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プロフィール

梅星

Author:梅星
社会人になっても、いつもいろいろな空想の世界を思い描いていました。
その中で、ずっと書きたかったお話(小説)をブログという世界を使って紹介させていただきます。
無理なく肩の力を抜いて続けていきたいと思いますので、楽しんでいただけたらと思います(毎週更新予定です)。
初めて読まれる方は、『あらすじ』も並行して読んでいただければ、読みやすいかと思います。
お楽しみください。

尚、文中の登場人物、会社等すべてフィクションです。


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DATE: CATEGORY:第8章 灯火
春彦が小学校3年に上がる春休みの時、立花一家は春繁の実家の近くのアパートに引っ越した。
「どうせだったら、一緒に住めばいいのに。」
休みの日に、春繁、舞、春彦は春繁の実家に遊びに来ていた。
春繁の父親の春吉は、当初、春繁たちがアパートに住むことを反対し、実家に一緒に住むことを望んでいた。
「そうすれば、毎日春彦に会えるし、毎晩、舞さんと晩酌が出来るし、儂は嬉しいんだが。」
「まあ、そんなこと言って。
 舞さんが困っちゃうじゃないですか。」
春繁の母親のキクが呆れて言うと、舞が笑いだした。
「そんなことないですよ。
 お義父さんの晩酌のお付き合いなら、毎晩でも。
 それにお義母さんにも、いろいろお料理を教えてもらいたいし。」
「じゃあ、アパートなんてやめて、ここで一緒に暮らせばいい。」
「親父、そんな無茶言わないでくれよ。
 ここから電車で2駅のところに引っ越したんだから。
 それでも、会社まで1時間30分かかるんだよ。」
春繁が少しむくれたように言った。
春繁自体、近い将来、春吉の跡を継いで実家に入るつもりでいたし、舞にもそう説明していた。
ただ、仕事の区切りとタイミングを考え、後1~2年は会社勤めをするつもりで、その間、実家近くのアパートに住み、春吉たちとの距離を縮めておくつもりだった。
「まったく、めんどくさい奴だな。
 今の仕事なんか、すぱっと辞めちまえばいいのに。」
春吉が口を尖らせた。
「まあまあ、お義父さん。
 これからちょくちょく春彦と遊びに来ますから。」
舞が、春吉を宥めるように言った。
「それに、このままと言う訳にはいかないだろう?
 春彦の勉強部屋とか、改築を考えなくちゃ。」
春繁は家を見回して言った。
「まあ、それは、勝手にやってくれ。
 なあ、春彦。
 この家は広くて良いだろう?」
春吉は舞の隣で美味しそうにお菓子を食べている春彦を見ていた。
「うん。
 僕、このお家のお風呂が大好き。
 凄く広くて、窓から遠くまで景色が見えるし。」
「そうだろう。
 お風呂だけじゃないぞー。
 近くの林に行けば、夏場はカブトムシとか昆虫もたくさんいるし、小川にお魚も泳いでいるから、魚釣りもできるぞ。」
「うん。
 それに、おばあちゃんのご飯、すごーく美味しくて大好き。」
春彦は万遍の笑みを浮かべて言った。
「まあ、春彦ちゃん、嬉しいこと言って!
 今晩、何にしましょうね。
 春彦ちゃんの好きな物言ってね。」
キクは、嬉しさで顔を崩していった。
「まあ、あんたったら。
 私のご飯とどっちがいいの?」
「え?
 おばあちゃんのご飯!!」
「ま!」
舞は、冗談で悔しそうな顔をしていった。
「あははは、そりゃあいいわ。」
「春彦、明日からご飯がどうなるか覚えておきなさい。」
「じゃあ、春彦君だけ家に住めば?」
そういう会話で、立花の実家は笑い声が絶えなかった。


それから数カ月、夏休みも終わり、季節は秋に向かっていた頃、春彦も転校した学校に慣れ、週末は必ずと言っていいほど、一家で春吉の家に泊りがけで遊びに行っていた。
また、平日、舞は変わらず自宅で翻訳の仕事をしていたが、時間があればキクに料理を教えてもらったり、平和な日々を過ごしていた。
ただ一人、悠美だけは遠くなったと不平を漏らしていた。
「もう、なんでこんな遠くに引っ越したの?
 電車で1時間段半近くかかるのよ。
 まあ、ここは自然が多くて気持ちいいけど。」
悠美も高校3年生になったが、相変らず、春繁たちのところに遊びに来て春彦と遊んだりしていたが、さすがに、泊る回数は減っていた。
皆、このまま立花の実家に合流し、楽しい生活がずっと続くと信じて疑わなかった。

春彦が小学3年の9月のある日のこと、春繁はいつものように会社に行く身支度を整えていた。
「ねえ、お父さん、今度の休みは魚釣りだからね。
 忘れてないよね。」
「おお、忘れるもんか。
 大きいマグロを釣りに行くぞ。」
「おー!
 だけど、お父さん、あの小川にマグロなんているの?」
「いや、今度は、3連休だし海の方に釣りに行こうかと思ってるんだ。
 たくさん釣って、おじいちゃんやおばあちゃんに持って行かなくちゃ。」
「え?
 海に行くの?」
春彦は興奮気味に言った。
アパートから海まで車で1時間ほどだった。
春繁は田舎暮らしで困らないようにと、小さな車を買って舞と交互に使おうと考えていたが、舞はほとんど運転はしなかった。
「だから、ちゃんと勉強するんだぞ。
 とくに宿題はちゃんとやるんだぞ。」
春繁は笑いながら春彦に話しかけた。
「え?
 うっ、うん。」
勉強と聞いて、春彦は言葉を濁して返事をした。
「さあ、二人とも、早くしないと、会社と学校に遅れちゃうからね。」
舞はそんな二人のやり取りを楽しそうに聞いていた。
「はーい。」
春彦はそう返事をすると、玄関で靴を履き、春繁と舞に向かって元気な声をだした。
「じゃあ、いってきまーす。
おとうさん、おさきにー。」
「いってらっしゃい。
 気を付けてね。」
「おおー、行ってこい。」
二人に送られ、春彦は手を振って元気に学校に向かって行った。
ランドセルを揺らして歩くその後ろ姿を見送って、舞は、笑いながら言った。
「あのこ、今度の休みの魚釣り、すごく楽しみにしているみたいよ。」
「ああ、僕も楽しみにしているんだ。
 男の子だから、あちこちに連れまわしたくってさ。」
「まっ!
私を忘れないでよ。」
「ああ、当たり前だろう。
 舞も一緒に来ればいいのに。」
「うーん、最近ちょっと体調が悪くて。」
舞は微妙な顔をした。
「体調が悪いのか?
大丈夫か?
 そう言えば、顔色、少し悪いぞ。」
春繁は心配そうに舞の顔を覗き込んだ。
「大丈夫よ。
 それに、今日、お医者さんに行って見てもらうから。」
「そうか?
 無理しないで、気を付けるんだぞ。」
舞は頷きながら春繁の顔を見た。
「今日は、早く帰って来る?」
「ああ、特に予定はないからまっすぐに帰って来るよ。」
「よかった。」
「ん?
 どうして?」
「どうしても。」
「ふーん、まあいいや。
 ともかく早く帰って来るからな。
 行ってきます。」
そういうと、春繁は舞を抱き寄せて唇にキスをした。
「いってらっしゃい」
舞も笑顔で春繁を送り出した。
「さあ、あなたは、どちらかしら。
 男の子?
 女の子?」
一人になり、そっと、自分のお腹を摩すりながら、舞はお腹に話しかけていた。

