっと、考え事してたから。」
「そうなの?
 何でもないの?」
「ああ、さっき聞かれた部活のことを考えていたんだよ。」
佳奈は、安心した様にため息を漏らした。
「なんか、すごく怖かったのよ。
 さっきの春。
 まるで、悪霊が憑りついたみたいな顔していたのよ。」
いつもの春彦に戻ったことで佳奈は、安心したが、また、心配になっていた。
「おいおい、人を悪魔扱いすると、くすぐり魔人になって嫌って程、くすぐるぞー。」
「きゃー、やめてー。」
春彦が両手で佳奈をくすぐるマネをして見せた。
佳奈は、逃げるふりをして、笑い転げていた。
(大丈夫、いつもの春だわ。
 さっきの春は、わたしの思い違い)
佳奈は、笑いながら心の中で思った。
その時、急に中学の時、木乃美が言ったセリフを思い出していた。
(「春彦、実は悪霊に憑りつかれているのかもよ。」)
そんなことないと佳奈は頭を振って否定した。
「ねえ、お腹空かない?
 わたし、少しお腹空いちゃった。」
「ああ、俺、腹ペコ。」
春彦は、お腹を押さえて大げさに言った。
「じゃあ、電車降りたら、鯛焼き食べて帰ろ。」
「ああ、賛成。
 いつものあそこな。」
「うん。」
二人は、電車を降り、中学生の時に、いつも鯛焼きを買っていた“中屋”によった。
「あら?
 佳奈ちゃんに春君じゃない。」
「あ、おばさん、こんにちは。
 鯛焼き、食べに来ました。」
佳奈は、にこやかに“中屋”でいつも二人の相手をしてくれているお店の年配の女性に声を掛けた。
「あら、二人とも、高校の制服が良く似合うこと。
 それに、嬉しいわ、高校生になっても、おばちゃんのお店に来てくれるんなんて。」
中屋のおばさんは、二人の制服姿をしげしげと眺め、笑顔で話した。
中学生での時に佳奈たちの様にお店に通っていた子供たちは、高校に上がると、学校の近くのお店に寄るので、この店にはほとんど寄り付かなくなるのが常だった。
「だって、おばちゃんのお店の鯛焼きがおいしいんだもん。
 ね、はる。」
「ああ」
春彦は、ぶっきらぼうに答えた。
「ああ、じゃないでしょ。
 何か他に言うことないの?」
佳奈は、鼻を膨らまし、少し怒ったように春彦に言った。
「まあまあ、佳奈ちゃん。
 二人で来てくれるだけでも、嬉しいんだから。
 今日は、入学祝でおまけつけてあげるからね。」
「えー、ほんとですか?
 やったね、春。」
佳奈は屈託のない笑顔で春彦に話しかけた。
春彦は、そんな佳奈を見るのが好きで、顔をほころばし、うなずいた。
二人は、鯛焼きを買って、中学の時にいつも買った鯛焼きを食べていた公園に立ち寄った。
「あ、ほら、いつものベンチが空いてるわ。
 春、早く早く。」
佳奈は、春彦を急かしてベンチに向かっていった。
「よかった、いつものベンチも空いてたし。
 ここからの眺め、大好きなのよね。
 この風景を見ながら鯛焼きを食べるのが、一番好き。」
その公園は小高い丘の上にあり、ベンチから見える風景は、反対側の斜面が一望できた。
その斜面には新興住宅街で、きれいに区画整理され、白い家が転々と並んで見えていた。
それは、まるで写真で見るような地中海沿岸の小高い丘に並ぶ白い家並みを彷彿させる眺めだった。
佳奈も春彦も、そのベンチからの眺めが好きで、鯛焼きを買うと必ずここに来て食べていた
「中屋のおばさん、おまけだよって、もう一匹入れてくれたわ。」
「佳奈、そんなに食べると太るんじゃないか。」
佳奈が嬉しそうに言う顔を見ながら、春彦は意地悪っぽく言った。
「あー、そんなこと言って。
 大丈夫、鯛焼きは別腹っていうじゃない。」
その佳奈のセリフを聞いて、春彦は腹を抱えて笑った。
「あのさ、別腹って、食べても太らないじゃ無くて、お腹いっぱいでも、もう一つお腹があって、そっちで食べられるってことだよ。」
「えっ」
佳奈は、間違えに気づき、真っ赤になりながら春彦に食って掛かった。
「そんなの、どうでもいいじゃない。
 ともかく、おばちゃんの鯛焼きは食べても太らないの!」
そういう佳奈を春彦は笑いながら見ていた。
「はいはい、でも、まんまるにならないように気を付けてね。」
「もう、春ったら。」
春彦と佳奈は、二人っきりだと、幼馴染の屈託のない会話になっていた。
高校生になると、特に、春彦は学校などでは、相槌を打つぐらいで、ぶっきらぼうだったが、二人っきりになると、良く笑い、良くしゃべった。
佳奈は、そんな時間が嬉しくて、暇を見つけては、春彦を連れ出し、二人の時間を作っていた。
「でも、中学を卒業して、まだ数カ月なのに、もう、随分月日がたった気がするわ。」
「それだけ、年取ったっていうことじゃないか。」
「失礼ね、まだ、高校生になったばかりよ。」
佳奈は頬を膨らませ、春彦に抗議した。
春彦は、笑いながら鯛焼きを頬張っていた。
「私も、鯛焼き食べよっと。」
佳奈は、機嫌を直し、鯛焼きを頬張った。
二人は、心地よい風を感じながら、鯛焼きを満喫した。
「そ…。」
佳奈は、何かを言いかけて口ごもった。
「ん?なに?」
春彦は、そんな佳奈に気が付いて、問いかけた。
佳奈は、しばらく考えてから、意を決した様に口を開いた。
「あのね、さっきも言ったんだけど…。」
「ん?」
佳奈は、一瞬ためらったが、決心した様に言葉を続けた。
「今度、悠美姉のお墓参りに行かない?
 当然、学生服を着て。
 悠美姉に、学生服姿を見せたくて。」
佳奈は、少し前に同じことを言って春彦が豹変した気がして、言い終わってから、恐る恐る、春彦の方を窺った。
「そうだね、悠美ちゃんのお墓、ここから電車に乗って1時間位かかるから、学校帰りだと、土曜日がいいかな。」
「そっ、そうね。」
佳奈は、何事もなく返事を返してきた春彦に拍子抜けしたようだった。
「いつの土曜日にしようか。
 命日も近いし。
 思い立ったで、今週の土曜日にしようか?」
「え?
 う、うん。
 今度の土曜日ね。」
「おーい、どうした?
 自分から言い出しておいて、なんか、気が入ってないよ。」
春彦に痛いところを突かれ、佳奈は焦っていた。
「そんなことないよ。
 ちょっと、他の事考えちゃったから。
 春もそういうことあるでしょ。
 話しをしながら急に違うこと考えちゃうこと。」
「えー、そんなことあるかいな。」
「あるって、あるってば。」
佳奈は、一生懸命取り繕っていた。
「ともかく、今度の土曜日だからね。
 忘れないでよ。
 はる!」
「はいはい」
(さっきの春彦は、やっぱり、気のせいだったわ。
 よかった。)
佳奈は、自分に言い聞かせるように思った。
DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
その週の土曜日、二人は学校帰りに悠美の墓参りに向かった。
「今日は、いい天気ね。
きっと、悠美姉も私たちが逢いに行くのをわかって、天気にしてくれたんだわ。」
佳奈は、空を見ながら、明るい顔で言った。
「そうかもな…。」
「そうよ、そうに違いないわ。」
そう話しながら、電車を降り、お墓のあるお寺に向かって歩き出した。
「そうだ、お花を買わなくっちゃ。」
「それなら、ほら、あそこにお花屋さんがあるから、そこで買って行こう。」
「うん、悠美姉、オレンジ色とか明るい色のお花が好きだったもんね。
 あるかしら。」
花屋であれこれ選ぶ佳奈を春彦は半分あきれ顔で見ていた。
「よく、あれこれと選ぶなぁ。」
春彦は感心気に言った。
「だって、5月って、結構、いろいろなお花があるのよ。
 それに、どうせ持っていくなら、悠美姉の好きな花で揃えたいじゃない。」
「まあ、そうかな…。」
佳奈には勝てないと、素直に春彦は心の中で降参した。
さんざん迷ったあげく、仏花とは違った、華やかな花束を持って佳奈は花屋から出てきた。
「おー、すごいな。
 これなら、悠美ちゃん、喜ぶな。」
「そうでしょ!