春繁は、出社してからいつものように午前中、客先周りをし、昼休みに会社に戻って来て、舞の作ったお弁当を食べていた。
(舞は、大丈夫かな。
実家のこととかいろいろあって疲れたのかな。
少しゆっくりさせて、本当は、もう一人子供が欲しいな。)
そんなことを考えながら昼休みが過ぎ、午後の就業時間に入った。
午後は、電話や事務作業などデスクワークがほとんどだった。
昼休みが過ぎ1時間ほど経った時、春繁は、急に胸に痛みを感じた。
それは、突然だった。
「あれ、どうしたんだろう。」
そう考えている間もなく、胸の痛みはどんどんひどくなり、激痛に変わっていった。
「ぐっぅ。」
声にならない声を発して、春繁は胸を押さえて椅子からドサッという音ともに転げ落ちた。
「立花、どうした?」
「立花さん!」
声をかけても春繁は胸を押さえ、苦悶の声を上げるだけだった。
「おい、だれか、医者を、いや救急車を呼んで。」
倒れこんでいる春繁の周りに人垣が出来き、皆心配そうに覗き込んだり、声を掛けたり、フロアー中騒然となった。
「舞…、春…。」
春繁は激痛の中、舞と春彦の顔が浮かんでいたが、すぐに漆黒の闇に飲み込まれていった。

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DATE: CATEGORY:第8章 灯火
その日、舞は午前中に産婦人科に行き、午後は自宅でくつろいでいた。
「さあ、あの人、帰ってきたらなんて言おうかな。
 春彦から随分間が空いちゃったけど、待ちに待った二人目だもんね。
 まだ、どちらかわからないけど、喜んでくれるかな?
 ううん、喜ぶに決まってるわ。
 喜ばなかったら、蹴り飛ばしてやる。」
舞は、春繁が二人目をどんなに望んでいたか、嫌というほどわかっていた。
「ほんと、あの人は子煩悩だから。」
そう思いながら、舞は顔がほころんでいた。
その時、突然、電話の呼び鈴が鳴り、舞はびっくりして飛び上がった。
「まあ、こんな時間に電話なんて。
 何かの売り込みかしら…。」
そう思いながら、舞は受話器を取った。
「はい、もしもし?」
舞が電話をとると、男性の声が聞えた。
「立花さん?」
「はい、そうですが?」
「私、春繁君の同僚の大和田と言います。
 奥さん…。」
大和田と名乗った電話の先の声は、重苦しかった。
「あの、何かあったんでしょうか?」
電話口で、相手が言葉に困っているのを雰囲気で感じ取り、舞は、自分から切り出した。
電話の相手は、深呼吸をしたように聞こえ、その後、言葉に気を付けながら話し始めた。
「奥さん、落ち着いて聞いてください。
 実は、立花君ですが、先ほど急に倒れて…」
電話の内容は、春繁が急に胸を押さえて倒れこみ、救急車で病院に搬送されたが、既に、心肺停止状態で、蘇生術の甲斐もなく亡くなったという内容だった。
電話口で大和田は病院の名前と告げ、早く来てほしいと言ったが、舞は、電話を持ったまま、しばらく茫然としていた。
「もしもし、奥さん、大丈夫ですか?」
その声に、舞ははっと我に返った。
「は、はい。
 病院…ですね…。
 すぐに、伺います…。」
舞は気もそぞろに電話を切り、いそいで身支度を整えながら、春繁の両親と自分の両親の両方に状況を電話した。
立花の方に電話を掛けると、電話に春繁の母親のキクが出た。
「お義母さん、うちの人が、春繁さんが、たいへんなことに!!」
「舞ちゃん?
 どうかしたの?
 春繁が一体どうしたの?」
キクは話の要点が全く掴めない舞を宥めながら、春繁が倒れたことを聞き出した。
「舞ちゃん、しっかりして。
 私達もすぐに行くからね。」
突然の訃報にキクは息をのんだが、舞の取り乱した声を聴いて気丈にも舞を励まし、すぐに病院に駆けつけると言って電話を切った。
南雲の方も母親のサキが出て、キクと同様に舞を励まし、病院で落ち合う約束をして電話を切った。
その時、丁度、春彦が小学校から帰ってきた。
「ただい…ま?」
その中、春彦は学校から帰って来て、舞の様子が尋常でないことに気が付いた。
「母さん?
 おかあさん、どうしたの?」
その声で振り返った舞は、真っ青な顔をして、目は真っ赤になっていた。
「春、お父さんが倒れたんだって。
 いま、病院から電話があって、急いで来てくれって。」
「え?
 お父さんが、倒れた…。」
「そうよ、早く行きましょう。」
春彦は、ランドセルを部屋に投げ捨て、舞と一緒にタクシーに乗り込んだ。
タクシーの中で、舞は春彦の手をぎゅーっと握りしめていた。
春彦は、少し痛かったが、心はそれどころではなかった。
(朝、あんなに元気だったのに。
 何かの間違い、そう、だれかと間違えたんだろう)
春彦は、一生懸命、頭を巡らせていた。
舞は、目をつぶったまま、拝むように春彦の手を握り締めていた。
二人を乗せたタクシーが病院に滑り込み、舞と春彦は走る様に病院の中に入った。
「立花君の奥さんですか?」
そう声を掛けられた方を見ると、30代くらいの背広を着た会社員が立っていた。
「大和田さん?」
春繁の会社の同僚の大和田には、何度か会ったことがあったので、舞は、顔を覚えていた。
大和田は、沈痛な面持ちで頷き、舞に声を掛けた。
「奥さん、こっちです。
 看護婦さん、立花君のご家族が見えました。」
「あっ、奥様ですか?
 こちらに。
 先生もすぐに見えますので。」
そう言って、看護婦は他の看護婦に何らか言葉をかけ、舞たちの前に来て、一緒に来るように促した。
看護婦について行くと、一般のエレベータと違う関係者専用のエレベータにのり、看護婦は地下階のボタンを押した。
明らかに一般病棟と違うので、舞は、エレベータのドアを凝視していた
通された部屋は、ベッドが置かれ枕元にロウソクとお線香が置かれている殺風景な部屋だった。
舞は、無意識に春彦の手をぎゅうーっと握っていた。
春彦は、手に痛さよりも、その部屋に意味する現実を薄々心ではわかっているが拒否したいという葛藤が優っていた。
「こちらです。」
看護婦は、感情を押し殺したような声で舞と春彦を呼んだ。
近づくと、ベッドに横たわる春繁がいた。
春繁は、まるで眠っているかのように、安らかな顔をしていた。
「し…げ…さん」
舞は、まるで夢遊病者のような足取りで、春彦の手をとって春繁の傍らに近づいた。
「繁さん…。
 繁さん、どうしたの?
 なに寝てるの?
 ねえ、起きて。
 起きてってば!!」
舞は、一生懸命春繁の身体を揺すった。
しかし、春繁は二度と目を開けることはなかった。
「ねえ、お母さん。
 お父さん、どうしちゃったの?
 死んじゃったの?」
春彦は、何が起きているのかわからずに、舞に話しかけた。
「うん。
 お父さんね、死んじゃったんだって。
 もう、目を開けて、笑ったり、話しかけたりしてくれないんだって。」
舞は、必死の思いで春彦に説明をした。
春彦は、そんな舞の話を聞きながら、春繁の顔を触っていた。
「うそ。
 だって、お父さん、暖かいよ。」
まだ、そんなに時間が経っていないためか、春繁の身体は温かみを帯びていた。
「はる…。」
舞は、たまらず、涙を流しながら、春彦をぎゅーっと抱きしめた。
「ねえ、お父さん、暖かいよ。
 寝ているだけだよね。」
春彦もだんだんと状況を理解し、涙声になってきていた。
「舞さん!」
ドアが開き、春吉とキクが室内になだれ込んできた。
「何ていうこと…。」
キクは、そう言うと物言わぬ春繁の顔を見て絶句した。
「馬鹿な…。」
キクの肩を抱きながら、春吉も言葉を飲み込んだ。
「お義母さん…。」
舞は涙でくしゃくしゃな顔をしてキクの方を見た。
「舞さん…。」
キクも舞の方に行くと、舞のことを抱きしめた。
「うっ、うっ…。」
舞はキクに抱きしめられ、嗚咽から泣き声を上げて泣き始めた。
春彦は、何も言わず春繁の顔を凝視していたが、眼から涙があふれていた。
春吉は、どうすることも出来ず、春繁と春彦をただ見つめるだけだった。
「あの、立花さん。
 先生からお話しが…。」
先程の看護婦の声で舞は、キクから離れハンカチで涙を拭きながら、振り向いた。
そこには、神妙な顔をしている看護婦と臨終に立ち会った医師が立っていた。
そしてその場で、医師は舞たちにお悔やみの言葉をかけてから、春繁の死に至った原因、経緯を説明し、後の手続きなどの話は看護婦に任せ、部屋から出て行った。