 ね、すごいでしょ!
 きれいでしょ!」
佳奈は自分でも素敵な花束になったと自己満足にひたっていた。
そして、二人は悠美の墓がある寺院の門をくぐり、本堂に向かった。
「佳奈、俺がお線香と水を持つな。」
「じゃあ、春の鞄を持ってあげる。」
「大丈夫だよ。
 それより、お花が折れたりしないように、気を付けて持ってな。」
「はーい。
 でも、たいへんだったら言ってね。」
二人はお寺の本堂でお線香を買って、水と花を持って悠美の墓へ二人は向かった。
春彦は、鞄を小脇に抱え、両手にお線香と水桶を持ち、佳奈は、お花を持っていた。
そして、二人は、悠美のお墓の前に立った。
「悠美姉、私達、無事に高校にあがりました。
 今日は、新しい制服を見てもらおうと、学校帰りに寄ったのよ。
 どう、制服、可愛いでしょう。」
佳奈は、明るくお墓に向かって話しかけながらくるっとその場で回って見せてみた。
それを聞きながら春彦は、お線香を墓に備え、備え付けの雑巾で墓石を磨き始めた。
それを見て、佳奈も持っていたお花を花瓶に差し、お墓を華やかにしていた。
それから二人は、お墓に向かってお祈りをした。
「悠美姉、
 悠美姉が逝ってから、2年も経っちゃったね。
 早いよね。」
「そうだね。
 あっという間だね。
 でも、いつでも、こうやってお参りに来るから。」
春彦は、しんみりしている佳奈を慰めているか、それとも自分に言い聞かせているかわからないような言い方をした。
「そうよね、いつでも会いに来るからね。」
佳奈は、気を取り直して明るくお墓に話しかけた。
どこからか、心地よい風が二人を包み込んだ。
そう、まるで、悠美が二人を抱きしめているような心地よい風で、春彦と佳奈は思わずお互いを見てにっこりと笑った。
「さあ、帰ろう。」
「うん。」
春彦に促され、佳奈も歩き始めた。
「なあ、いつも思うんだけど、お墓でお祈りして、目を開けると周りがすごく明るく見えないか?」
春彦は不思議というばかりの顔をしていた。
「うん、私も思った。
 目を閉じて、しばらくして開けると、確かに周りが眩しく見えるけど、お祈りした後じゃ、眩しさが全然違う。
 何もかもが、そう、空気までもがきらきらしているように見えるわ。」
「そうだよな、何でだろう?」
「悠美姉がよく来たねって、ことかな。」
「まさか。」
「うーん。」
二人は、首をかしげながら歩いていた。
「なあ、帰りに鯛焼き食べていかないか?」
「賛成!
 ちょうど、お腹空いてきたわ。
 お昼、菓子パン食べただけだもんね。」
「じゃあ、鯛焼きに向かってレッツゴー!」
「うん。」
二人の頭は、先程の答えのない疑問を忘れ、鯛焼きに夢中になっていた。

高校生活がスタートし、5月も終わりの時期になっていた。
その頃、春彦は、頭痛のほかに原因不明の微熱が続き、休みがちになっていた。
「はる、また、調子悪いの?
 今日、学校休む?」
舞は、心配そうに春彦に話しかけた。
「そうだね、熱が少しあるし、身体がだるいから休むよ。」
春彦は、寝巻のまま、リビングに出てきて具合が悪そうにしていた。
「困ったわね。
 高校生になったばかりなのに休みがちじゃね。
 お医者さんに行っても、わからないって言われちゃうし、今度、大きな病院にでも行こうか。」
「うーん、それは任せる。」
「じゃあ、お母さん、学校に電話してから、仕事に行ってくるわね。」
「あれ、今日は出かけるんだ。」
「そうよ、今日は打ち合わせが合って、夕方になると思うわ。」
舞は、翻訳関係の仕事をしていて、大半は、自宅で作業をしているのだが、たまに、打ち合わせで家を空けることがあった。
「冷蔵庫にいろいろ入っているから、好きなものレンジでチンして食べなさい。」
「わかった。」
「そうそう、佳奈ちゃんに連絡したら?
 お見舞いに来てくれるわよ。
 美味しいものも、食べさせてくれるかも。」
舞は、ニヤニヤしながら言った。
「なに言ってるんだ、このエロババア。
 具合が悪いっていうのに。」
「なに!
 今、エロババアって言ったか?
 折檻じゃあ。」
そういって、舞は春彦の頭に腕を回し、締め上げた。
「降参、降参。
 調子悪いんだから、勘弁して。」
春彦は苦しそうな声をだした。
「ちぇ、ノリが悪くて、つまらないね。
 早く良くなんなさいよ。」
舞は、そういうと渋々腕を離した。
「一応、お医者さんに行く?」
「ああ、熱があるから、行ってくる。」
「じゃあ、保険証と診察券と、あと、お金を少し置いておくわね。」
「わかった。」
そう言って、舞は、春彦の学校に休みの連絡を入れ、打ち合わせのため家を出た。
春彦は、午前中、布団の中でうつらうつらしていた。
「そう言えば、この前、数学の先生が言ってたっけ。
 光速を超える乗り物が出来れば、地球を飛び出し、光を追い越した後、望遠鏡で地球を見れば、タイムマシンのように過去の地球が見えるって。
 そうしたら、お父さんに会えるかな。
 そうしたら、悠美ちゃんに会えるかな。
 手を振ってくれるかな…。
 ……。
 もう過ぎた過去だから、無理か…。

 会って話すことも出来ないよな…。

 でも、もう一度、生きている悠美ちゃんを見たい。
 楽しそうにしている父さんと悠美ちゃんを見たい…。」
春彦は、半分寝ていながら、そういうことを考えていた。

「うーん、喉がかなり赤いね。
 これから、熱が高く出ると思うから、熱さましの薬も出しておくから。
 ともかく、家に帰ったら安静にしなさい。」
春彦は、近くの病院で診察を受けた。
「わかりました。
 ありがとうございました。」
そう言って、薬を受け取り、会計を済ませて病院を出た。
しかし、途中で気分が悪くなり、通り道のいつも佳奈と寄り道をしている公園で休むことにした。
公園のベンチに腰掛けて、春彦は、熱に浮かされたようにぼーっと、反対側の斜面に点在する住宅街を眺めていた。
「宇宙は、ビックバンで生まれ、今も膨張し続けてるって誰かが言ってたっけ。
 でも、ビックバンが起こる前は、どうなってたんだろう。
 膨張している先は何があるんだろう。
 何もない?
 ……
 何もないところから生まれ、何もないところに膨張している?
 何もないって、なんだろう。
 『無』の世界?ブラックフォール?
 でも、何もないのなら、ビックバンなんて起きないはず。
 ……
 何で、地球は出来たんだろう。
 どうして、生物が生まれ、進化してきたんだろう。
 何で、家族を思う心を持っているんだろう。
 何で、人間は生きているんだろう。
 生きていても、いつかは死んじゃうし、生きていたから宇宙がどうなるわけでもないのに。
 そうだよね。
 地球にしがみついて数十年生きて、光速を超えて宇宙に飛び出し、光を超え、大きな望遠鏡で見える世界なんて、何に価値があるんだろう……。」
春彦は、ぼやっとした頭で考えていたが、違うとこらから話しかけられた気がした。
「コラ、ヘンナコトカンガエテイナイデ、ハヤクカエラナクッチャ。」
春彦は、近くに人がいないことをわかっていて、もう一人の自分が心の中で言っているのだと漠然と思っていた。
「楽しかったことや、大事な人が、どんどんいなくなっていく。
 なんか、つまらないし、悲しいだけ……。」
「コラ、ソンナコトカンガエテモ、シカタナイコトジャナイ。
 イッショウケンメイイキテイクコトニ、カチガデテクルノヨ。」
「でも、それでどうなるの?」
「ソレハ、シッカリイキテカラ、ミエテクルノヨ。」
「そうかな……。
 一生懸命働いて、家族を作って、いい人だったねって言われて終わる?
 それとも、人のために、いろいろ尽くすの?」
「ドウダロウネ。
 デモネ、ドンナミチヲススンデモ、ソノトキソノトキ、イッショウケンメイイキレバイイノ。
 ケッカハ、アトデカナラズミエルカラ。
 イマ、フアンナノハ、モシカシタラ、マダ、イッショウケンメイジャナイモカモネ。」
「ふーん。
 でも、それで何になるの?
 宇宙の外はどうなっているの?
 なぜ、ぼくはここにいるの?」
春彦は、かなり熱が上がってきていて、すでに、正常な思考力が低下していた。
「コラコラ。」 
「なんか、どうでも良くなってきた。
 いっそ、誰でもいいから片っ端から…。」
そう思いかけた瞬間に、強い一陣の風が舞い、その風に乗って葉っぱがピシっと春彦の顔に当たった。
「痛い…。
 そんなに怒らないでよ。」
春彦は、独り言のようにしゃべっていた。
「はる?」
春彦はその声の方に振り向くと、そこには佳奈が怪訝そうな顔をして立っていた。
「やっぱり、春だ。
 どうしたの?
 今日、具合悪くて学校、休んだんだよね。
 こんなところで、どうしたの?」
「ああ、今、お医者さんに行って、帰るところ。
 なんか、ぼーっとして、少しベンチで休んでいたんだよ。」
「ちょっと、大丈夫?
 顔色悪いわよ。
 それに、さっきから一人でブツブツ言ってたわよ。」
「お医者さん、風邪だって。
 喉が真っ赤だから、熱が高く出るよ、って言ってたっけ。」
「えー。
 じゃあ、熱が上がったんじゃないの?」
佳奈は、心配げに近づき春彦のおでこに自分のおでこを当てた。
佳奈がすぐ近くに寄ったので、佳奈の匂いが春彦の鼻をくすぐった。
(ん?
 何か、いい匂いがする。)
春彦は、ぼーっとした頭ですぐ近くに見える佳奈の血色に良い可愛い唇を眺めながら思った。
「ちょっと!
 すごく熱いわよ。
 どないしょ……。」
その唇が動いて何かを言ったような気がした。
「ん?
 ところで、佳奈は何でここにいるん?
 制服着たまんまや……。」
春彦は、状況判断が出来ていないようだった。
佳奈は、このままでは良くないと感じ、春彦にせっつくように話しかけた。
「春が気になって、何となく、寄り道してきたのよ。
 それより、熱があるから、早く家に帰らなくちゃ。
 家まで送って行ってあげるから。」
「うん、ごめんな。」
春彦は、佳奈の申し出に素直に感謝した。
佳奈は、春彦の調子の悪さをを見てとって、心配そうに寄りそって歩いた。
「手ぇ、貸そうか?
 きつぅかったら、肩につかまってもいいからね。」
「うん、でも大丈夫。
 ただ、ゆっくりとしか歩けないから。」
「それは、大丈夫よ。
 ゆっくりでいいからね。」
佳奈は、やさしく言って、歩みを春彦に会わせゆっくり歩いた。
「舞さんは?
 家にいるよね?」
「え?
 母さん?
 ああ、母さん…。
 今日は何してるって言ってたっけ?
 そうだ、仕事で…外出しているって。
 たぶん、まだ、帰ってない。」
春彦の話し方が、先程より増して、たどたどしくなっていた。
佳奈は、もう放っておけないと悟り、さっと春彦の腕を掴んだ。
「舞さんが帰って来るまで、私が看病してあげる。」
「そんなぁ、大げさな。
 それに、俺、だいじょうぶ……。」
「いいえ、看病させて!」
春彦は、佳奈にピシッと言われ、びっくりしたようにうなずいた。
春彦の家に着き、玄関のドアを開けたが玄関には靴が無く、家の中も人気がなかった。
そして、二人は家の中に入っていった。
「やっぱり、舞さん、まだ帰ってきてないわね。
 ともかく、部屋に行って、春は横にならなくっちゃ。」
佳奈は、中学の時に何回か茂子と一緒に春彦の家に来たことがあったので、だいたいの間取りや、何がどこにあるかわかっていた。
この頃になると、春彦は、もうしゃべることも出来ず、辛そうな顔をしていた。
「大丈夫?」
「頭が…」
「え?」
「頭が割れるように痛い…。」
「たいへん、熱を測らなくっちゃ。
 体温計、どこにあるん?
 それと、お医者さんから貰った薬、飲むでしょ?」
春彦は、力なく頷き、声を絞り出すように言った。
「体温計は、リビングのどこか…。」
「わかったわ。
 勝手に探すからね。
 それと、春、パジャマに着替えられる?」
春彦は小さく頷いた。
「じゃあ、着替えていてね。
 私、体温計とお薬を飲む準備してくるから。」
佳奈はそういうと心配そうに春彦の方を振り返りながらリビングに向かった。
しばらくして、体温計と水を持って佳奈が春彦の部屋の前に戻ってきた。
「春?
 だいじょうぶ?
 着替え終わった?」
しかし、部屋からは、何も返事がなかった。
「はる?」
佳奈は、恐る恐る部屋のドアを開け、中を覗き込んだ。
さすがに、いくら病人とはいえ、異性を、春彦を着替えさせるのには躊躇せざるを得なかった。
小さい時は、よくビニールプールに入るのに洋服を脱ぐとき、春彦はよく首のところで洋服がつっかえ四苦八苦をしていた。
佳奈はそんな春彦の着替えを手伝ったりしていたのだが、高校生でたまにドキッとするくらい体格とは比べ物にならなかった。
春彦が寝間着に着替え、ベッドの中に死んだように横になっていたのを見て、佳奈は少し、ほっとした。
「はる、大丈夫?
 熱を測って、お薬飲まなきゃ。」
「ああ」
春彦は薄目を開け、佳奈の方を見た。
佳奈は、春彦が状態を起こすのを手伝い、体温計を春彦に渡した。
しばらくして、検温が終った合図で、体温計を春彦から受け取り熱を見た。
その瞬間に佳奈は、真っ青になった。
「春、40度もあるわよ!!
 どうしよう…。」
佳奈は何か閃いたように言った。
「そうだ、氷枕!
 はる、氷枕なんてある?