暫くすると、舞の母親のサキと悠美と悠美の母親の敏子が、真っ青な顔をして部屋に入ってきた。
悠美は、学校で知らせを受けたのか、制服姿のままだった。
そして、ベッドに横たわっている春繁を見ると、驚きと悲しみに顔を歪め、立ち止ったが、すぐに一歩一歩近づき、立ち尽くしている春彦の傍に立ち、そっと両手で春繁の顔を撫でた。
「悠美…。」
舞は、悠美に気が付き声をかけた。
悠美は、舞の声に気が付き春繁から手を離すと、舞の方を振り向いたが言葉が出なかった。
そして、春彦を抱き寄せ、春彦の後ろから抱きしめた。
「……。」
悠美は、黙ったまま嗚咽を漏らし春彦を強く抱きしめた。
室内では、皆悲しみに暮れ、時間が止まったようだった。
その後、病院には提携している葬儀社が詰めていたが、春繁の同僚の大和田が、沈痛な面持ちでこれからのこと、葬儀などについて協力させてほしいと申し出て、舞はただ頷くだけだった。

春繁の遺体は、春吉の家に運び込まれ、3日後に通夜が営なわれた。
春繁は生前、その明るい人柄から皆に好かれていたので、通夜に遠方から大勢の弔問客が訪れた。
舞は、悲しみに暮れていたが、春繁を慕って弔問に訪れた参列者一人一人に気丈にも挨拶してまわっていた。
しかし、春彦は知っていた。
あの日から毎夜、皆が寝静まったころ、舞は一人で春繁の枕元で何かを話しかけ、一晩中、声を押し殺して泣いていることを。