 少し冷やした方がいいんだけど。」
「冷凍庫に、アイスノンがある……。」
「わかったわ。
 それを持ってきてあげる。
 その間に、お薬飲んでおいてね。」
そう言って、佳奈は病院でもらった薬と水を春彦に渡し、心配そうに見つめながら、立ち上がり、台所にいった。
「失礼します!」
佳奈は誰に向かって言ったわけではないが、やはり勝手に他人の家の冷蔵庫を開けるのに抵抗があり、そう言うことで許可を得た気分になった。
そして、言われた通り冷凍庫を開けて、アイスノンを見つけ、取り出した。
「あったあった。
 わー、やっぱりすごく冷たい。
 でも、このままじゃ、直接あたって痛そう。
 何かタオルとかあるかしら……。」
そう思いながら、部屋に戻った佳奈は、春彦にタオルの場所を聞こうとしたが、そのまま、春彦は寝てしまったのか、ぴくりとも動かなくなっていた。
仕方がないので、佳奈は、体育の授業で使おうと思ったが、結局使わなかった自分のタオルを思い出した。
そして鞄から自分のタオルを取り出し、アイスノンを包み、春彦の頭に下に敷いた。
「はる、私のタオルだけど、使ってないから大丈夫だからね。」
佳奈は、そう言いながらベッドの横で春彦の様子を窺っていた。
そして、横目に飲んでいない薬と水が目に入った。
「はる、お薬飲んでないでしょ。
 飲まなくちゃダメよ。」
佳奈は、そう言って、春彦をそっと揺すってみたが、春彦はすこし口を開けただけで、辛そうな顔のまま、返事がなかった。
「どうしよう。
 熱が高いのに、お薬、飲まなくっちゃ。
 ねぇ、はる。
 はるってば。」
佳奈は、一生懸命春彦に声をかけて揺らしてみたが、一向に春彦は目を開けなかった。
佳奈は、揺する手を止め、しばらく考え込んでいた。
そして、やおら、春彦に話しかけた。
「はる、今、薬飲ませてあげるからね。
 ちゃんと飲んでよ。」
そう言うと、佳奈は薬の錠剤と水を口に含んだ。
そして、意を決した様にそっと、春彦の唇に、自分の唇を近づけていった。
(仕方ないもんね。
 お薬飲まないと、春の具合が良くならないもんね。
 はる、ごめんね。
 でも、これ、私の……。)

それから、10分くらいが経過していた。
佳奈は、ともかく舞が帰って来るまで、春彦の傍にいると決めていた。
(こんなに、間近にはるの顔を見るなんて、初めてじゃないかしら。
 結構、鼻が高いのね。
 唇も……)
そんなことを考えながら、佳奈は顔や体が熱くなるのを覚えた。
「いやだわ、私ったら。」
ふと、春彦の頭の上にある窓から、風が入ってくるのを感じた。
もうすぐ6月になり季節は初夏に向かって行くころだが、まだ、風は冷たかった。
「風が直接当たったら、身体によくないわ。」
そう言って佳奈は、窓を閉めようと、春彦の顔の上に上半身で被さるような形で窓に手をかけ、そっと閉めた。
その時、寝ていたはずの春彦が下から両腕を佳奈の両脇に通し、まるで、佳奈の胸に顔を埋めようとするように、抱き寄せようとした。
「え?
 ちょっと、はる?!」
佳奈は、びくっとして、春彦を見つめ、両手を春彦のベッドに突っ張る様に身体を支えた
「はる?
 なに?
 私、学生服だし、埃や汗っぽいよ。」
(え?私、何言っているんだろう)
あまりのことで、佳奈はパニック状態になっていた。
そんな佳奈をお構い無しに春彦は、腕に力を込め、佳奈を下から抱き寄せた。
「ちょっと、はる。
 どうしたのよ?
 やめなさいって。」
そう言って、佳奈は春彦の腕を振り払おうとして、春彦の顔を見た。
春彦は、目を閉じたままだが、何か悲しい夢でも見ているのか、今まで佳奈が見たこともない悲しい顔をしているように感じ、急に胸が熱くなっていた。
「はる…。
 どうしたの。
 なにか悲しい夢でもみているの?」
佳奈は抗うのを止め、そう呟きながら、逆に自分から春彦の頭に腕を回し、覆いかぶさるように、春彦の顔を、胸にそっと抱き留めた。
「はる、大丈夫だからね。
 私が、傍にいるからね。」
佳奈が優しく春彦の耳元で囁くと、佳奈を感じているように春彦は大きく深呼吸し、少し安心した顔つきになった。
そして、しばらくして「すーすー」と心地よさげな寝息が春彦の方から聞こえた。
「もう、春ったら。」
そう言いながら、佳奈は、そのまま、春彦の顔を愛おしいように抱き続けた。
「サテ、グアイガヨクナッタラ、キブンモカワルヨ。
 イツデモ、マエヲムイテイテネ。」
春彦は、微かな意識の中で、そういう声が聞えた気がして、心地よい眠りにより深く落ちていった。

DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
そのまま、どのくらい時間が経ったかわからないが、佳奈にとっては、なぜか充実した時間に思えていた。
「はる、そろそろ、きつくなってきたから、腕を離してね。」
佳奈は、長時間、中途半端な格好をしていたので、身体が辛くなってきていた。
その声に反応する様に、春彦は佳奈を抱きしめていた腕の力を抜いた。
「ありがとう。
 少し、身体を伸ばすからね。」
そういって、佳奈はそっと、春彦の腕を振りほどき、ベッドの横に座り込んで、腕を前に伸ばし、伸びをした。
春彦は、相変らず、気持ちよさそうな寝息を立てていた。
(よかった、春の顔が少し赤みをさしてるし、顔つきも穏やかなっているわ。)
佳奈は、春彦の顔を覗き込みながら思った
間もなく、舞が帰ってきて玄関のドアが開く音が聞えた。
「ただいま。
 春、いる?
 具合は、どう?」
そう言いながら、靴を脱ぎ玄関を上がる物音が聞えた。
佳奈は、そっと春彦の部屋から出て、リビングに向かった。
リビングでは既に舞が鞄を置いて、くつろいでいるところだった。
「舞さん、お邪魔してます。
 勝手に上がり込んでごめんなさい。」
舞が、済まなそうに頭を下げると、舞は、そんなことないと大げさに手を振った。
「やっぱり、佳奈ちゃんだったか。
 玄関に、女の子の可愛い靴と、学生鞄が置いてあったから、すぐわかったわよ。
 高校生活は、どう?
 楽しくやってる?」
「はい。
 中学で仲の良かった友達がそのまま同じ高校に進んで。」
「あら、良かったわね。
 楽しい高校生活になりそうね。
 で、春のお見舞いに来てくれたんだ。
 ありがとうね。
 で、春はどうしてるの?」
「あっ、お見舞いとかじゃなくて。
 帰る途中で偶然、春にあって。
 それよりも、すごい熱なんです。
 さっき測ったら40度もあったんです。」
「え?」
舞は、その一言で真顔になった。
「今は、病院でもらったお薬を飲んで、ぐっすり寝ています。」
佳奈の説明を聞いて、舞は、少し、顔を緩めた。
「そうなんだ、まあ、寝ているのなら大丈夫かな。」
「春に聞いたんですが、お医者さんで、風邪だと言われたそうです。
 喉が、真っ赤で、高い熱が出るって言われたそうなんです。
 そうしたら、本当に高い熱が出て、どうしようかと…。」
佳奈は、舞の顔を見て、緊張が解けたのを、逆に、今まで春彦の高熱に驚き、緊張していた自分を感じ、脱力感に襲われていた。
「まあ、それで、ずっと看病してくれたんだ。
 佳奈ちゃん、ありがとうね。」
そういうと、舞は、佳奈に近づき、優しく佳奈の頭を撫でた。
舞にとっては、赤ん坊の時から良く知っている佳奈なので、つい、我が子の様に接してしまうのだが、佳奈もそれに親近感を持っていた。
佳奈は、にっこりと微笑み、うなずいた。
「喉が赤いか。
 久し振りだな、春が高い熱を出すなんて。
 むかし、小学校に上ってすぐの時、結構、身体が弱くて、すぐ喉に来て、高い熱を出したっけ。」
舞は、話しながら佳奈をリビングの椅子に座らせた。
「佳奈ちゃん、何飲む?
 紅茶でいいかな。」
「はい。
 あっ、でも、こんな時なので、気にしないでください。」
佳奈がそういうと、舞は手をひらひらと横に振って、ポットの水を換え、スイッチを入れた。
「それでね、あんまりにも身体が弱くて、うちの人と相談して運動をやらせたの。
 一つは、近所の道場で武道。
 これは、姿勢を良くするため。
 もう一つは、水泳ね。
 これは、気管支をはじめ、身体全体を丈夫にするのにいいって、うちの人が言ったのよ。」
「へー、そうだったんですか。」
佳奈は、小学校に上がりしばらくして立花一家が引っ越したため、小学校の時の春彦を、あまり知らなかった。
離れて暮らしていても、悠美を介して、たまに会っていたのだが、実際の生活については全く分からなかった。
なので、そういう話になると興味津々だった。
「だから、泳ぐの上手いんですね。
 あと、武道は知らなかったなぁ。
 学校でも、結構、おとなしい部類に入っているんですよ。
 だから、ちょっと、想像できないわ。」
「まあ、人に使ったらダメって、よくよく言いきかせてあるからね。
 あのこが。」
「え?」
誰なのかと聞き返そうとした時、後ろでがたっという音が聞え、舞と佳奈はその音の方に振り向いた。
そこには、幽霊のようにぼーっと立っている春彦がいた。
「どこ…、どこに、行ったの…?」
ぼそぼそと、春彦はつぶやいた。
「はる?