時間は無常に流れ、春繁との別れの告別式の日がやってくる。
悠美は、学生服に喪章をつけ、舞の両親の祖父母と舞の兄夫婦にあたる両親と兄の光一ともに早めに立花の家を訪れていた。
悠美の眼は、何日も泣き続けたのか、眼が真っ赤だった。
家の中に上がり、目の前の春彦に目をやった。
「え?
 春ちゃん?」
悠美は、春彦の顔を見て愕然とした。
そこには、蝋人形の様に顔色が悪く、無表情で立ち尽くしている春彦がいた。
春彦は、悠美のことを気が付かないのか、悠美の方には一切目を向けず、ひたすら、春繁の祭壇を見つめていた。
舞が悠美に気が付いて、近くに寄ってきた。
「悠美、今日はありがとう、来てくれて。
 あの人も喜んでいるわ…。」
舞は、参列者の応対で悲しみを抑え込んでいるようだった。
「ええ…。
 でも、あんなに元気で、優しい繁おじさんが…。」
悠美は、すぐに涙がたまって来て、言葉を続けることが出来なかった。
「悠美…」
舞も、そんな悠美の手を握っていた。
「舞ちゃんも、大丈夫?」
「うん。
 今は、あの人のために来てくれている人に失礼のないようにすること。
 そして、あの人をきちんと送り出すこと。
 悲しみは、その後。」
舞は、やつれた顔をしていたが、悠美に微笑んで見せた。
それが、悠美には痛々しく見えてしかたなかった。
舞は、不意に春彦の方を見ながら、囁いた。
「春彦、しっかりしてるのよ。
 全然泣いたりしないし、凄く静かなのよ。」
「え?」
悠美は、気になって、春彦の様子をうかがった。
「男の子なんだからかな。
 ちゃんとしてくれているんだけど、何かいつもの春彦と違うのよね。
 無理もないかな。」
春彦をジッと見ていた悠美は、はっと気が付いたように顔色を変えた。
(この子、息していない…)
正確に言うと、浅く感覚の長い呼吸はしていたが、まるで自ら呼吸をするのを拒んでいるようだった。
悠美は血相を変えて、舞に食って掛かる様に言った。
「舞ちゃん、ちょっと春ちゃん借りるからね。」
そういうと、春彦の方に走り寄り、その腕を握る、その場できょろきょろと周りを見渡し、人のいなそうなところを見つけると、春彦を引きずる様に連れて行った。
「ちょっと、悠美。」
舞は、あ然として、悠美と春彦が人気のない部屋の方に行くのを見送った。
「どうしたのかしら。」
そう思いながら、弔問客がちらほらと訪れてきたので、そちらの応対に気を取られていた。
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
人気のない納戸に春彦を引きづり込むようにし、悠美は改めて春彦の眼を見た。
悠美の見た春彦の眼は生気のない死んだ魚の眼のように濁っている気がした。
「春ちゃん、息をしなさい。」
悠美がきつい口調で春彦に話しかけたが、春彦はうわの空で、何の反応もなかった。
「もう!」
そう言うと、悠美は春彦に顔を近づけた。
そして、春彦はなにか柔らかいものが唇に感じたと思うやいなや、いきなり、肺に熱い空気が流れ込んできた。
その熱い空気は、すぐに血液とともに全身を巡った気がした。
「!!」
春彦は、びっくりして正面を見ると、目の前に涙を浮かべ、怖い顔をした悠美の顔がすぐ近くにあった。
「こら、春ちゃん。
 ちゃんと息しなくちゃだめじゃない。」
先程までの剣幕とは違い、優しい声で悠美は言った
「……。」
それでも春彦はなにも言い返せず黙っていると、悠美は、春彦の頭に両腕を回し、春彦の顔を自分の胸に抱き寄せ、ぎゅーっと抱きしめた。
「悲しいよね。
 寂しいよね。
 何でこうなっちゃったんだろうね。
 私も、ものすごく悲しいの。
 知ってる?
 春ちゃんが生まれる、ずっと前から私は繁おじちゃんと仲良しだったのよ。」
「……。」
春彦は悠美が何を言っているのか理解できなかったが、悠美に抱かれてじっとしていた。
「すごく、悲しいの。
 繁おじちゃん、私のことをいつもいつも悠美、悠美って呼んでくれて、可愛がってくれたのよ。」
春彦は、春繁が悠美のことも自分の子供のように可愛がっていたことを知っていて、そして悠美の言葉を聞くうちに、眼が熱くなってくるのを感じた。
「春ちゃんも、我慢しなくていいから。
 私と居る時は、なんにも我慢しなくていいのよ。
 悲しいよね。
 だけど、涙をこらえちゃだめよ。
 無理に我慢すると心が壊れちゃうから。
 繁おじちゃん、そんなこと望んでいないからね。
 ここなら、私と春ちゃんだけしかいないから。
 思いっきり、泣いちゃおう。」
悠美の優しい言葉は、春彦にとってすべての鎖を解く魔法の呪文のようだった。
春彦は、すぅーと息を吸い込むと、いつもの優しく甘い悠美の匂いがした。
その匂いが春彦の凍てついていた心を一気に溶かした。
「今度の休みに、魚釣りに行こうって約束したのに…。」
「うんうん」
「キャッチボールの相手もしてくれるっていったのに。」
「うん」
「カブトムシやノコギリクワガタ取りに行こうって。」
「うんうん。」
「遊園地や動物園にも行こうって…。
 それから、一緒に、一緒に……。」
悠美は、相槌を打ちながら、優しく春彦の頭を撫でていた。
「それとね、それとね…。」
続けて何かを言おうとした春彦の頬にぽたりと一粒の水滴が触れた。
春彦が、顔を上げて悠美を見ると、眼を真っ赤にし、いっぱいに涙をため、それでも、笑顔を作っている悠美の顔があった。
そして、水滴と思ったのは、悠美の涙だった。
その涙を見て、春彦は誰にも聞けなかった疑問を悠美にぶつけた。
「なんで、お父さん死んじゃったの?
 もう、何もしてくれないの?
 笑ったり、遊んだりしてくれないの…。
 お父さん…」
春彦は、声を押さえながら、泣いていた。
しかし、いくら抑えようとしても、「お父さん、お父さん」と春繁を呼ぶ声が漏れていた。
そして、涙でくしゃくしゃな顔をあげ、すがるような目で悠美を見あげた。
「嫌だよ…。」
春彦はしぼりだすように言った。
「私もよ…。」
悠美も涙があふれ出ていた。
そして、力を込めて春彦を抱きしめながら嗚咽を漏らし始めた。
春彦もそれに呼応するかのように、言葉にならない声で、悠美の胸に顔を埋めて大声で泣き出した。
春彦は、自分の中で優しい父親の顔、笑い声、笑顔、春彦に話しかける声が走馬灯のように駆け巡り、体から水分が全部涙で出てしまうのではと思うくらい悠美にしがみつき泣いていた。
悠美も春彦をしっかりと抱きしめ、春彦の頭に、そっと頬を寄せていた。

しばらくして、春彦の泣き声が小さくなってきたころ、悠美は春彦の耳元で囁いた。
「私がいるからね。
 私が春ちゃんの傍にいてあげるからね。
 でもね、舞ちゃんも私たち以上に悲しいのを我慢しているから、二人で支えてあげなきゃね。」
春彦は、その悠美の言葉を聞きながら、小さく、しかし力強く頷いた。