 どうしたの?
 起きちゃったの?」
「春彦!
 こら、しっかりしなさい。」
舞の一喝で、春彦は少し正気に返ったように、周りを見渡した。
「ああ、母さん。
 おかえり。」
「もう、お帰りじゃないでしょ。
 熱が高いんだって。
 ここで、布団ひいてあげるから、横になりな。
 佳奈ちゃん、悪いけど、このぼんくらを座らせて、おとなしくさせておいて。」
「あっ、はい。」
舞は、そういうとてきぱきとリビングの横の自分の作業場として使っている和室に布団をひいていた。
「舞さん、春は、自分のベッドじゃなくていいんですか?」
佳奈は不思議そうに聞いた。
「あら、佳奈ちゃん、覚えていない?
 小さい頃、熱が出たり具合が悪い時、皆が見えるところにわざわざ布団をひいて寝ていなかった?」
「あっ!
 そうでした。
 私も具合が悪いと心細かったのと、お母さんも目の届くところにって、よく居間に布団を引いてくれました。」
「でしょ。
 久し振りの高い熱で、さっきみたいに熱に浮かされるといけないでしょ。
 だから。」
舞は、そういうと、佳奈にウィンクして見せた。
佳奈は、舞と話しながら春彦を椅子に座らせ、肩に手をおいて支えるように傍に立っていた。
少しして、こつんと佳奈の胸に何かが当たった感じがした。
佳奈が見下ろすと、春彦の頭が佳奈の胸に寄りかかる様に当たっていた。
「……」
佳奈は、舞に見られたらどうしようと内心ドキドキしていたが、無下に春彦の頭をどけようとすると春彦がバランスを崩して倒れそうだったので、動けないでいた。
「さてと、布団が引けたし……。
 あら?」
舞がそう言いながら佳奈の方に振りむくと、佳奈の胸に寄りかかっている春彦が見えた。
「あら、いやだ、この子ったら。
 ほら、春彦!
 そんな気持ちよさそうにしていないで、布団引いたから、こっちに来て横になりなさい。
 佳奈ちゃん、困ってるじゃない。
 乙女の胸に寄りかかってんじゃないの。
 寄りかかるなら、私の、熟女の胸にしなさい。」
「舞さん…。」
佳奈は照れ臭いのと、舞の言い回しが面白かったので、思わず、吹き出していた。
「ほら、春彦。
 聞こえたら、動きなさい。」
その声で春彦は、ぼーっと立ち上がり、布団のところに行き、転がり込むように布団に寝転んだ。
「よろしい。
 さてと。」
そう言うと、舞は春彦の身体の上に布団を掛けて、再び、佳奈の方に振り返った。
「ごめんね、佳奈ちゃん。
 びっくりしたでしょ。
 急に、胸に寄りかかるなんてねぇ。
 後で、しこたま怒っておくから勘弁してね。」
舞は手を合わせて拝むようなポーズした。
「いえいえ、別に、気にしてないですよ。」
佳奈は、そう言いながら、さっき春彦の部屋で、春彦の顔を胸に抱いていた方が余程大胆で、思い出しただけで顔を赤くした。
「さ、じゃあ、何か食べる?」
「え?
 あっ、そうだ、氷枕!」
佳奈はそういうといそいそと春彦の部屋に行き、先程、春彦の頭に下に入れたアイスノンをタオルごと取り出し、リビングに持ってきた。
「あら?
 それは?」
「いえ、さっき、春の熱がひどくって、氷枕をと思って。
 春に聞いたら冷凍庫にアイスノンが入っているって。」
佳奈は、舞に説明しながら、軽く春彦の頭を持ち上げるようにして、アイスノンを巻いたタオルごと頭に下に入れた。
「冷凍庫はいいんだけど、そのタオルは?」
「ああ、これは、体育で使おうと持ってきたんですが、結局使わなかった私のタオルです。」
「あら、それじゃ悪いわ。」
「いえ、良かったら使ってください。」
「うーん。
 もう使っているか。
 じゃあ、遠慮なく。
 あとで、きれいに洗って返すからね。」
「いえ、そんな、そのままでもいいですよ。」
「まあ。」
舞は、ふーんという顔をして佳奈を見た。
佳奈は、急にいろいろと恥ずかしさがこみ上げてきた。
「えっ、あっ。
 いえ、舞さんが帰ってきたので、私、帰りますね。
 でないと、春、ゆっくり身体を休められないといけないので。」
佳奈は、慌てて言った。
「そう?
 まあ、こんな状況だし、風邪、移るといけないから仕方ないわね。」
舞も、いつもなら半ば強引に引き留めるのだが、今回は、春彦の具合が悪いので無理に引き留めることはしなかった。
「でも、今日は、いろいろとありがとうね。
 佳奈ちゃんが付いていてくれて、とっても助かったわ。
 今度、春彦の具合がよくなったら、遊びに来てね。
 美味しいお菓子とか、御馳走するからね。」
「はい、
 楽しみにしてます。」
そういうと、佳奈は立ち上がって、寝ている春彦の方を見た。
春彦は、ピクリとも動かずに寝ていた。
(じゃあね、はる。
 いい夢を見て、早く良くなってね。)
心の中でそういうと、春彦の家を後にした。
舞は、佳奈を送り出すと、春彦の傍に座り込んだ。
「まったく、久し振りだね、お前がこんな高熱でこうやって寝ているのは。
 小学校低学年の時以来かしら。
 あの時、あの人もずいぶん心配したっけ。」
そう言いながら舞は、春彦の髪を撫でながら懐かしむように遠くを眺めていた。
春彦は、それから2日間高熱が続き、舞をハラハラさせたが、3日目から徐々に熱が下がり、4日目には微熱まで下がっていった。
佳奈は、毎日のように学校帰りに寄って、春彦の具合を確認していた。
春彦は4日目には若干熱が残っていたが、旺盛な食欲を見せるほど回復していた。
夕方、舞は春彦の熱を測り、平熱まで下がっていることを確認した。
「熱も下がったし、それだけ、食欲があれば、もう大丈夫だね。
 明日は、日曜日だから、明日1日ゆっくりして、熱が上がらなければ、月曜日から学校行けるよ。」
「ああ、何かまた小テストがあるみたいだから、多少熱があっても行かなきゃ。」
「ばかね。
 毎日、佳奈ちゃんが授業のノート届けてくれたじゃない。」
「でも、佳奈とクラスが違うから、授業の進み方が違うんだけどな。」
「なに言っているの。
 そんな贅沢言うと、罰があたるわよ。
 だいたい同じでしょ。」
「まあね。
 見たけど、佳奈のクラスの方が進んでいるみたい。」
「じゃあ、予習の代わりになるから、2度美味しいってやつじゃない?!」
「そっかなぁ。」
春彦は、そう言いながら、佳奈が渡してくれたノートのコピーを眺めていた。
そのノートのコピーは、ただ単に自分のノートのコピーではなく、春彦のために、授業のポイントが描かれていた。
(これ、自画像かな)
ノートコピーの片隅には佳奈らしい女の子の絵が書かれていて、吹き出しにお見舞いのセリフが掛かれていた。
(しかも、良くなったら鯛焼き食べに行こうだって
 どこまで、食いしん坊かな)
春彦はコピーを見ながら、つい顔をほころばした。
それを見て、すかさず舞が声を掛けた。
「何見て、にやけてるの?