しばらくして、悠美は春彦と手をつなぎ、祭壇のある部屋に戻ってきた。
舞は、二人を目ざとく見つけた。
悠美と、春彦は、泣きはらした顔をしていた。
しかし、春彦の顔は先程と違い生気が戻り、赤みがかっていた。
そして、しっかりとした顔で、春繁の祭壇と向き合っていた。
それは、先程と全く違い、正真正銘、しっかりとした春彦だった。
(悠美ったら、一体全体、どんな魔法を使ったのかしら。
 でも、助かったわ。)
舞は、悲しみに浸る暇なく、弔問客の応対に追われ、春彦のことを気にしてみている余裕がなかった。
悠美は、春彦を連れて、舞の方に近づいてきた。
「舞ちゃん、春ちゃん大丈夫だからね。」
泣き顔に一生懸命笑みを作って言った。
舞は、すごくありがたかった。
「悠美、ありがとう。
ありがとうついでに、悪いけど、春の傍にいてくれる?」
そういうと、悠美は、こくりと頷いた。
「舞ちゃんは、大丈夫?」
悠美は心配そうに聞いた。
「ええ、大丈夫よ。
 強い味方が二人も居てくれるから。」
そういうと、舞は春彦の顔を見た。
春彦は、じっと、舞を見つめ返し、黙って頷き、舞の傍に立った。
舞は、そんな春彦の肩に手を置き、「ありがとう」と小声で言った。
悠美と春彦のおかげで、舞は、何とか告別式までしっかりと喪主の役割を果たすことが出来た。
ただ、火葬場で最後の対面をした時は、さすがに我慢が出来なくなり、春繁の名前を呼び、泣きながら遺体に縋り付いていた。
しかし、火葬の時間になり、みんなでなだめられ、嫌々ながら遺体から離れ、焼き場に入っていく棺から離れ、立ち尽くしていた。
傍に、しっかりと悠美と春彦が涙を流しながら、しかし、気丈に舞を支えるように立ち、棺を見送った。
『ガッシャン』と棺が入っていった窯の扉が冷たく重たい音で閉まった。
そして、しばらくすると、ボッと火がついたような音とともにゴーゴーという大きな音が春繁の入った窯の中から聞こえてきた。
皆は、焼きあがる時間まで、控室に移動していったが、春彦は、最初、その場から動かなかった。
しかし、悠美に促され、控室に移動した。
舞と春彦、そして悠美の3人は、控室で周りの人間もかける言葉も見つからないほど、ひっそりと寄りそって座っていた。
どの位時間が経ったのだろう、そうこうしているうちに火葬場の係りの女性が、控室まで呼びに来た。
皆、係りの女性について、先程、棺を最後に見送った扉の前に集まった。
僧侶の読経の中、火葬の係りと思われる年配の男性が一同の前で頭を下げた。
「それでは、扉を開けます」
係りの人間がそういうと、扉の開閉ボタンを押し、ゆっくりと扉があき始めた。
春彦は、その扉の中を凝視していた。
中では、まだ炎が荒れ狂ったように渦を巻いていたが、扉が開くにしたがって小さくなり、そして、消えていった。
しかし炎がおさまっても、窯の中は恐ろしいくらいに真っ赤に焼けていた。
悠美は春彦の顔に手を伸ばし、そっと、顔を自分の方に向けさせ、焼けた釜から春彦の視線をそらせた。
先程は棺を乗せていたストレッチャーが窯から出され、そこには骨になった変わり果てた春繁が乗っていた。
係りの人の誘導で、最初に舞と春彦が箸を取って骨上げをした。
正確には、うまくつかめなかった春彦の手を悠美がサポートして3人で春繁の骨を拾いあげたのだった。
全ての物事が終わり、舞は愛おしそうに春繁の骨の入った骨壺を抱えて、葬儀場をあとにした。

告別式が終わり、皆が引き上げ、舞と春彦は春繁の遺骨とともにアパートに戻っていた。
春吉やキクが自分たちの家に来るようと何度も舞に言ったが、舞はせめて今日は、自分と春彦と春繁の3人で居たいと丁重に辞退した。
悠美も、さすがに泊まるわけにいかず、後ろ髪を引かれる思いで帰っていった。
「寂しくなったね。」
ぽつんと、舞が独り言の様に言った。
「うん」
春彦は頷くだけだった。
「あんなに大きなひとだったのに、こんなに小さくなっちゃって。」
「うん」
「春彦、こっちにおいで。」
「うん」
舞は、春彦を手招きし自分の前に座らせ、そっと抱きしめた。
「うじうじなんかしてる暇ないもんね。
お父さんの分もがんばらなくっちゃね。」
「うん。」
「でも、でもね、春彦。
 今日だけ、母さん泣いていいかな?」
「うん。」
「ありがとう」
そういうと舞は、春彦を抱きしめている腕に少し力を入れ、さめざめと泣き始めた。
春彦も、涙を流しながら、ずっと、舞の頭を撫でていた。
しかし、その反面、春彦は、真っ赤に焼けた窯の中で荒れ狂っていた炎を思い出していた。
その炎は、ゴーゴーと大きな音を立てて荒れ狂い、父を飲み込み、また、この世界を全て焼き尽くす炎ではないかと、春彦の幼い心に恐怖を焼き付けていた。

翌日から、舞は役所などの諸々の手続きや、告別式に来れなかった弔問客の相手、初七日の法要の準備で春繁をゆっくり偲ぶ時間もなく、ひたすら用事に追われていた。
春吉やキクも忙しく動いている舞を心配し、昼間、アパートを訪れ、春彦の世話や、何か手伝えることはと支えていた。
「舞さん、大丈夫?」
キクは、明らかにやつれた顔をしている舞を見て気遣っていた。
「大丈夫ですよ。
 でも、いろいろ役所に書類を出したり、名義変更の手続き。
 なんで、こんなにいろいろあるんでしょうね…。」
「まったくね。
 さあ、今日はもういいんでしょ?
 私が後片付けするから、ご飯食べて休んで頂戴。」
「ありがとうございます。
 でも、お義母さんも帰るのが遅くなるし、疲れちゃうんじゃない?
 私は、大丈夫ですから…。」
「いいから、いいから。
 少し休んで。
 いま、ご飯の支度をするから、お茶でも飲んでゆっくりしていて。」
「でも…。」
「いいから。」
舞はそんなキクの心遣いが嬉しかった。
「じゃあ、少し、休憩させてもらいます。」
「はいはい。」
キクは、優しい声を舞に掛けた。
そして、夕飯の用意をして、リビングの方を見ると舞が壁に寄りかかるようにうたた寝している姿が見えた。
「まあまあ…。」
季節は秋で、日が陰るとだんだんと寒くなってきていた。
キクは、周りを見回し、舞の体が冷えないように何か掛けるものを探したが、生憎、毛布の様なものはなく仕方なく、舞のコートをそっと背中にかけた。
その時、コードから病院の診察券がひらひらと舞い落ちた。
それは、春繁が逝った日、舞が受診した病院のもので、いつもなら会計と同時にきちんとカード入れに診察券を入れるのだが、嬉しさから後回しにして、取りあえずコートのポケットにしまって、それっきりだった。
キクは、その診察券を拾い上げ、何気なく病院名を見て、眼を見開いた。
その診察券には病院名と『産婦人科』という文言が書かれていた。
キクはまじまじとうたた寝している舞の顔を覗き込んだ。
「舞さん、何てことでしょう…。」
キクは、舞のお腹に小さな命が宿っていることを直感で感じ取った。
その後、舞が目を覚まし、ご飯を食べたのを見てキクはアパートを後にした。
当然、舞のお腹のことは何も聞かず、舞から話のあるまでは、そっとしておこうと思っていた。
ただ、それが、間違いだったことを、キクは、後に後悔することになるのを気が付かなかった。
DATE: CATEGORY:第8章 灯火
初七日を過ぎても、手続きの残り、弔問客の相手、葬儀参列者へのお礼、また、春彦の学校など、舞は全く休む間もなかった。
「ごめんね。
 あなたも少し休ませないと、一緒になって目が回っちゃうわよね。
 病院にも行っている時間もないわ…。」
舞は、独り言のように、自分のお腹をそっと撫でて言った。
そして、四十九日の法要に納骨と、それこそ春吉やキクがおどろくほどしっかりと舞は務めを果たしていた。
四十九日と納骨も無事に済み、墓地から帰る際、悠美が舞に話しかけた。
「ねえ、舞ちゃん。
 私、今日泊って行こうか?」
悠美は、舞の疲れ切った顔が心配で仕方なかった。
「ううん、大丈夫よ。」
舞の声も疲れ切っていた。
「家に帰ると、寂しくならない?」
悠美は春繁の納骨が済み、春彦と舞が本当に二人っきりになることを言っていた。
「そうね、今日からは、もっと部屋が、がらんとしちゃうわね。
 でも、春彦が居るから、寂しくはないわ。
 ね。」
そう言って舞は春彦にウィンクして見せ、春彦はそれに黙って頷いた。
「それに、悠美、学生服でしょ。
 今日は、帰りなさい。」
そう言われ悠美はしぶしぶ従うしかなかった。
「わかったわ。
 今日は帰るけど、明日は朝から手伝いに行くわね。
 ちょうど、日曜日だし、明後日は祭日だから、舞ちゃんも少し休まなくちゃだめよ。
 これでも、家事は出来るから、洗濯とかもしなくて寝てていいからね。」
「まあ、嬉しい。
 悠美が、家事全般できることは、私が一番よく知ってるから、じゃあ、待っているわ。」
舞は、笑顔でそう言った。
悠美は、舞から頼られたと思い、嬉しくなった。
高校生の悠美は、小さい頃から舞の後をついてまわっていたせいか、料理の手伝いから掃除、洗濯の手伝いと、年の割にはしっかり身についていた。
「じゃあ、今日は早く休んでね。
 深酒は駄目だからね。」
「はいはい。」
舞と悠美の会話を周りで聞いていた皆は、顔をほころばせた。

翌日の早朝、悠美は舞のアパートにやってきた。
(舞ちゃん、ちゃんと休んでいるかしら。
 今日は、何と言おうと寝かせておかないと。)
しかし、ドアをノックしようとした時、部屋の中から、ただならない春彦の声が聞えた。
「……母さん……大丈夫?」
それは一生懸命、舞に声をかける春彦の声だった。
悠美は、その気配を感じて、ドアを叩き、春彦を呼んだ。
「春ちゃん、春ちゃん、どうしたの?
 舞ちゃんがどうかしたの?
 ここを開けて!」
するとすぐにドアの鍵が外れる音がし、悠美は、ドアを開け部屋の中に滑り込むように入っていった。
そして、そこで目にしたのは、お腹を押さえ苦しがる舞の姿だった。
春彦はドアの鍵を開けると、すぐに舞の傍に戻って、大丈夫かと声をかけていた。
「舞ちゃん、どうしたの?」
悠美は急いで舞の傍に行き、舞の様子を見た。
舞は脂汗をにじませ、苦悶の表情を浮かべていたが、悠美の声に気が付き、薄ら目を開け悠美の方を見た。
「悠美…。」
「舞ちゃん、どうしたの?
 お腹が痛いの?」
「お腹が、赤ちゃんが……。」
舞の消え入るような声を聞いて、悠美は真っ蒼になった。
「赤ちゃん…?
 たいへん!!」
悠美はそう言うと、すぐに119番に電話をかけ救急車を呼んだ。
「悠美ちゃん、お母さんは?」
春彦は不安そうな声で悠美の方を見た。
「大丈夫。
 春ちゃん、何か毛布みたいのない?
 お母さんのお腹に掛けてあげなくちゃ。」
「うん。」
そう言って、春彦は自分のタオルケットを持ってきた。
そこで悠美は初めて春彦がパジャマ姿であることに気が付いた。
「春ちゃん、お母さん、いつからお腹が痛いって言ってた?」
「朝、何か声が聞えてこっちに来たらお母さんが痛がっていて。」
「わかった、じゃあ、早く洋服に着替えて。
 着替え、わかるわよね?」
「うん。」
春彦は、そう頷くと自分の部屋に戻っていった。
悠美は、タオルを濡らし、舞の額の脂汗を拭きながら話しかけた。
「舞ちゃん、いつからお腹痛くなったの。」
「1時間…くらい…前。
 急に…具合が悪くなって…、それで、着替えて…お医者さんに、行こうと…思ったら…
 お腹が急に…。」
「わかったわ。
 直ぐに救急車が来るから、頑張って。」
「悠美…、ありがとう…。」
舞はそう言うのが、やっとだった。
救急車が来て、悠美は救急隊員に舞のお腹に赤ん坊がいることを告げ、舞は産婦人科のある救急病院に搬送された。
舞の処置が行われている時、悠美は春彦の手を取りながら、自分の両親に電話をかけ状況を説明し、立花の実家にも連絡する様に言伝をしていた。
大人でも気が動転し、そこまで機転が利かない状況なのに、高校生の悠美はてきぱきとこなし、救急隊員や病院の看護婦が舌を巻くほどだった。
「悠美ちゃん、お母さん…。」
「大丈夫だって。
 疲れが出て、お腹が痛くなっただけよ。
 直ぐに良くなるから。」
「うん。」
悠美は、舞の容態が気がかりだったが、春彦にはそんな態度を見せずに明るく励ましていた。
1時間も立たずに春吉とキクが病院に駆け込んできた。
「悠美さん、舞さんは?」
キクが、悠美の顔を見て心配そうに尋ねた。
「はい、舞ちゃん、今処置室です。」
「一体どうしたんだね。」
春吉も心配そうに尋ねた。
「今朝、舞ちゃんのアパートに行ったのですが、その時には既にお腹が痛いってうずくまっていて。
 それで、急いで救急車を呼んで、この病院に来たんです。」
「お腹……。」
キクが心配そうな顔をした。
「過労だろうな。
 大事に至らなく、あっ。」
春吉は、春彦の顔を見て言葉を濁した。
春彦は、心配そうな顔をしており、迂闊に不安を掻き立てるような言葉は慎んだ方が良いと春吉は思った。
「舞さんのご両親には?」
「はい、母に電話して伝えていますので、もうすこしすればこちらに来ると思います。
 家が遠いので、どんなに早くても1時間以上かかると思いますので。」
「そう……。」
そう言いながらキクは不安そうな顔をしていた。
キクは、舞のお腹の赤ん坊のことを薄々気が付いていたので、もしもの時はどうしたらいいのか、実の母親が傍にいてくれた方がと思っていた。
それから、30分ほどで舞の両親の常吉とサキ、それに悠美の母親の敏子が駆け込んできた。
「悠美ちゃん、舞は?」
3人は春吉やキクへ挨拶も漫ろに、サキが悠美に尋ねた。
3人は肩で息をしており、タクシーを降りた後、速足でここまで来たのが明白だった。
悠美は、キクに話したことを同じように、サキに話した。
「舞……。」
一同、処置室の前で黙り込んでいた。
悠美は、春彦の手を握り、空いている手で肩を抱きしめていた。
それからすぐに、処置室から医師が出てきて一同の前にやって来た。
「患者さんの身内の方ですか?」
医師は、誰となく尋ねた。
「はい、私が舞の母親です。
 舞は、どうなんでしょうか?」
サキが一歩、医師の前に踏み出した。
「そうですか。」
それから医師は立ったまま、状態について説明を始めた。
まず、全体的に衰弱しており、危険な状態だったこと。
それは、迅速な判断で、病院に来たので危険な状態ではあるが、命に別状はないということ。
命は大丈夫と言われ、一同、安堵の顔を見せたが、次の一言で、皆凍り付いてしまった。
「はい、お母さんの命は大丈夫なのですが、お腹のお子さんが。」
「え?」
「残念ですが、流産です。」
「ええ!」
キクと悠美を除いて、一同、飛び上がるほど驚き、状況が把握できないでいた。
「流産……?
 舞のお腹に赤ちゃんが?」
「はい。
 ご存知なかった?」
「ええ…。」
「そうですか……。
本人は、今、麻酔で眠っていますので、どなたか目が覚めるまで傍に着いていてあげてください。」
医師はそう言うと、後を看護婦に託し、皆に一礼してその場を去っていった。
サキたちは、呆然自失で医師にお礼を言うことすらできなかった。
「私のせいだわ。」
いきなりキクが涙ながらに話し始めた。
「先月、舞さんが産婦人科に行ったことを知っていたんです。
ただ、本人の口から教えてもらうまではと、聴けなかったんです。
春繁が逝ってから、舞さん、大忙しで、身体のことをずっと心配していたのに。
結局何もできなくて……。」
「なんで、そんな大事なことを言わなかったんだ!」
春吉がキクに向かって声を荒げた。
「ごめんなさい。」
キクはそう言って、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「キクさん、キクさんのせいじゃないですよ。」
サキは、その中に割り込み、キクの傍にしゃがみ込んで肩に手を回し、そっと揺すった。
「こればっかりは、本人のことですって。
 どうか、ご自分を責めないでください。
 舞が、誰にも言わなかったのは、何か思うことがあってでしょうから。」
「サキさん…。」
眼に涙をいっぱい貯めてキクがサキの方を向いた。
サキは、そんなキクに頷いて見せた。
「春吉さんも、どうかキクさんを責めないでください。
 逆に、私共の方が、申し訳なくて。
 春繁さんの子を…。」
あんなに春彦の次の子供を待ち望んでいた春繁が、知ってか知らずか他界し、今、その後を追うように小さな命が消えてしまった残酷な現実に、皆言葉を失っていた。
春彦も、うすうす、どういうことか理解していて、ただ悠美の手を握り黙っていた。
一同の前をストレッチャー上で意識なく目を閉じている舞が通り過ぎていこうとしていた。