何か、いいこと書いてあったの?」
「いや、特に。」
「何か、嫌らしい顔してるわよ。」
「そっ、そんなことないって。」
舞は、そう言って春彦をからかった。
「そうそう、あんた、熱が一気に上がった最初の日、佳奈ちゃんの胸に顔埋めて、スケベで嫌らしい顔していたわよ。」
「えっ?」
春彦には一切記憶がなく、初耳だった。
「おれが、佳奈の胸に顔を埋めていた…。」
(そういえば、夢の中で、暖かく柔らかで、いい匂いに包まれている夢を見たような…。)
春彦は思い出そうと、一生懸命、考え込んでいた。
そんな春彦を舞は笑いながら見ていた。
「だから、今度、佳奈ちゃんに会ったら、よくよくお礼を言わなきゃね。
 乙女の胸を貸していただいて、ありがとうございますって。」
「ちょっと待って、俺、覚えていないよ。」
「えー、覚えていなって?
 あんた、乙女の純情を踏みにじる気。
 だいたい、嫌がる佳奈ちゃんをお構いなしに、無理やり胸を奪ったくせに。」
「わー、ちょっと待って。
 本当に、そんなことしたのか?」
春彦は、赤くなったり、青くなったり、すっかり取り乱していた。
舞は、そんな春彦を見ながら、ケタケタと声を出して笑った。
「あははは、何、焦ってんの。
 半分本当で、半分は嘘よ。
 特に、嫌がる佳奈ちゃんを無理やりっていうのはね。」
それを聞いて、春彦は少し安堵した。
「でも、私がいないところでは知らないからね。
 そう言えば、佳奈ちゃん、何かもじもじしていたわよ。」
「かあさん!!」
春彦は、怒った声で舞の話を遮った。
「おお、怖い。
 いいじゃない、ちょっとからかっただけよ。
 どうせなら、佳奈ちゃんの乙女の胸じゃなくて、母さんの豊満な大人の胸にしなさいよ。」
「はいはい……。」
春彦は最後には呆れて、あっち行けと言わんばかりに手を振った。
「でも、熱出した日、お前のこと一生懸命看病してくれたのは本当のことなんだから、ちゃんとお礼を言いなさいよ。
 それに、アイスノンを巻くように、タオルまで貸してくれたんだからね。」
「わかった。」
(今度、好きなだけ鯛焼きをご馳走するか)
コピーに描かれている佳奈と思われる女の子を見ながら、春彦は漠然と思った。
DATE: CATEGORY:第4章 春彦の変貌
春彦は、その後、順調に回復し熱も下がり、月曜日の朝、普通に登校するために家を出た。
いつも学校に行くために電車に乗る駅では、改札口の近くに佳奈がうつむき加減に立っていた。
いつもなら、春彦を捜し、見つけると手を振って嬉しそうに近寄ってくるのだが、今日は、その場にうつむきながら、まるで春彦が見えていないように立ち尽くしていた。
春彦は、怪訝な顔をしながら、佳奈のところまで歩いて行った。
「おはよう、どうしたの?
元気ないじゃん。」
春彦が、そう話しかけると、佳奈は、一瞬びっくりした様子だったが、うつむいたまま口を開いた。
「おはよう。
具合、良くなった?」
「ああ、佳奈のおかげで、すっかり良くなったよ。」
春彦は元気な姿を見せるように胸を張って明るく答えた。
「そう……。」
しかし、佳奈は、そんな春彦を見ていないように、うつむいたままだった。
「あれ?
 俺のこと待っててくれてたんじゃないの?」
「ううん。
 待ってた。」
「でも、なんか、暗いじゃん。」
「そう、見える?
 そんなことないよ。」
そう言いながら、佳奈は、真っ赤になった顔ではにかみ笑いをして見せた。
佳奈は、春彦の看病をした日から、今まで春彦に直接会っていなかった。
学校のノートは舞か、ポストに入れていた。
舞も春彦も、春彦の体調を気にして、そうしてくれているんだろと思っていた。
が、実際、佳奈は春彦の看病をした時のことを思いだし、恥かしくて春彦の顔をまともに見れなかったからだった。
そんなことを露とも知らずに、春彦は佳奈の顔を覗き込んだ。
「なんか、顔、赤いぞ。
 もしかして、俺の風邪が移ったか?」
佳奈は、急に春彦の顔が近くに来たので、少しのけぞりながら急いで首を横に振った。
「ふーん。」
春彦は、考え込むようにその場に立ち尽くした。
そして、しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
「ねえ、はる……。」
沈黙を破ったのは佳奈の方だった。
「ん?
 なに?」
「あのね。
 具合が悪くなった最初の日のこと、覚えてる?」
「ああ、佳奈に途中で拾われて、何とか家にたどり着いたことだろ。」
「うん。
それから?」
「えっ?
 ああ、アイスノン用意してくれて、そうそう、佳奈が自分のタオルで巻いて、枕にしてくれたんだよな。
 その頃の、頭がぼーっとして、あんまり記憶がないんだよな。」
「え?
 どこから記憶がないの?」
佳奈は、急に元気な声を出した。
「いやー、たぶん、そこいら辺からかな。
 母さんが帰って来るまで、佳奈が看病してくれたんだよな。
 あっ!
 そうそう。」
春彦が、急に何かを思い出したような言い方をしたので、佳奈は、飛び上がりそうになった。
春彦は、少し照れくさそうにしながら、小声で言った。
「母さんから聞いたんだけど、俺、佳奈に寄りかかったんだって……。
 その…、お前のむ……。」
最後の方は、口ごもって、佳奈にはよく聞こえなかった。
「なあに?」
佳奈は、すこし安心した様に、春彦に問いかけた。
春彦は、一瞬、間を置いて、いきなり頭を下げた。
「ごめん。
 佳奈の胸に寄りかかったんだって?
 だから、今、怒ってる?」
春彦は申し訳なさそうな顔で、佳奈を見あげていった。
佳奈は、大事なことを春彦が覚えていないことがわかり、半分、安堵し、半分、残念に思ったが、安堵感の方が強く、気が抜けてきた。
それと同時に、どう接しようと悩みまくっていた重圧感から解放され、気持が軽くなっていった。
「そうよ、ビックリしたんだから。
 この落とし前、いったい、どうしてくれるのかしら。」
佳奈は、笑いながら言った。
もう、いつもの佳奈に戻っていた。
「えー、じゃあ、鯛焼き、御馳走するから、許して。」
春彦は佳奈の前で手を合わせ、拝みまくった。
「まさか、鯛焼き、一匹?」
「いや、そんなことは……。」
「じゃあ、宇治金時抹茶餡子入りスーパーゴージャスな鯛焼きもいい?」
「うん、うん。」
春彦は、ひたすら頷いた。
「あとね……。
 クリーム餡子入りとね、えっと…。」
佳奈は、指を折って数えながら言っていたが、急に思い立ったように春彦の顔に目線を移した。
「あっ、はる。
 学校、遅れちゃうよ。
 急がなくっちゃ。」
そう言うと、改札口に向かって小走りに進み始めた。
春彦は、佳奈の背中に向かって、聞こえないくらいの小声で言った。
「佳奈、薬、ありがとな。」
聞えるはずがない佳奈が、急に振り向いたので、春彦は、一瞬、びくっとした。
「ほら、はる。
 何、ぼーっとしているの?
 電車来ちゃうよ。
 早く、早くぅ。」
「ああ、わかった。」
春彦は、ほっとしながら、佳奈の後を追って改札口に入っていった。

その後、春彦は続いていた微熱は治まったが、原因不明の頭痛には相変らず悩まされられ、口数がめっきりと減っていた。
そして6月も半ば過ぎた頃、梅雨の晴れ間のある日、いつものように、公園で鯛焼きを食べながら、佳奈は怪訝そうに春彦の顔を見ながら尋ねた。
「ねえ、春。
 最近、暗いよ。」
「そうか?」
「うん。
 どこか悪いの?
 まだ、微熱とか続いているの?」
「いや、佳奈が看病してくれたから、あれから微熱は治まってるんだよ。」
「じゃあ、何か心配事でもあるの?」
「いや、大丈夫だよ。」
「何かあったら、私に話してね。」
佳奈は心底心配していた。
「大丈夫だって。
梅雨時で天気が悪いから、くさくさしてるだけだよ。」
「なら、いいけど。」
「大丈夫だって。
 やっぱり、青空とお日様がないと、元気が出ないよ。」
「まあ、まるで光合成しているような言い方して。」
「光合成かぁ……。
そうかもしれない。」
「何言ってるの。
 人間が光合成するわけないでしょ。
 葉緑体を持っている訳でもないのに。」
「おっ!
 佳奈にしちゃ、珍しいな。
 生物、得意だっけ?」
「なに言ってるの、この前、生物の授業で習ったでしょ。」
「そっか。」
「そっかじゃない!」
佳奈は、笑いながら言った。
「でも、はるじゃないけど、私も青空が好きだな。」
「だよな。」
春彦は、佳奈に頷いてみせた。
「お日様に暖められたお布団、ほかほかして気持ちいいし。
 洗濯ものも、気持ちいいもんね。」
「おっ、まるで主婦みたいじゃん。
 佳奈、洗濯や布団干しなんて、やってるんだ。」
「おかあさんが!」
「だろうな。」
「だろうなって、なに?!」
佳奈はむっとした顔で、春彦の頭をグーで叩くふりをした。
「でも、私だって、お手伝いしてるんだから……。」
小声で抗議する佳奈の頭を、春彦はそっと撫でた。
「ねえ、今度、晴れたら、どこか遊びに行こう。」
佳奈は明るい声で言った。
春彦はそんな佳奈に笑顔でうなずいて見せた。


「おい、立花。」
「ん?」
ある日、春彦は教室でいきなり福山俊介に声を掛けられた。
福山は、締まった体つきで、短めの髪に、結構、美形の顔をしていた。
また、明るい性格で、笑顔が絶えない、どちらかというと好男子で、女生徒からも人気があった。。
春彦とは中学からの友人の一人、正確に言うと、小学校低学年からで、春彦が引っ越すまでの学校でのいい遊び相手だった。
「お前、部活に入っていないんだろう。
 どうだ?
 うちの道場で、俺の相手をしてくれないか。」
俊介は、春彦の中学からの友人で、家は警備関係の会社で結構大きな規模の会社だった。
その家業の関係で、俊介の会社では柔道や空手を取り入れたような総合格闘術の道場を開き、社員の訓練に当てていた。
当然、俊介も小さい頃から、その道場で腕を磨いていた口だった。
「何言ってるんだよ。
 俺、武道なんかやったことないよ。」
「いやいや、この前の柔道の授業で乱取りの時、結構、いい筋していたじゃん。
 受け身とかもきちんとできているし、基本が出来てるって感じだったぞ。」
春彦の学校では、高校1年の授業で、男子については、柔道の授業が取り入れられていた。
ちなみに女子は華道の授業が柔道の代わりにあった。
どちらも、姿勢を正し、礼節を重んじるという教育方針から取り入れられていた。
「ああ、あれは、小さい頃、病弱だった俺の身体を鍛えるためっていって、近所のちっさな道場に通っていたことがあって、そこで教わったんだよ。」
「それって、柔道の道場か?」
「ああ、そんなもんかな。
 ちょっと、ファンキーな先生で、柔道と空手を組み合わせたなんとか拳って言ってたかな。
 こっちは、運動がわりに身体が鍛えられたらというだけで、真剣に武闘家を目指す気はさらさらなかったし。
何といっても、小学校低学年の時の話しだよ。」
「じゃあ、尚更、うちの道場で、俺の相手してくれないか?」
「おいおい、お前、段とか持っていなかったか?」
「いや、そんなのないよ。
 それに段持ちになるといろいろと面倒だからさ。」
「じゃあ、実力は有段者か…。」
やれやれと春彦は思った。
「なあ、いいだろう。
 週に2回くらい、俺の相手してくれ、なっ」
俊介は手を合わせ、春彦に哀願した。
「でも、俺じゃなくても、強い奴、他にたくさんいるだろう。」
「いや、中学の時から、お前の物腰が気になってさ。
 鍛えれば、すぐ、俺くらいになるんじゃないかなってさ。
 それに、中学からの腐れ縁だろ。
 もっと言えば、小学校で一緒に立たされた仲じゃないか。」
春彦は少し考えたが、最近、原因不明の頭痛の影響かイライラすることが多くなっていたので、ストレス発散代わりにいいかと心が動いた。
「じゃあ、いいよ。
 でも、地獄の特訓とかは勘弁してくれよ。
 何とかの穴なんていやだからな。」
「OK、じゃあ決まりだ。
 火曜日と木曜日でどうだ?」
「ああ、いいよ。
 ジャージでいいのか?」
「馬鹿言うな。
 道着と防具は貸してやるよ。」
「わかった。」
「じゃあ、最初は今度の木曜日な。
 放課後迎えにくるから。」
「わかったよ。」
それだけ言うと俊介は鼻歌交じりに教室から出ていった。
春彦は、すぐに興味を失ったように、あくびをしながら、教室から外の風景を眺めていた。
「はる!」
少し、ぼーっとしていたところにすかさず、佳奈が教室に入り春彦に声をかけてきた。
「ん?」
春彦は佳奈の顔を見ながら気のないような返事をした。
「なに、惚けているの。
 しゃっきっとしなさいよ。」
佳奈は笑いながら春彦の背中を叩いた。
「はいはい、で、なに?」
見ると、佳奈と一緒に慶子が立っていた。
慶子は、肩までの髪を後ろで束ね、前髪は横に流していた。
どちらかというと佳奈よりも色白で、大人しく、かよわい感じの娘で、結構、男子受けがいい娘だった。
事実、こっそりファンクラブが出来ているほどだった。
「はる、まだ、部活入ってないんでしょ。
 社会部に入らない?」
「社会部?」
「うん、慶子が入っているんだけど、部員が少なくて、今の3年生が抜けちゃうと、慶子のほか1年生が三人しかいないんだって。
 それで、部として存続させるには、部員が5人以上いないといけないんだって。
 ということで、お願い、慶子を助けると思って。」
「…」
「立花君、社会部っていっても、日本の歴史研究が目的なのよ。
 で、古い神社や遺跡を見学し、学内の機関紙で紹介するのが主な活動なの。
 もし、神社やお寺とか、歴史に少しでも興味あったら、一緒にいろいろとやりませんか?」
慶子は興奮してか、ほんのり顔を赤らめ、春彦に入部する様にと頼んでいた。
ほんのり頬を朱色に染めて、涙ぐんだようなうるんだ瞳の慶子に頼まれると、大抵の男子は二つ返事で直ぐに引き受けてしまうような、高校生としては色香がある方だった。
しかし、春彦は一向にその気がないのを見て、佳奈も口を挟んだ。
「どう、春。
 ここは、慶子を助けると思って、お願い。」
「それに、部室に閉じこもっているだけじゃなく、月に1度は、校外に見学に行くの。
 気分転換になっていいわよ。」
「私や木乃美も準部員で遊びに行ってるのよ。
そうそう、あと、部活に入っていると内申書にいいって。」
佳奈も必死になって、あの手この手で春彦の気を引こうとした。
特に佳奈の場合は、社会部によく入りびたっているので、必然的に春彦と一緒の時間が増えるという下心が大きかった。
「ふう、今日はよく誘われる日だな。」
しばらく、二人からしつこく勧誘を受けていた春彦は、ため息交じりにぼそっと口に出した
「え?」
佳奈は、その一言に耳ざとく反応した。
「誘われるって、何か他の部に入ったの?」
「いや、俊介の道場で相手することになったんだよ。」
「えー、あの格闘家の福山君?