DATE: CATEGORY:第8章 灯火
人形の様に無表情で蒼白な顔をしてストレッチャーの上で寝ている舞に、皆、何か声を掛けようとしたが、かける言葉が見つからなかった。
「あの、病室にご案内します。」
看護婦がそう言って歩き出すと、悠美は春彦の手を取ったまま、舞の乗っているストレッチャーの横に付いて歩いていた。
「母さん…。」
春彦は、小さな声で舞を呼んだが、舞は眼を閉じたままだった。
舞はナースセンターのすぐ傍の一人部屋に運び込まれていった。
それから、サキが付き添いで残ることになり、キクも最初は自分も残ると言い張ったが、ショックの大きい春吉のことを考え、帰ることになった。
春彦も舞に付き添っているつもりでいたが、いつ目が覚めるかわからないのと、子供なのでいつまでも病院に置いておくのはと、一度家に帰すことになった。
「お母さん、私、春ちゃんに付いているね。」
悠美が敏子にそういうと、敏子は頷いた。
「そうしてあげて。
 あなたが付いていれば、安心だから。」
「悠美さん、あとで春彦君を連れてうちに来て。
 ご飯とか用意するからね。」
キクがそう言って悠美の手を取った。
「そうね、舞は、しばらくの間入院だろうから、その間、春彦ちゃんをどうしようかしら。」
「え?
 我家じゃないの?」
悠美は驚いた顔をした。
「だって、悠美、春彦君だって学校があるでしょ。
 そんなに休んでいられないじゃない。」
「学校か…。」
悠美も春彦の学校のことを考えると強く言えなかった。
その時、横から春吉が口を挟んだ。
「春彦の学校なら、私どもの家から少し遠いけど通えないことはないし、我家であずかります。
 大事な春繁の忘れ形見だし、な、キク。」
「はい、それは是非そうさせていただきます。」
キクも、一も二もなく頷いた。
そう言うことで、春彦は舞が退院するまで立花の実家で預かることになった。
「悠美、春彦君の荷物、わかる?」
敏子は、春彦の寝泊まりする荷物や学校に行く荷物のことを悠美に尋ねた。
「うん、大丈夫。」
「じゃあ、立花さんの家で生活できるように、荷造りをお願いね。」
「それでは、舞が目を覚まし、お医者様から今度のことのお話を聞いたら、連絡しますから。」
サキのその言葉で、皆、病院を後にした。
「悠美、私、お義父さんを送ってくるから、あなた、舞さんの着替えとか入院の準備もできる?」
「うん、大丈夫。
 看護婦さんに、何がいるか聞いて用意するから。」
「じゃあ、買い物とかしてから、私が舞さんのアパートに寄って、入院道具を持って病院に戻るから。」
「うん、わかった。
 じゃあ、用意しておくから。
 買わなきゃいけないものがあったら、後で電話するね。」
母の敏子やサキをはじめ、南雲の人間は、悠美が年齢以上にしっかりしていて頼りになることを良く知っていた。
「あなた、私も、悠美さんと春彦君とアパートに行って荷物の準備とかしますから。」
キクも悠美だけに用事をさせるわけにはいかないと、春吉に向かって話しかけた。
「ああ、わかった。
 荷物が多くなるだろうから、タクシーを使ってな。
 儂は、家で待っているから。」

それから、すべての準備が終わり、悠美と春彦が立花家に着いたのは夕方近くだった。
また、舞が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
サキからの連絡では、舞にお腹の赤ちゃんが流産したといったところ、ショックから泣きさけび、発作を起こし、精神安定剤と睡眠薬でやっとしずかになるというたいへんな状態だったということだった。
サキがショックを受けたのは、それだけではなく、舞の身体が見るも無残に痩せ細っていたことだった。
「こんなになるまで、がんばって。
 こんなんじゃ、赤ちゃんだって…。
 なんて馬鹿な娘。」