 はる、怪我しちゃうんじゃない。」
佳奈は、本気で心配していた。
「社会部は、毎日じゃなくていいの?」
不意に春彦に尋ねられ、慶子は飛び上がって驚いた。
「うん、毎日じゃないの。
 正式な活動日は、月水金の週3日。
 で、野外活動が月1回日曜日なの。」
「そうか。
まるで俊介と示し合わせたみたいだな。
俊介は火木だから、ちょうど大丈夫か。」
「え?
 じゃあ…?」
慶子は期待に目を輝かした。
「ああ、いいよ。
 歴史跡や寺社仏閣って、こう見えても、結構興味があるから。」
「やったー。
 ありがとう。」
慶子は飛び上がって、春彦の手を握って、礼を言った。
「慶子ったら、すっかり舞い上がって。」
佳奈は、そんな慶子を見て笑いながら言った。
「え?」
慶子は、握っていた春彦の手を離し、真っ赤な顔でうつむいてしまった。
実は、慶子もこっそりと春彦に好意を寄せていたが、佳奈との友情を優先させていた。
なので、一緒の時間が出来ることに、喜びが倍増していた。
「はる、ありがとうね。」
「ああ、いいって。」
佳奈は慶子の飛び上がるほどの喜ぶ姿を見て、春彦に感謝していた。
慶子は、まだ、興奮冷めやらぬという顔をしながら、春彦に予定を聞いた。
「じゃあ、立花君、明日からでいいの?
 いいなら、放課後迎えに来るから。」
「ああ、いいよ。」
「じゃあ、明日の放課後、お願いします。」
そう言いながら、佳奈と慶子は嬉しそうに教室をあとにした。
(やれやれ、いきなり1週間の予定が埋まっちゃったな。)
春彦は、そう思いながら欠伸をして、また、ぼーっと窓の外を眺めていた。
その日、家に帰り、春彦は部活に入ったことと、俊介の道場に誘われ、運動がてら通うことを舞に話した。
「じゃあ、これから平日は、帰りが夕方になるのね。」
「そうだね、6時過ぎるかな。」
「まあ、それはいいけど。
 春彦、ちゃんと約束、覚えてる?」
「え?
 なんだっけ。」
「なに惚けてるの。
 本気で人を殴ったり、蹴ったりしないっていう約束。」
「ああ、そうだったね。」
「まさか、あの道場の先生があんな奴だとは思わなかったから…。」
春彦が小学校低学年の時、病弱で、しょっちゅう熱を出していたのを見かね、春彦の父親の春繁と舞が相談して、春彦を近所の道場と水スイミングスクールに通わせていた。
その道場は、「武道で健全な身体と精神を」をスローガンに子供たちをあつめ、柔道と空手を合わせたような武道を教えていた。
道場は、師範兼館長の男が一人で切り盛りする小さなものだった。
最初の頃は、親切丁寧で、また、怪我をさせないように細かなところまで配慮されていて、父兄に人気の道場だったのだが。


それから、月、水、金曜日は社会部に顔を出し、火、木曜日は俊介の道場で汗を流す日が始まった。
佳奈は、社会部の活動日には、春彦と一緒に帰るため、帰りに待ち合わせをしていた。
「そうそう、はる。
 福山君の道場での稽古の相手はどうなの?
 怪我したりしない?」
部活や道場に通い始め、しばらくした頃、帰り道で佳奈は春彦に聞いた。
佳奈は、明らかに春彦が怪我していないか心配していた。
「ああ、大丈夫だよ。
 漫画やドラマのような、そんな荒っぽいものじゃないから。」
「なら、いいけど。
 怪我だけはしないでね。」
「うん。
 それに、俊介は、弱いものいじめをするような奴じゃないから。
 俺って、弱いだろ。」
そう言いながら、春彦はとぼけた顔をしていた。
佳奈は、『呆れた』という顔をした。
「でも、急に忙しくなったよね。」
「半分は、佳奈のおかげだけど。」
「褒め言葉として聞いておこう。」
佳奈は、どうだと言わんばかりに胸を張って言った。
「でも、随分と気分も晴れたんじゃない。
 道場は、わからないけど、身体使って汗かいて。
 社会部は、美人の慶子で、目の保養になってるんじゃないの?」
「目の保養って、随分、爺臭いというか、スケベな言い方だな。」
「え?
 そうなの?」
佳奈は、初めて意味が分かったような顔をして、顔を赤らめた。
「なに?
 どういう意味でつかわれているのかわからなかったのか?
 ニュアンスでわかれよ。」
春彦は、声を出して笑っていた。
「もう。」
佳奈は、そう言いながら、ずいぶんと明るくなった春彦を嬉しく思っていた。

道場で俊介の慶子の相手をし始め、一月くらいたった夏休みに入ったころ。
夏休みに入っても暇だろうと、半ば強引に俊介に誘われ、いつも通りに俊介の道場に通い、相手をしていた。
最初のうちは、俊介も春彦を初心者扱いし、気を付けていたが、だんだんと春彦の力が素人ではなく武術の基礎、また、それ以上の力を感じ、だんだんと本気になっていた。
同じように道場で稽古をしている社員たちから見ても、春彦の力が俊介と同等のレベルではないかと見間違えるほどだった。
実際、春彦は大分手加減をしていたのは確かだった。
「なあ、立花。
 お前、絶対に強いよ。
 しかも、普通の強さじゃない気がする。」
「え?
 なんだ、普通じゃないって。」
「うーん、なんて言うのかな。
 動きに無駄がありそうで、なさそうで。
 何か一手隠しているような。
 例えば、投げ技で、俺が投げられたとして、きれいに投げられるんだけど、本当は、それだけじゃない何かが付いてくるような気がしてならないんだ。」
「気のせいだろう。
 お前の相手をするのにやっと、というか、手加減してくれているお前の相手がやっとなんだから。」
「え?
 いや、俺、もう手加減してないんだけど。」
俊介は、少しすまなそうな顔をして、手を左右に振って否定した。
「嘘だろう。
 お前が、手加減しなかったら、俺、病院送りで、佳奈に大目玉喰らうことになるんだぜ。」
春彦は、そう言って渋い顔をした。
「佳奈って、菅井佳奈か。
 そういや、お前たち、仲がいいな。
 よく一緒に帰ってるって聞いたよ。
 付き合ってんだってな。」
「付き合ってる?
 まあ、幼馴染ってとこかな。」
「ふーん。
 でも、学校で俺の顔見ると、嫌な顔するんだぜ。
 なんか、悪いことしたかな。」
「いや、してないし、気のせいだろう。」
春彦は半分とぼけていたが、佳奈は、春彦を道場に誘った俊介のことを良く思っていなかったことは確かだった。
特に、春彦に怪我をさせるのではないかという思いから、無意識に敵対視しているようで、春彦は佳奈の話しの節々からそれを感じ取っていた。
「そういや、今度、道場に稽古をやってる姿を見に来たいっていってたっけ。」
「菅井が、か?」
「ああ」
「まあ、いいけど。
 できれば、京子とか一緒に来ないかな。」
「ふーん。」
春彦は、ニヤニヤしながら鼻で笑った。
俊介は、それを見て気色ばんだ。
「そんなんじゃねえよ。
 ただ言ってみただけだ。
 それより、稽古稽古。
 ほら。」
「はいはい、京子、京子ね。」
「このやろう。」
からかう春彦に俊介は腕を春彦の頭に回し、締め上げた。
「降参、降参。」
春彦は、笑いながら締め上げている俊介の腕にタップし、降参の合図をした。
俊介は、春彦から腕を話したが、照れ臭そうな顔をしていた。
「じゃあ、まじめに稽古を再開するぞ。」
「はいはい。」
春彦は俊介の意外な一面を見て楽しんでいた。
(意外とお似合いかもな)
春彦はこっそりと思っていた。
「痛。」
その時、何かがピシっと弾けたように頭痛が春彦を襲った。
「ん?
 立花、どうした?」
「いや、なんでもない。」
春彦は、痛みは瞬間だったので、特に気にしないことにした。

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