その電話を聞き、立花家では春吉やキクは口数少なく、重い空気が漂っていた。
「ねえ、春ちゃん、今日、一緒に寝ようか?」
そんな重たい空気を吹きとばすように悠美が話し始めた。
「春ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん。
 今日、私、泊って行ってもいいですか?」
「え?」
「もともと、今日は春ちゃんの家に泊まるつもりで用意してきたんです。」
そう言って荷物を見せた。
「それに、ちょうど、明日は祭日でお休みですから。」
「あっ、そうか、明日は旗日か。」
春吉がポンと手を叩いた。
「はたび?」
春彦がぽかんとした顔で悠美に尋ねた。
「そう、祭日のことを旗日っていうのよ。
 昔から祭日は、国旗を飾って祝うの。
 家の門に国旗を飾ったり、乗り物の前の部分に飾ったりするのよ。
 だから、旗日っていうの。
 春ちゃん、見たことない?」
「あっ、バスの前に日の丸が飾ってあった。」
「そうよ、それ。」
「へえ、そうなんだ。」
「なんだ、春彦は知らなかったのか。」
「今の子は知らないわよ。」
キクが笑いながら言うと、悠美がすかさず口を出した。
「私も『今の子』なんですが!」
「あっ、そうね。
 ごめんなさい。」
そう言って、重苦しい雰囲気を笑い声で吹きとばしていった。
「でも、本当に泊まって行ってくれるの?
 助かるわ。」
春吉やキクは、春彦が夜寂しがるのじゃないかと気が気ではなかったが、春彦が一番慕っている悠美がいてくれるということで、胸をなでおろした。
「じゃあ、春彦君と悠美さんは客間に寝てもらおうかしら。」
「そうだな、後で布団を運んでおこう。
 二人とも、案内するから、その荷物を置いてこよう。」
「はい。
 それと後で電話をお借りできますか?
 家に今日はこちらに泊まると連絡を入れておきたいので。」
「ああ、もちろん、いいとも。」
「悠美さん、夕飯何がいいかしら?
 苦手なものある?」
キクが嬉しそうな声を出した。
「私、好き嫌いないので、何でも大丈夫です。」
「そう、じゃあ、腕を振るいましょう。」
「悠美さん、風呂も沸いているから、良かったら食事の前に入ればいい。」
春吉も明るい声で言った。
「はーい。
 春ちゃん、一緒に入る?」
「え?
 そ、そんな…。」
困った顔の春彦を見て悠美は笑いだした。
「冗談よ、冗談。
 春ちゃん、小3でしょ?
 お風呂、いつも一人で入っているわよね。」
「当然。」
からかわれたとわかった春彦は憮然として言った。
(あら、半分本気だったのに)
悠美は、心の中でそう思いながら、むくれた顔の春彦を見て微笑んだ。

春彦が先に風呂に入っている時、悠美は台所で夕飯の支度をしているキクのところに顔を出した。
「えっとー、何かお手伝いすることありますか?」
悠美は、春吉やキクのことを最初は「春ちゃんのおじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでいたが、常に“春ちゃんの”とつけるのも、自分の祖父母でないのにおじいちゃんおばあちゃんと呼ぶのも、何となく躊躇っていた。
「あら、悠美さん。
 春彦ちゃんはお風呂に入ったのよね。
 着替えを出さないと。」
「春ちゃんの着替えは出しておきました。
 洗濯物はどうしましょう?」
「まあ!」
(本当に気が利く子だわ)
キクは感心した。
「脱いだものは洗濯籠に入れておいてね。
 悠美ちゃんのも洗濯籠に入れといてくれれば、一緒に洗っちゃうけど。
 もし、良かったらね。」
「いいんですか?
 あ、でも、明日持って帰りますから、大丈夫です。
 あと、これでも家では少し料理したことがあるので、お手伝いさせてください。」
悠美は、舞に料理を教わったりして、普通に下ごしらえから焼き物、揚げ物、煮物と全般的に料理が作れるのだが、自嘲気味に言った。
「まあ、嬉しい。
 でも、今日はお肉を炒めて、野菜を切ってとあまり手のかからないものだから。
 そうだ、きんぴらごぼう食べる?」
「はい、好きです。」
「大根と鶏肉、卵の煮たのは?」
「あっ、それも大好き。」
「へえ~。
 あと家の糠漬けなんだけど、キュウリとナスが漬かっているの。」
「糠漬け大好きです!!」
キクは自分が言うことにニコニコしながら喜んでいる悠美を見て、心が躍るのを感じた。
「じゃあ、キクさん。
 何からやりましょうか?
「大根の煮もの、時間がかかるからそれからかしら。」
「じゃあ、私、大根の皮をむきますね。
 皮を向いたら、4等分に切るでいいですか?」
「そうそう、それでいいわ。」
それから、キクと悠美は二人でたわいもないことを話ながら夕飯の支度をはじめ、すぐに、キクは悠美の手際よさに舌を巻いた。
「悠美さん、お料理、上手ね。
 お母さんにお仕込みがいいのね。」
「母は、仕事をしてますので、サキちゃん……、いえ、おばあちゃんと一緒に良く料理しているんです。
 でも、とっかかりは、舞ちゃんから教わったのですが。」
「まあ、そうなの。
 舞さんも、お料理上手だから、いいわね。
 でも、楽しいわ。」
それから、二人は阿吽の呼吸で次々と料理を仕上げていった。
その内、春彦が風呂から出てきて悠美を呼びに来た。
「おじいちゃんが、悠美ちゃんにお風呂って。」
「うーん、今ね、キクさんとお料理しているのが楽しくって。
 春吉さんに先にお風呂にどうぞって言ってくれる?
 私、ご飯の後で入るから。」
「わかった。」
「あっ、春ちゃん、お風呂上りに何か飲まないと。」
「それなら、麦茶があるわよ。」
「すみません、それもらいますね。
 コップは…。」
「これを使って。」
キクから渡されたコップに麦茶を注いで、悠美は春彦に手渡すと、春彦は一気に飲み干し、春吉のいるほうに歩き始めた。
「ちゃんと、髪の毛、拭くのよ。」
その後ろ姿に向かって悠美は声をかけた。
春彦は振り向かなかったが、片手を上げてわかったと合図した。
「まったく…。」
苦笑いしながら、振り向くとキクが笑っていた。
「なんだか、年の離れた姉弟って感じね。」
「そうですよ。
 春ちゃんは、私のかわいい弟ですから。」
悠美はキクの方を振り向くと、嬉しそうに微笑んだ。

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